自分誌 鵜川道子・10
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編集者
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叔父も叔母も人の子を預って居る以上心配だったのだろう、タイプもいいが将来役に立つ洋裁の仕事を手伝ってみないか?と相談をかけてくれた。又外に出たければいつでも捜せばいいからしばらく皆んなと仕事を手伝って見たらと云う。
中学の頃、家庭科の時間に針を持つことが非常に苦手だった自分を知っている以上やれる自信は皆無に等しかった。それなら近くの洋裁学校に少し通って基本だけでも教わり乍ら家の仕事を手伝えばいいじゃないかと云ってくれたので新小岩のマスダ洋裁学院に通ってみることとなった。
院長先生は毎日素敵な衣装を着替えて来る。そして勿論洋裁の基本から教えてくれるのだがイベントもありすごく楽しみな授業であった。美容の大家の山野愛子先生が現れたり、シャンソン歌手の芦野広が来てシャンソンを歌ってくれたのもすごいと思いやっぱり東京だと感心して毎日が何となく楽しく思えるようになった。
午前中で授業が終り家に帰ると洋裁を仕事としている叔母の仕事の手伝いをすると云ってもミシン掛けなどは全然出来ないのでアイロンの掛け方を教えて貰ったりボタン付けやまとめ等であった。
自分では方向転換したつもりでも心のどこかでは納得出来ない気持ちが残っていた。これが運命なのかと思い乍ら生きてゆくことの難しさを考えては悶々とした日々を送っていた。
丁度その頃、信州の田舎での事を思い出したのである。友人宅にアメリカ人の牧師がやって来て誘われるままに興味をもって説教を聞きに行ったり日曜学校に通ったことがあった。
東京、江戸川区で、路傍伝道の一群が家の近くを太鼓を叩き乍ら賛美歌を歌っていた。
急に懐かしさがこみ上げてきて誘われるままにテントの中に入ってゆくと品のいい婦人達が3,4人と青年の男女4,5人位だっただろうか、私のように興味あり気に入った者が何名か居た。 牧師はあまり背の高くない丸顔の中年男性であった。頭の毛の生え際がもう薄くなっていたが顔だけは血色がよく一見して熱血漢と云う印象があった。
伝道しているのを見て私はすごい感動を覚えたのである。日曜日と木曜日の夜は町会の会館で集会をやっているので参加して下さいとのことであった。聖書の話が聞かれると思うと何だか嬉しい気持ちになって仕事が終わると夕食後叔父と叔母の許可を得ては町会会館へと足を運んだ。牧師先生は埼玉から出張して熱心に聖書を述べ伝えてこの地にキリスト教会を建設したいと大きな夢を語ることもあった。
埼玉にも教会と保育園があり自分の家庭や子供のこと教会のことなどもよく話してくれた。夏の頃、埼玉の教会に仲間と大勢で招かれて一日楽しく過ごしたこともあった。牧師の家には物静かな奥様と三人の男の子が居て一番上の子はまこと君と云っていた。保育園の所で仲間と写真を撮った。場所は久喜と云う所だった。埼玉は隣りの県ではあるが江戸川の松江迄週二回出張して神のみ言葉を伝えに来るのは本当に大変なことだと思った。人は心で動かされるのだと感じた。
牧師先生の熱血が信者一人一人に伝わってか集会には出席が多くなり次の年のクリスマスには洗礼を受ける決心をしたのである。世の中はまだまだ安定しているとは云えなかったが教会に集まる同志は老(おい)も若(わか)きも本当に真面目そのものであり心の暖かさを持っている人の集まりであると確信した。そして毎日の生活も仕事もこれで変わるのではないだろうかとそんな気がしたが変わったのは私の心だけであった。もともと不器用な私が一番苦手な仕事をするのだから楽しい世界ではなかったがキリスト教の教えに少しでも忠実に生きようと努力していたことは確かであった。
今思えば私の青春時代は実に聖らかな身と心であったかと思う。これも父の妹とそのつれ合いの叔父のやさしさの故であったと思っている。叔父も叔母もきっと安心して私を見守っていたのかも知れない。