@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

被爆55年 忘れられないあの日 25 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 25 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/13 8:50
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
頭デッカチの髪の毛が

     八月六日 広島
         十四歳 中学生

 爆心地から約一キロの大手町で被曝した。

 潰(つぶ)れた家の天井(てんじょう)の隙間(かきま)からやっとのことで遣(は)い出し爆心地から離れるように逃げた。

 夕方近くになって、軍隊の救援トラックに拾われ、船に乗せられて広島湾内の金輪島(かなわじま)にある陸軍船舶隊の兵舎(へいしゃ)に収容された。

 二週間位経った境から髪の毛がバラバラと抜け始め、数日後には殆どなくなった。悪童たちは、禿(は)げ頭を見て「ピカドン」と笑った。

 数カ月後に伸び始めたのは、先が太く根元が細い、頭デッカチの髪の毛だった。










父と母とわたし

     八月十五日 長崎
          十九歳 学生

 「新型爆弾による損害軽微(そんがいけいぴ)」という発表に反して長崎の浦上は焼野ケ原であった。

 爆心地から約五〇メートル、松山町にあった私の家は跡形(あとかた)もなかった。

 私は両親の手がかりを求めて焼け跡を掘った。
 瓦礫(がれき)の中から真っ白に焼けた人骨を拾った。

 それは母の骨だと思った。
      
     焼跡に漸(ようや)く拾いし母の骨
        その温(ぬく)もりをこの手忘れず

 あの日から半世紀あまり、その時拾い得なかった父の骨は、今も地の底の闇の中に眠っているのであろうか。
 
     人繁(しげ)くなりたる被曝の地の底に
         行くえ知れざる父の声きく

  条件検索へ