我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 12
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騎兵学校の章 4
十二月二日。「捜索第五十三聯隊補充隊二転属ヲ命ズ」この命令の意味がはっきり分からなかった(この時は既に私達の所属する第五十三師団に動員令が下っていたのだが、分遣中なのでそんなことは知るよしもない)のでいい加減に聞き流して置いた。十二月に入ると、大抵富士の裾野で期末演習かあって、その演習か終わると教育終了となり、見習士官になって所属部隊へ帰隊するのだという噂が流れた。こういう情報は誰が仕入れて来るのか分からないか、概ねその通りになるので、我々もその頃になると期末演習を心待ちすることになる。
十二月下旬。期末演習の為、第一中隊全区隊の候補生か軍用トラック何合かを連ねて習志野を出発した。東京から横浜、小田原、箱根を過ぎてその日の夕方、西富士の猪ノ頭廠舎に入った。翌朝起床して東の空を仰ぐと雲一つない快晴の空に、富士はもう山の中腹まで雪を載いて聳えていた。廠舎から見る富士山はあまりにも近過ぎて、さして美しいとも思えない。富士山はやはり遠くから見るに限る。
西富士では戦闘訓練で実弾を使用した。散開、匍匍前進の後、前方六〇〇米に射倒的が十四・五個横に並んでいる。私は狙撃銃(三八式歩兵銃に眼鏡が付いている)を持たされていたので、中隊長が「アレを撃て」「コレを撃て」と命ずるままにその射倒的を全部一発づつで倒した。「うまいナ」と中隊長が誉めてくれた。奈良中学以来の部活動の射撃がこの時役に立ったのである。しかも持っていた銃の性能か抜群に良かったからだった。あの狙撃銃は今でもあれば欲しいものの一つである。また演習の合間に曽我兄弟に由縁があるという音止めの滝や白糸の滝等を見学したのも思い出に残っている。
やがて演習場は西富士から北富士の梨ヶ原演習場へと移った。我々は防禦軍で、第二区隊長の加藤大尉が仮設の中隊長となり、私は中隊附淮尉の役で、その夜は徹夜の演習であった。演習の目的、状況などは皆目分からないか取敢えず中隊長の傍に控えていた。その夜は滅法寒かった。恐らく零下七・八度、いやもっと寒かったかも知れない。陣地構築の為に円匙で蛸壷壕を掘るのであるが、普段、習志野原の演習などではロクスッポ壕を掘ったことのない連中が、寒さのあまりに掘るわ掘るわ、六尺以上も掘ったうえに御丁寧にも階段まで付けている。更に中隊長用・小隊長用、その他中隊附淮尉の壕までを掘っている。兎に角体を動かしていなければ凍ってしまう。耳がちぎれるかと思う程痛い。だから皆タオルで耳を隠すように頬かむりしている。畑を耕している百姓のおっさんそのままの姿だ。中隊長は凍てついた大地にドッカと腰を下ろして地図を広げている。私も仕方がないので、中隊長の傍であぐらをかいて座っていた。その後の状況は覚えていないが、あの寒さだけは忘れられない。
やがて夜のとばりが徐々に上かって、攻撃軍と白兵戦になる手前で、西の空に状況中止の黒吊星(信号弾)が上がった。小さな落下傘を付け黒い煙の尾を引いて落ちてくる黒吊星を見たときは、今までの寒さなどは何処かへふっ飛んで、思わず万歳を叫びたい気持ちであった。それというのも、この黒吊星は陸軍騎兵学校に於ける総ての教育終了のしるしだったからである。後になって同期生達に聞いて見たが、誰に聞いてもあの黒吊星だけは忘れられないと言う。
十二月二十八日。卒業式の日である。全候補生か校庭に整列。型通りの訓示の後、第一区隊の井上候補生に教育総監賞が授与され、我々には一枚の卒業証書か配られ卒業式は終わった。
「教育終了二付キ原隊二復帰ヲ命ズ。同月同日陸軍曹長ノ階級二進メ陸軍兵科見習士官ヲ命ズ。同月同日将校勤務ヲ命ズ。同月同日第一中隊附」全員一斉に校舎へ飛び込んで、直ぐさま階級章を曹長に取り替えた。夢にまで見た憧れの見習士官である。被服、兵器など一切を返納して帰隊の準備は完了した。今夜一晩此処で寝るだけだ。馴染んだ南京虫とも今夜限りである。まあ今夜ぐらいは思う存分血を吸わせてやるか。