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被爆55年 忘れられないあの日 20 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 20 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/8 8:59
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 帯のように長く燃えて
               
     八月九日 長崎
         二十四歳 主婦

 青空の中に銀色のB29が見えました。

 警戒警報(けいかいけいほう)も出ていない静かな朝でしたので、「おかしいなー」と、思っていた時、光と風が目の前を通ったように思いました。

 気が付いた時、私は子供と一緒に奥の座敷に飛ばされていました。

 何が起こったのかわかりませんでした。

 それからどれ位経ったでしょうか。私達は近所の人達と山の中に逃げました。

 あちこちから火の手が上がり、町中が帯のように長く長く燃えていました。

 この日のことは忘れることができません。










家族の手をさすり天国へ

     八月六日 広島
       十三歳 女学生
                       
 水筒をぶら下げ、一人ひとりの顔を覗(のぞ)き込みながら、兄を探して歩き廻(まわ)った。
                       
 多くの息絶えた人の顔も確かめて廻(まわ)った。

 「水を下さい!」「水を」
  
 火傷(やけど)や怪我(けが)をした人に何度も抱き付かれたが水は兄に飲ませたい一心で、誰にも上げることが出来なかった。
                      
 やっと見つけた兄は、上半身にひどい火傷(やけど)と傷を負い、息も絶えだえ、折角(せっかく)の水を飲むカもなく、日も見えないようで、家族の者の手を、一人ひとりさすりながら、永遠の別れを告げて、天国に召(め)されていった。

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