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被爆55年 忘れられないあの日 22 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 22 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/10 8:09
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 これが志保子(しほこ)のお骨(こつ)ばい

     八月十二日 長崎
          十八歳 女

 「志保子は学校ではないか、工場ではないか、防空壕(ぼうくうごう)の横穴ではないか、途中にぶら下がってはいないか」と必死(ひっし)に探しまわりました。

 住んでいた家へ行ってみました。
                           
 大きかった家は焼きつくされ、一面灰と死体とお骨(こつ)でした。
        
 父は何処からか鉄兜(てつかぶと)の焼け残りを拾ってきました。
                  
 「恵子、これが志保子ばい、この骨(ほね)が丁度(ちょうど)志保子の身長ぐらいで、あうごたるばい、これが志保子ばい、家に連れて帰ろうなー、お母さんには志保子だと言ってなー」
                   
 弟と私は涙で顔を真っ黒にしながら、鉄兜(てつかぶと)の中に志保子のお骨(こつ)を拾いました。志保子の躰(からだ)は腰の部分が焼けきれずに残っていた事が悲しく思い出されます。
                           
 そこにもここにも、まだお迎えに来て貰えないお骨(こつ)が一杯でした。
                     
 私は原爆によって二人の妹を亡(な)くしました。











あちこちに黒焦げの死体

      八月十一日 長崎
             八歳 小学生

 空襲警報(くうしゅうけいほう)が解除(かいじょ)になったので、久し振りに外に出て遊んでいた。

 ピカッ。熱風が、さあっと通り過ぎると、同時に家がゆれ、物が落ち、柱が傾いた。

 うちの前に爆弾(ばくだん)が落ちたと思った。
           
 町の中には、焦(こ)げ臭(くさ)い異臭(いしゅう)が漂(ただよ)い、爆心地近くのあちこちに黒焦(こ)げの死体が転(ころ)がっていた。

 炭のように真っ黒になった人々を車に山積みにして運んでいた。

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