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被爆55年 忘れられないあの日 14 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 14 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/3 7:42
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
お母さん死にたくない

     八月九日 長崎
         十五歳 女学生

        
 炎天下、全身火傷(やけど)をして死んでいる赤ん坊を抱いて虚(うつ)ろな目で空を見つめていた若い母親。

 悲惨(ひさん)な姿の人が一杯いるが、ただただ自分のことで精一杯、だれが救いを求めても何をしてやる気力もない。

 お母さん 死にたくない!

 いっしょに死んで!

 お母さーん 死にたくなーい!

 声はだんだん小さくなっていった。

 あの声は、未だに私の耳の奥底に焼き付いている。










少年はカつきて その場に倒れた

     八月六日 広島
         十九歳 軍人

                        
 広島では、空襲に備えて、建物の疎開(そかい)作業に多数の学徒が動員された。

 この作業に従事していた十四才の少年は、「ピカドン」で、広島が一面の焦土(しょうど)となったとき、全身に大火傷(やけど)を負いながら、追いかけるように迫(せま)って来る火の車、黒焦(こ)げになった死体がゴロゴロしている、灰燼(かいじん)と瓦礫(がれき)の山、泣き叫(さけ)ぶ人々の群れの中を必死に歩き続け、やっとの思いで我が家に辿(たど)り着いた。
         
 しかし家は既(すで)に例壊(とうかい)し、あたりは焼け野原と化していた。

 家族も見あたらず、カつきてその場に倒れてしまった。


    家族(いえ)求め火傷(やけど)に耐(た)えて帰り来て
         少年は斃(たお)る人なき焼野に

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