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被爆55年 忘れられないあの日 23 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 23 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/11 8:23
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
広島駅近くの京樽町で
                
     八月六日 広島
         十六歳 女学生
               
 八月六日、私は爆心地の相生橋(あいおいばし)を渡って、広島駅近くの京樽町まで逃れてきたが、ここで見たのはこの世の地獄図(じごくず)だった。

 顔が火傷(やけど)で腫(は)れ、日が見えない兵隊さんが杖(つえ)を突(つ)いて立っていた。
            
 怪我(けが)に白いチンク油を塗(ぬ)った人は、衣服も破れて肌(はだ)が見えていた。

 暑くて喉(のど)が渇(かわ)くので、水を求めてやっと防火用水(ぼうかようすい)にたどりついた人も、気力が尽(つ)きて死んでいた。
                          
 母親が死んだ子を抱き、血を流して、子を抱(だ)いたまま死んでいた。
                          
 広島駅の方から火の手が上がり、こちらに迫(せま)って来た。










片眼を失った友人

     八月六日 広島
           十七歳 軍属
 
 恩師の安否を尋ねるため、千田町の瓦礫(がれき)の続く道を一人で歩いていた。
                    
 突然目の前に現れた人、左の眼球(めだま)がなく、大きくえぐられている、傷だらけのその姿。

 よく見ると一歳年上の友人だった。
 
 私は恐怖(きょうふ)のあまり優しい言葉をかけることも出来ぬまま別れてしまった。

 その後半世紀以上、今でも忘れることが出来ない。

 大切な片眼を奪った原爆への怒りを誰に訴えたらよいのだろう。

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