我が軍隊的自叙伝 緒方 惟隆 13
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見習士官の章 1
翌朝。私達捜索第五十三聯隊の候補生七名は、一装の軍衣袴に私物の刀帯を着け私物の軍刀を腰にして、颯爽と陸軍騎兵学校を後にした。津田沼までの長い道程も今日は苦にならない。何時ともなく誰からともなく帰隊を一日延ばして、明日の晩にしようじゃないかと言い出した。こういう相談は即座にまとまる。誰も反対する者はない。寧ろそれを望んでいるのだ。
誰もが一刻も早く新品見習士官の姿を家族に見せたいのである。明三十日午後十時、京阪電鉄「師団前」駅に集合、揃って帰隊しようということになった。私は京都駅から奈良電車で一目散に我が家へ帰った。正月前の忙しい一日だったけれども、のんびりした気分で一日を過ごし、約束の時間に約束の場所に集合した。そして七名打揃って意気揚々と我が聯隊の正門に向かった。正門歩哨が立て銃のまま、上体を十五度前へ傾けて敬礼をした。「敬礼が違う」と早速誰かが気合いを入れた。歩哨はあわてて捧げ銃の敬礼に変えた。
何はさて置き週番司令に帰隊の申告をしなければならない。週番司令の山上副官の前に横一列に整列して、長谷川候補生が申告しようとした処で「待て」と並べ替えさせられて、私が代表で申告することになった。
「陸軍兵科甲種幹部候補生緒方隆下五名ノ者ハ、幹部候補生集合教育ノ為、陸軍騎兵学校二分遣中ノ処、昭和十八年十二月二十八日、教育終了原隊復帰ヲ命ゼラレ、同月同日附ヲ以テ陸軍曹長ノ階級二進メラレ、陸軍兵科見習士官ヲ命ゼラレマシタ。ココニ謹ンデ申告致シマス」
申告を終えた途端、「今まで何をして居たか」とデカイ雷が落ちた。五人は「アッ」と思った。そして呆気に取られた。何をしていたかは、とっくにお見通しであったのである。今までの意気揚々たる気分は、正に青菜に塩の如く、スゴスゴと週番司令室より退出したのであった。即ち我々の帰隊予定の日時、騎兵学校の卒業成績などは、我々よりも早く原隊に通報されていたのであった。最近になって各期の方々に聞いてみた処、殆んどの期は我々と同じく帰隊を一日延ばしたらしい。
「皆考えることは同じなのだな」と笑い合ったことである。
帰隊してみると、我々の元の原隊(捜索第五十三聯隊)は動員下令で既にこの兵営を出ていて、後は捜索第五十三聯隊の補充隊とな、ていた。十二月二日の転属命令の意味かようやくここで判明した。我々五名は浅井、桑原の二名が第二中隊附となり、川口、長谷川、私の三名が第一中隊に残った。補充隊長は内海東一中佐、第一中隊長は北浦一夫中尉、第二中隊長は福井良盈中尉で、第三中隊はもう無かった。我が第一中隊の中隊附は広田某少尉、上原義三少尉(現三宅義三氏)、私達の教官であった岡田隆夫少尉、竹村哲弥少尉、土田善丈少尉、森島達雄少尉、そこに私達新品見習士官三名が仲間入りしたわけである。下士官以下の顔ぶれも殆んど替わっていて、顔見知りの人といえば、昨年末満期除隊した私の四年兵岡田末次、浅部清の両氏が早くも召集で再入隊。三年兵では私達の助教であった浜口保吉、尾家利男、小堀和美、坂本健一、曾和清の五氏、二年兵では織戸清、佐々木鴻吉の両氏、そして同年兵では川島秀雄、中村実、藤井謙一、吉岡巌の四君が残留していた程度であった。それに第一次学徒出陣の新兵たちが、右胸に小さい日の丸のマークをつけて入隊して来ていた。その中には同志社高商時代の一年先輩の宮脇佑一氏や同級生の大西隆君(共に馬術部員であった)等の顔もあった。彼等はもうすぐ幹部候補生の試験があるので、夜になるとよく見習士宮室へ勉強をしに来た。私は不勉強で典範令などはあまり見たことはなかった。そんな暇がなかったからである。