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被爆55年 忘れられないあの日 18 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 18 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/6 8:03
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
川は死体で一杯に

     八月六日 広島
         二十一歳 軍人

 広島は市内を七つの川が流れる、静かな町だった。

 夏になると、私達はきれいな川に飛び込んで遊び、秋になると橋の上からハゼを釣って楽しんだ。

 それがあの日、ピカの犠牲(ぎせい)になった大人や子供の死体で埋まった。

 それは正に地獄絵(じごくえ)そのものだった。
                       
 軍隊の人が小船に来って、竹竿で溺死体(できしたい)を収容していったが、数が多くてかなり時間がかかったようだ。

 不思議なことに、この日を境にして、川底に張り付くように一杯いたハゼの姿が消えた。










一回に五十体ずつ焼く

     八月六日、広島
         十九歳 軍人

 八月七日、尾道市に駐屯(ちゅうとん)していた私達に突然広島行きの命令が出た。

 軍用列車で着いてみると、広島は一面の焼け野原、駅の周辺は死体で埋まっていた。

 私達の任務は被曝した人の遺体処理であった。

 無数の遺体を処理するには、個別では間に合わない。

 一回に五十体ずつ重油を掛けて焼いた。

 黒紫色の煙が、東練兵場(ひがしれんペいじよう)から二葉(ふたば)の里(さと)の方に流れていった。

 この悲惨な作業は何日続いただろうか。


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