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被爆55年 忘れられないあの日 16 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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通常 被爆55年 忘れられないあの日 16 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/4 8:36
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
私の見たあの日

      八月六日 広島
         十八歳 女教師
        
 (左上)乙斐駅(こいえき)近くの焼け爛(ただ)れた市内電車の中には、幼児を膝(ひざ)の上に抱(だ)いた母子、吊(つ)り革(かわ)を持った人、座席に座った人々も、皆そのままの姿で真っ黒焦げのミイラ。
              
 (左下)身内を探す人々の喧騒(けんそう)の乙斐駅(こいえき)周辺
 髪はチリヂリに焼け焦(こ)げ、顔は目鼻も分からない程黒く膨(ふく)れ上がり、皮膚(ひふ)は垂(た)れ下がり、男女の区別も付かない、蹲(うずくま)る遺体(いたい)の群。
 この世とは思えない地獄絵(じごくえ)、ここだけ静寂(せいじゃく)が漂(ただよ)う。

 (中央)皮膚(ひふ)が襤褸(ぽろ)のように、赤く垂(た)れ下った裸(はだか)の母親が赤子を胸に、放心(ほうしん)状態で息絶(いきた)え、溝(みぞ)の中に立ちつくす。

 (右上)榎町(えのきちょう)の街と共に、一瞬(いっしゅん)にして燃え尽きた我が家の前に、馬もろとも黒焦(こ)げになった将校の口許(くちもと)に金歯(きんば)が光る。

 (右下)天満川の上手までたどり着き、力尽きて倒れた屍の山。水を求めて川に入った人々の屍(しかばね)で川底も見えず。










救援トラックに載せられて

      八月六日 広島
         十四歳 中学生

 大手町八丁目の自宅で被曝した。

 曝風で潰(つぶ)れた家からやっと這(は)い出して、爆心地から遠ざかるように逃げている時、軍隊の救援トラックに拾われた。

 トラックには被曝した何人かが乗っていたが赤裸(あかはだか)になった火傷(やけど)の腕の皮膚(ひふ)が、手の先にぶら下がっていて、車がゆれて赤肌が触(ふ)れると荷台のあちこちで悲鳴(ひめい)が上がった。

 私達は、広島湾内の似島(にのしま)にある陸軍船舶隊の兵舎(へいしゃ)に収容された。

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