@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

被爆55年 忘れられないあの日 21 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 21 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/9 7:24
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
材木を集めて子供を火葬(かそう)に

 八月九日 長崎
       二十五歳 主婦

 我が子の変わり果てた姿に、思わずその場に座り込み、夢中で手を会わせました。

 しばらくして、ふと、この子は間違いなく自分の子供かと、不安な気持ちがよぎり、もう一度確かめました。
        
 材木を集めて火葬(かそう)の準備をしましたが、どうしても焼く気にはなりません。
                  
 しばらく添(そ)い寝(ね)してやり、今生(こんじょう)の別れを惜(お)しみました。
         
 何の罪もない無邪気(むじゃき)な子供たちを、このような残酷(ざんこく)な姿にした戦争の無情(むじょう)を恨(うら)みました。










この世の地獄(じごく) 遺体(いたい)処理

     八月八日 広島
           十九歳 軍人

 広島市内から、旧似島(にのしま)陸軍検疫所(けんえきしょ)に送られてきた遺体は数知れず、一部は薪(まき)・油で火葬にしたが、大部分は壕(ごう)を掘って、そのまま埋葬(まいそう)するより仕方がなかった。

 真夏の暑さと、原爆により三日間燃え続けた火災の熱で、遺体は腐乱(ふらん)し、その死臭(ししゅう)は言語(げんご)に絶(ぜっ)するものであった。

 運搬の際、遺体の手首をつかむと、腐(くさ)った肉がズルッと剥(は)げて、直接骨をつかむようで軍手二枚重ねていても、溶(と)けた肉片と血を絞(しぼ)る有り様であった。
                            
 平和な生活が続く今思い出すと、この遺体処理(いたい)は、この世の地獄(じごく)の出来事であった。

  条件検索へ