自分誌 鵜川道子・11
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編集者
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それから二年経た頃に教会の仲間になった昭と半年くらいの交際の末結婚する事になった。勿論叔母夫婦にも話して長野の実家から父母も呼んで牧師の了解により正月に婚約するとそのまま父母と長野の実家へ帰った。
四月に結婚の日取りまで決めてどうして遠い所へ離ればなれにさせられたのだろうか、あの時は自分の意思は全然なくて父母や叔父叔母の云うことを素直に聞く以外にはなかったのだろうかと不思議に思う。十七歳の春に父母の元を離れて五年間、これでもう親や兄弟の住む家で共に生活をする期間もないのかと思えば父母もたとえ四ヶ月でも手許(てもと)に置いて親らしいことをしたいと考えたのかも知れない。婚約者となった昭も何も云わず新宿駅迄見送りに来たがそのまま別れた。あの時は婚約の記念にと思ったのか時計と手袋をくれたのを覚えている。
そして四月二十七日の結婚式の一週間前迄はお互いが文通のみの交際であった。今思うと本当に不思議に思われて仕方がない。相手のことは殆んど何一つわからないと云ってもいいような交際期間だった。
実際昭の年令だって見かけは30才を越えているかと思われる位に私の目から見ると頼もしく写っていたのだが年を聞いて耳を疑ったほどであった。二十三歳になったばかりであったし兄弟姉妹八人の末子だと聞いて又びっくりする。そして親は父六十九才母七十歳と云い、その父や母が私に逢いたいから家に来るように云われた時は女の私が彼の家に先走って顔を出すことがいいことなのかと迷いとうとう婚約式の時、牧師と一緒に叔母の家を訪問した義母を見たのが初めてであった。父親は中風で歩くのもやっとで来られないと云っていた。
信州には父の妹で小学校教師をしている独身の叔母がいたが丁度結婚の話があって私よりも二日早い結婚式が決まり、父母はいろいろと心配している最中であったがとに角四月は東京での二つの結婚式に出席することが気がかりだったと思う。
私は未だ若かったので別に急ぐ必要はなかったのだが昭の親が高齢者のために私達を早く結婚させたいと思ったのかと今になって思う。昭和三十三年の春のことであった。叔母の家の裏庭に六帖一間の部屋に玄関と台所一帖とトイレのついた小さな家を建てて貸してくれた。叔母夫婦の気持ちを考えると父や母以上に私のことを思いこの結婚の幸せを願ってくれた気持ちが今更乍ら有難いものであったと思い起こすのである。