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我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 9

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通常 我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 9

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/4/16 6:54
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 騎兵学校の章 1

                                                     
 五月一日。「幹部候補生集合教育ノ為陸軍騎兵学校二分遣ヲ命ズ」 長谷川、桑原、浅井、川口、私、それに第二中隊の宮崎勉、石川澄郎の七名は、新品の軍装に外被を巻いて肩から斜めに掛け、習志野に向けて出発した。津田沼までの列車の中では、表面はあくまで厳正を装いつつ、心の中はまるで旅行気分で浮き浮きしていた。七名の間ではいろんな話や冗談が飛び出したと思うが、まるっきり覚えていない。津田沼の駅から陸軍騎兵学校のある薬円台まで、二列縦隊で隊伍を整えて歩いたが、歩けど歩けど目指す学校へ行き着かない。四・五十分も歩いたろうか、ようやく陸軍騎兵学校の正門に到着した。
 「これは外出などで東京へ出るときは大変だぞ」と思った。その日直ちに幹部候補生隊第一中隊に編入された。我々七名の配属は次の通りである。
  第一区隊(乗 馬) 川口 緒方
  第二区隊(乗 車) 石川 宮崎
  第三区隊(機関銃) 桑原
  第四区隊(速射砲) 浅井 長谷川

 中隊長は照井治大尉(陸士四九期)、第一区隊長鈴木清次中尉(少候十九期)、第二区隊長加藤数馬大尉(少候十七期)第三区隊長大内正七郎大尉(陸士五三期)、第四区隊長武合廣信中尉(特志)で、区隊附将校は、第一区隊田村義雄少尉、第二区隊大宰正道少尉、第三区隊高橋勝治少尉、第四区隊中村孝士少尉で、区隊附は全員第五期幹部候補生出身の若手将校であった。

 私と同じ第一区隊には近衛騎兵、近衛捜索の他、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本、旭川、弘前、金沢、姫路、久留米、宇都宮などの各師団や中支・北支の野戦補充馬廠等から分遣されてきた候補生が約四十名程居た。熊本師団の候補生に私と大変仲の良かった霧島肇が居た。立派な体格の面白い男であった。熊本師団の他の候補生達は殆ど戦死したそうだが、彼は今も健在で鹿児島県の大口市に居る。一度是非会いたいものと思っている。もう一人、手紙の交換をしている親友か居る。姓名を建川英男と言う。私の区隊で最初に取締候補生になった男で、近衛騎兵聯隊から分遣されて来ていた。建川と言う姓は、小学校の頃に胸を躍らせてT心不乱に読んだ、あの「敵中横断三百里」の建川斥候長と同じ姓なので、もしやと思って聞いてみると、果たしてその建川中尉(二・二六事件で現役を退いて、当時予備役の陸軍中将であった)の子息であった。
 早稲田大学出身。実に破天荒な性格を持つ魅力的な男だったので、すぐ仲良くなった。戦後消息か分からなかったか、あちらに電話し、こちらに電話してようやく尋ね当てた。彼も健在で千葉県松戸市に居る。(その後平成元年四月八日、九段の靖国神社境内で挙行された戦没軍馬慰霊祭の前日、東京へ二人を呼び出し四十七年振りの久闊を叙したことであった)。

 その他瞼を閉じると、池田、伊藤、井上、梅田、岡部、加藤、川石、菊池、佐々木、白木、高橋、藤井、保坂、松岡、八木、谷野、弓削田等の顔がすぐ浮かんで来る。

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