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自分誌 鵜川道子・17

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通常 自分誌 鵜川道子・17

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/4/13 8:06
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 少しづヽ体も気持ちも元に戻ってゆくにしたがいどこか働きに行きたいと思う気持ちが出て来た。 
 新聞の折込に入って来た募集を見て、食品会社に応募し運よく採用された。食品会社と云うこともあって調理師の免許を取るようにとすヽめたところその気持ちになって調理師学校に通い始めた。会社の帰りに学校で授業を受けて帰宅するのである。そして一年半思えばあの頃が主人昭にとっては今迄にない新鮮な気持ちであったにちがいない。
 そして途中で止めるようなこともなく調理師の免許を自分のものにすることが出来たので本人も何となく希望を見出すことが可能になったのではないかと妻としてはホッとしたところであった。 
 しかしそんな気持ちで過したのも束の間、仕事場ではようやく慣れた自分の居場所を配置転換されたと大変な落ち込み様であった。どうしてこんな気持ちになってしまうのだろうか?職場の中のトラブルを非常に気にしてその為に配置転換をさせられたのだと思い込む様な言葉を洩らすこともあった。
 丁度三年勤務したのだからどこの会社でもその位のことはある筈だと言っても昭は納得出来ず再び会社に行こうと云う気力が無くなっていた。
 体は人一倍大きくても気持ちの小さい主人昭にはとても悩まされ続けて来た私は無理矢理出勤を促す事も出来ず、子供はそれぞれ学校に出かけた後私はいつも通り仕事に出かけるしかなかった。
 私の仕事は区役所のヘルパーで幸い外仕事で一日一日が変化のある仕事なので家に帰る迄は主人のことも忘れて一生懸命他人の生活を援助させて頂いていたのである。
 そして長女はその頃短大に受験して幸い希望校に入学出来て非常に喜んでいたし、長男は高校二年となっていた。幼い頃からあまり私には心配をかけることもなく自分で進路を決めてアルバイトをし乍らでも着実に夢に向かって頑張っていたので、私を支えてくれるに充分な子供達であったのだ。
 昭和五十三年の十二月の初め勤務を終って帰宅し鍵を開けた途端、何と云うことであろうか・・三年前の昭和五十年の魔の一瞬が又、やって来たのだ。
 ガスの臭いが鼻をついた。三年前のこと、まだ忘れていなかったので夢中で救急車を呼び近くまで救急車を迎えに行きそっと自宅に来て欲しいとお願いした。一度ならず二度迄もこんなことをしてくれる主人の気持ちがわからず、それでも見殺しにするわけにもいかないので近くの救急病院に入院させた。
 医師も看護婦も三年前のことをよく覚えていたようで「奥さん苦労しますね!この人はよほどあの世に行きたいのでしょう」と口々に云って「今度はきっと御本人の希望通りになるかも知れませんから奥さんも覚悟していた方がいいかも知れませんよ」とつけ加えて云った。

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