我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 3
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我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 (編集者, 2013/4/5 7:48)
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学生時代の章 その1
昭和十年四月。奈良県立奈良中学校に入学した。中学に入学すると学校教練があり、他の教課は別として、この教課に関する限り一所懸命にやったので、卒業するまで常に最高の点を貰っていた。三年生に進級して射撃部に入部した(射撃部は三年生にならないと入部資格が無かった)。軍隊に「射撃ボンクラ」という言葉があったが、射撃の上手なものにはボンクラが多かったのだろうか。ボンクラだった私もそれに洩れず射撃は比較的上手であった。実弾射撃では大抵四〇点以上の高得点をマークしていた様に記憶している。奈良中学の宝相華の徽章の入った日本手拭を賞品によく貰った。
四年生を終了した時、小学校以来の無二の親友であった野田稔君と一年先輩の湯川勇君が、陸軍予科士官学校に合格して(陸士五十五期)中学校を出て行った。当時、私は近眼でもあったし、「ウドの大木」そのままの痩身で、陸士予科に合格出来るような体格ではなかったし、その上何よりも肝心の学科の成績が良くなかったので、最初から陸士予科受験は諦めていたのだが、親友が合格してみると何とも羨ましく思ったものである。彼は終戦の年、航空兵大尉の時戦死した。一人息子だったので、ご両親はさぞかし嘆かれたことであろう。又、湯川君も歩兵第三十八聯隊(奈良)の中隊長としてグァム島で玉砕、戦死した。
五年生の五月。紀元二千六百年の記念行事として、皇居の二重橋前広場に於て天皇陛下の御親閲を受けることになり、日本全国の中等学校、高等専門学校、大学校から夫々十名の学徒が選抜されて東京へ集まった。当時、天皇陛下の御親閲を受けるということは、非常に名誉なことであった。幸いに私も名誉の十名の中に選ばれて執銃・帯剣で皇居前へ向かった。
陸士予科に在校中の親友、野田稔君も顔を見せてくれた。松の翠に映えてクッキリと皇居の櫓の白壁が美しかった。やがて各学校が夫々の校旗を先頭に分列行進を始めた。私達も順番か来て歩調を取って「頭ら右」をしつつ陛下に注目、仰ぎ見たとき、陛下の御顔の肌の美しさと猫背が非常に印象的であった。陛下の御側に高松宮や三笠宮のほか、各皇族の方々たちか居られたらしいか、陛下に気を取られて全く気が付かなかった。