自分誌 鵜川道子・20
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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母の体は自他共に病気の問屋と云われる様な体であったが毎日、毎朝、毎夜お互いに神様の御力を信じ真光業(わざ:ルビ)を施受光するうちに心臓病の発作も、ひどかった咳息の発作もなく便秘の苦しみからは開放され毎日血圧計で計っていた高血圧も正常値となり、うその様に体調が好転して行く姿はお互い感謝と感激に満たされ毎日の会話は喜びに満ち溢れていたのであった。
母も自分の体調のあまりの変化に自分から進んで研修を受講することを希望して上野道場で熱心に勉強することを試みた。母七十二才の夏であった。夫昭は私にとって頼りにならない存在になってしまった。二人の子供達にとっても父親の居ない家庭に祖母と同居することが何となくプラスになると考えられる様になって、母は夜の僅かな時間ではあったが、私達の生活にも心のゆとりを感じさせてくれる存在になっていたのである。
昭和五十五年娘も崇教真光に入信、高校を卒業して希望した東洋英和短期大学にも入学したのだった。翌年二月には父の一周忌があり弟からその旨の通知を受けたので、母と共に長野に行くことになっていた。母は寒い信州に行きたくないと駄々をこねていたのだが父の一周忌に母が居ないと云うことは許されることではないと話し合った。
親戚一同が集まる法要を無事終えて又千葉の地に母を連れて帰宅することが出来たのである 父が亡くなって丁度一年経って母の姿を見た親戚は口々に母が元気になったと云ってくれたので私は本当に嬉しくなって千葉での母との生活が間違っていなかったと確信を持ったのだった。
信州からの帰りに弟から小犬を貰って来た、母の為にも家に可愛い小犬を飼うことが心の慰めにもなるだろうと考えたのである四匹生まれた小犬が一匹残っているからと弟も気持ちを察してくれたのだと感謝して貰って来たのだった。
仕事の為に留守にしがちな我が家の雰囲気も犬一匹でがらりと変わったようににぎやかになりなくてはならない家族の一員となった。犬の成長は早くてひつじの子供のような顔をしていた小犬も半年も経つとスピッツのように真白な毛のフサーとした成犬となった。
母も一日がとても楽しく心のいやしとなっていたようであった。母が我が家の一員となりその上可愛い子犬と一緒の生活が二人の子供達も気持ちはいつもおだやかで、主人の居ない我が家であっても幸せ一杯の生活に変化して行くのがわかった。母とは毎日が感謝と喜びに溢れた生活であった。このように親子が同じ信仰に生きていることで、時々母と一緒に月始祭や月並祭そして元霊魂座に行き同じ神向仲間と交流を持つことも出来て母にとっても唯一の魂の寄り所となっているようだった。そして弟や妹も割合近い所に住んでいたことで大きい安心感があったようである。