我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 16
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船舶兵科の章 2
八月一日。「叙正八位」
十月十目。「教育終了二付キ帰隊ヲ命ズ。同月同日本部勤務」
教育が終わって、私のように成績の悪い者を艇に乗せても艇が動くわけはない。だから成績の良い者から乗艇して行った。後に聞いた話を綜合すると、出て征ったSB艇は殆ど沈められたらしい。私は成績不良のお蔭で原隊へ帰り、初めて自分の部隊を知った。部隊は徳山市の東約二粁の櫛ヶ浜に面して海上駆逐隊と向き合っていた。私は徳山市の、とある大衆食堂に下宿して毎日部隊へ通った。部隊では何もすることがないので、昼食を済ませて、日々命令が自分に関係がなければ下宿へ帰った。昼食と命令だけに部隊へ通う毎日が三ヶ月程続いた。部隊には私と同じように、何の用もなくてぶらぶらしている将校が沢山いた。
十二月二十八日。「機動艇機関教育ノタメ、大阪指導班二分遣ヲ命ズ」毎日遊ばせて置くのは勿体ないから、大阪で勉強をして来い。ということだろう。退屈していたので、喜んで大阪へ飛んだ。
港区の福崎に大阪造船所があり、そこでSB艇を造っていた。その造船工程を指導監督していたのが大阪指導班で、班長は香川純一大尉であった。申告を済ませ、私は築港の側の旅館を根城にして、私と同じ命令を貰った中・少尉連中五、六名と共に毎日大阪造船所へ通った。
或る日、同僚の小森和男少尉が腹の激痛を訴えたので、近所の病院に担ぎ込んだ処、腸閉塞の診断ですぐ手術しなければ助からないという。輸血が必要なので彼と同じA型の血液の持ち主を探し廻った。同僚の中・少尉連中や、病院の看護婦、旅館の家族・仲居から近所の人まで、A型の血液を提供して貰った。私もA型なので病院で採血して貰つたが、丈夫だったので他の人よりも若干余分に採血して貰った。採血を終わって病院の玄関まで来た時、略帽を忘れたことに気が付いたので、あわてて採血室に取りに戻った。帽子を被って再び病院の玄関まで来たが、何だか腰が軽い。軍刀まで忘れていたのである。
また採血室へ戻って軍刀を腰にして旅館まで帰った。旅館の方達が親切に生卵を二・三個呑ませて呉れた。礼を言って部屋へ戻り上衣を脱いだ処、襦袢を着ていなかった。お粗末な話である。採血も多量になると物忘れをするらしい。
小森少尉は手術のお蔭で助かった。
大阪指導班長の香川大尉と前記の小森少尉は、私の最後の部隊でまた一緒になるのだが、運命とは不思議なものである。
ここで女の話。同志社高商在学中に、奈良で仲良くなった女の子がいた。美人ではないが愛敬のある顔をしていた。私が軍隊に入るので一時音信を絶っていたが、任官してから連絡を再開し宇品の陸軍船舶練習部にいるとき広島まで来てくれて約一ヶ月程一緒に暮らした。その彼女が女子挺身隊に徴用されて、愛知県豊川の海軍工廠にいる旨の知らせがあったので、暇を見て是非面会に行ってやろうと思っていた。なかなか暇が取れなかったか、何とか理由をつけて許可を得た。