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被爆55年 忘れられないあの日 5 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 5 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/10/21 8:00
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
被曝の三態
     
 八月六日・七日 広島
         三十六歳 軍人

 ◆絵=上 八月六日八時過ぎ
                
  爆心地から三・八キロ、江波(えば)山上陣地にいた私は、突然、青白い光と共に、シュウという音を聞いた。
  背中が焼けるように熱かった。
               
  山上の陣地から見ると、瓦礫(がれさ)の中から「きのこ雲」が目に入った。

  戦友と「あれは何だ」と話していると、市内の各所から火の手が上がるのが見えた。


 ◆絵=下右 八月六日昼近く
                
  公用外出の時私は見た。江波(えば)山の下の病院に向け、火傷(やけど)を負った人達が、男女の別も判らない姿で、血を流しながら歩いていた。

 ◆絵=下左 八月七日の夜

  瓦礫(がれき)の中、あちらこちらで、木材を積み、遺体(いたい)を焼いていた。









       
痛みを堪(た)えて救護を待つ

 八月六日 広島
         十九歳 軍人

 爆心地から「二キロの路上を歩いていた十五歳の少年は、背面から被曝した。

 衣類と皮膚(ひふ)は丸焼け、全身赤裸(あかはだか)となっていた。

 畑にゴザを持ち出しねかせた。少年はうつ伏(ぶ)せになって痛みを堪(た)え、何時(いつ)来るとも知れぬ救援を待った。

 熱線で焼けただれたる少年は
      呻(うめ)きて待てり来(こ)ぬ救援を

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