我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 8
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我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 (編集者, 2013/4/5 7:48)
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新兵の章 4
入隊して一・ニケ月経った或る快晴の日、第三中隊長の命課布達式があった。我々聯隊の全員は赤い鉢巻の正帽に二装用の軍服・帯刀で営庭の中央に、兵舎に向い北向きに整列した。
正面に稍高く壇を設けその上に、聯隊長梁瀬泰中佐と新第三中隊長泉達夫中尉のお二人が、抜刀を肩にして此方を向いて立たれた。一瞬の静寂。梁瀬聯隊長は「注目」の号令の後、一段と声を張り上げて
「天皇陛下ノ命二依り陸軍中尉泉達夫、今般捜索第五十三聯隊第三中隊長二補セラル。因って同官ニ服従シ各々軍紀ヲ守り職務二勉励シ其ノ命令ヲ遵奉スベシ」
と命課を布達された。そしてお互いに向き合い刀の敬礼をせられた。その光景は正に厳粛そのもので、その印象もまた正に強烈で、四十六年を経た今日でも未だにその状景は私の脳裏を去らない。しかも、四年間の軍隊生活中、命課布達式参列の経験はこの時だけで、私が最終の部隊で中隊長を拝命した時も命課布達式はなかった。先日、奈良市の春日ホテルで開催された騎兵二十連合会の総会で、その当時の中隊長泉達夫氏に会い、そのことを申し上げた処、大変共感されて、その後も色々な資料を送って頂いたりした。
その十二月、四年兵の満期除隊かあり、我が第三班からは岡田末次、磯部清、木下昌三、田中豊次郎の各氏であった。
そして私達の教官か、新しく騎兵学校から帰隊された岡田隆夫見習士官に変わった。
昭和十八年になって間も無く幹部候補生の試験があったか、合否については全く自信か無かった。それと言うのも学科は兎も角、内務に関しては完全に落第点であった筈だから、先づ駄目だろうと半ば諦めの心境にあった。
二月十日。「陸軍兵科幹部候補生ヲ命ズ。同月同日陸軍一等兵ノ階級ヲ与フ」命令を聞いた時は夢かと思う程嬉しかった。
早速一等兵の階級章に付け替え座金も付けた。鈴木、山口の両君は経理部の幹部候補生になって何れかに転属して行った。
不思議なのは、日頃内務でコマネズミのように動き回り、古兵達から「お前は甲幹間違いない」と言われていた同僚の名が無く、甲幹どころか、所謂「落チ幹」になったことであった。
四月一日。「陸軍上等兵ノ階級二進ム。同月同日陸軍兵科甲種幹部候補生ヲ命ズ」 この日、我々候補生は甲種・乙種に分かれ、幸いにも私は甲種に選ばれた。藤岡教官、岡田教官の御訓陶の賜と深く感謝しつつ、その日から陸軍騎兵学校分遣まで、聯隊講堂で寝起きすることになった。聯隊講堂は第一・第二・第三中隊の幹部候補生だけの兵舎となったので、気が楽になったのか十五貫そこそこの体重が一ペんに十七貫五百に増えた。