我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 5
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新兵の章 1
昭和十七年十月一日。とうとう私の入営の日がやって未だ。まだ夜の明け切らぬ午前五時、早めに起き出て身体を清め、ま新しい越中裸に白いシャツーステテコ、その上に学生服を着て家の表へ出た。現役入営なので赤襷は掛けなかった。父が控え目に私の後に従って呉れていた。表には北袋町の町内会長と若干名の町内の御婦人方が、ヒッソリと見送って呉れた。
次兄が入営するときは「祝入営緒方駿朗君」と書いた大きな幟を何本も押し立てて、見送りの人達は皆夫々日の丸の小旗を打ち振りながら「天に代りて不義を討つ」などと軍歌を合唱して、行列をつくって見送った。実に派手なものであったか、私の場合は防牒上の関係とかで派手な見送りは禁止されていたので、全く夜逃げのようにコッソリと出発した。それでも、見送りの方々には「御国の為に、頑張って征って参ります。もとより死は覚悟の上、後をよろしくお願い致します」などと勇ましくも、あり来りの挨拶をして、父とたった二人で奈良電車の奈良駅へと向かった。
電車の中では二人とも殆ど無言で、私はもう居直りの心境であったし、父は三十七年前の自分の入営のことなどを思い出していたのであろう。京阪電鉄の「師団前」駅を降りて東へ突当たり左に折れて、やがて私達は中部第三十九部隊の正門前に立った。父はただ一言「行ってこい」と言っただけであった。私は胸を張り、営門歩哨に一礼して営門をくぐった。
入隊手続きを済ませ兵舎に案内されて、着て来た学生服と下着を脱いで、褐絆・袴下・衣・袴を着た。襟には赤べタに黄色い星一つの階級章と39の部隊番号か付いていた。服に体を合わせて兎も角も格好だけの兵隊か出来上がった。古兵殿が親切に袴の履き方まで教えてくれた。着て来た学生服や下着やその他の私物一切は梱包して班長室に預けた。かくして私は陸軍二等兵として、第一中隊(乗馬)第三班に編入されたのである。
(中部第三十九部隊とは「捜索第五十三聯隊」の通称名であること。騎兵第二十聯隊は昭和十六年頃改編されて捜索第十六聯隊となり、騎兵の軍旗は宮中へ返納して今は無いこと。第十六師団は戦争勃発と同時に比島へ出動し、その後に第五十三師団が新しく編成されたことなどは、後になって判った)
聯隊長は梁瀬泰中佐、中隊長は広瀬敏博中尉、中隊附将校は北浦一夫、河喜多善男各少尉、藤岡忠男、沢金一郎、牧野武 各見習士官、そして班長は尾崎忠雄伍長であった。
その日の夕食は各中隊共、兵舎前の営庭に机を持ち出して、我々十月一日入営の新兵の為に入営祝の赤飯の会食であった。
聯隊全部の会食なので実に壮観であった。入営第一日、第二日はお客さんで極く親切に風呂場、酒保、炊事場、厩舎、武振神社などを案内されたり、色々な心得や注意を受けたりした。三日目からは「お客さん」一転して、「ド新兵」と変り果て内務に追い廻されることになるのだが………。
我々十月一日入営組は全員幹部候補生要員で、浅井好三、牛島温彦、川口五郎、川島秀雄、桑原博一、鈴木省三、永井隆一、中野喜代蔵、中村 実、奈良崎 明、長谷川栄一、長谷川孝一、久野慈剱、藤井謙一、牧野観樹、山口三津男、吉岡 巌、私の十八名。この十八名は六名づつ三つの班に編入された。我が第三班は浅井、川島、永井、長谷川(栄)、牧野、それに私の面々である。我々の教官は藤岡忠男見習士官、助教は浜口保吉軍曹であった。私の飼付馬は「大地」。十八才位の老馬で、病癖のない大人しい鹿毛であった。