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我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 21

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通常 我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 21

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/4/30 6:51
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 中隊長の章 3

 八月六日。広島に「新型爆弾」が落ちて被害は甚大であるという。陸軍船舶練習部や山本旅館、富士見荘などもやられたのではないか。(事実、山本旅館のあった大手町は爆心地であったし、富士見荘もあまり離れていなかったので、共に被害にあった)。

 八月九日。長崎が同じ「新型爆弾」で壊滅したという。本当かデマか私等には確かめるスベもなかった。もう此の頃は、制空権は完全に米軍に奪われ、B29は勿論のこと艦載機のグラマンまで、我物顔に飛び廻っていた。

 私は熊本県の宇土半島の突端三角に船舶部隊があったので、そこへ舟艇受領に出張することになった。
 「本職儀、舟艇受領ノ為三泊四日ノ予定ヲ以テ、熊本県三角二出張ス。云々」中隊日々命令に、一度は書いて見たかった「本職儀」を書いたが、これが最初にして最後の「本職儀」となった。

 八月十三日朝唐津を出発。長崎本線の久保田駅で早速グラマンの機銃掃射を喰らった。あわてて列車を飛び降り機銃弾が跳ね上げる土煙の中を、傍らの防空壕に飛び込んだ。危うい処であった。その日は宇土半島の付根の長浜の旅館に一泊した。
 旅館の二階に沢山の若い女の子がゴロゴロと寝ていた。聞いて見ると皆、前線へ行く慰安婦で、乗る船が無いので待機中ということであった。三階を私一人が占領して蚊帳を吊って寝ていたのだが、退屈しのぎに、二階の女の子を一人呼び込んで色々と話をしているうち、なる様になってしまった。

 翌十四日。三角に着いて海岸に面した旅館に落ち着き、唐津から私の後を追って来る筈の部下を待った。正午前、下士官一名と兵隊二名が汗ダクで到着した。(実に残念ながら、この時来て呉れた三名の部下が誰々だったのか、未だに判らない)

 「オー、よく来た。暑かったろう。皆服を脱いで褌一丁になれ」私も褌一つになって、これからの予定を打ち合わせているとき、空襲警報のサイレンが鳴った。私等は毎日のことなので「また定期便か」と知らん顔をしていた処、港に有った海軍の舟艇がグラマッを目がけて機関砲を撃つたらしい。あたれば良かったのだがあたらなかった。それでそのグラマンの奴が海軍の舟艇に向かって急降下銃撃をした。その異様な爆音に、私はすかさず「伏せろ。」と叫んで畳の上に突っ伏した。

 間髪を入れず機銃弾が部屋の中に飛び込んで来て、壁土をパラパラ。と浴びせられた。爆音が過ぎ去って、周囲を見回して思わず吹き出してしまった。四人とも褌一つの姿で、一人は横の壁にへばりついていたし、他の二人は押入れの地袋に頭を突っ込んで、おまけに毛布をちゃんと被っていた。その格好が面白くて笑ったのだったが、後であの一瞬の間によく遮蔽物に身をひそめたものだと感心したことであった。その晩あまり暑いので旅館の前の浜で海水浴をした。あたり一面が真っ暗なので、一掻きすると体の廻りに、夜光虫がギラギラ″と光って気味が悪かった。早々に引き上げて、寝間に入ったが中々寝付かれない。フト過去を振り返って見た。幸い今日まで生命を保って来たけれど、それは色々な幸運が重なったからだと思ったので、その幸運の一つ一つを数え上げてみた。

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