自分誌 鵜川道子・13
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編集者
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丁度その頃、体の変調に気付きつわりが始まって日毎に強くなって二十四才になろうとする夏から秋にかけての出来事であったが私の気持ちの中では子供が生まれたら、昭もいつまでも自分が子供のような気持ちではいられなくなって仕事にも一生懸命になってくれるのではにかと思っていた。
しかし、それは私だけの考えだったのかと後悔する日日が多くなり何ともつらい気持で月が満ちて行った。はがゆく思い乍らも、少しでも経済的に切りつめた生活をと考えながらも勤めていた会社をさっさと止めて近所で見つけて来た内職をすることにした。生まれるその日迄内職をやっていた。作った製品を大きいビニール袋に入れて外に出し書き置きをして夕方産院に入院した。 昭和三十五年三月十五日、十六日の朝方春雷を聞きながらの出産であった。大望の女の子であった。退院した日、田舎の母が手伝いの為上京して来た。結婚式以来二年振りに母に逢ってつい近況報告をし乍ら不安な心境を話してしまった。
夫のことは何一つ知らずに婚約後は離れて暮らした四ヶ月余りが悔やまれていると気を許してしまい母に告げた。生まれて来た我が子を胸にして泣いた私の姿を見た母はどんな思いであっただろうか。母は娘の私がきっと幸せにやっているものとばかり思っていた気持ちを破ってしまったのだろう。母の気持ちを裏切った親不孝な娘だと又情けなくなって泣いていたようにも思う。
が今更夫の昭と別れるわけにもゆかないと云う気持ちはあった。教会で神と人に誓ってしまった私達の結婚であったからなのだ。どんなに苦しくても神は見捨てるようなことはないと信じていたから。娘は美智代と命名した、私にとっては出来過ぎた可愛い子であった。そんな可愛い子供の顔を見ても主人は抱いたりあやしたりすることもせず会社を休んではふらっと家を出て夕方には帰って来ると云う日々は以前と同じで収入は相変わらず最低生活を強いられ給料日まであと三日もあるのに財布の中には三百円しかなく調味料も買えないと云うことすらあった。
子供が出来たら他に家を見つけると云う条件であったので早速不動産屋を歩き日の当たらない部屋で六帖、共同炊事場、共同トイレと云うアパートをさがし当てた。とにかく家賃さえ安い所と云うのが私の第一条件であったから昼間でも電気をつけなければ家具も畳も見えない部屋である。昔引揚げて来た当時土蔵で暮らした事が思い出された。日光が当たらない部屋に住んだお陰で風邪ばかり引いていた。そんな部屋に何ヶ月か暮らしていたが向い側の住人が越して行ったのを機に北側に窓のある四帖半の部屋に換えて貰うことにした。
昭和三十五年の秋であった。三、四カ月住んで年が開け正月三日の夜中普段あまり夜泣きをしない長女が急に激しく泣いて目が覚めた。おむつを取り替え入口の方に歩いた時に突然倒れ込んだ。頭痛がしておかしいと気付いたのはレンタン中毒、酸欠だったと咄嗟に頭をかすめた。夫を起こし娘と三人で近くの病院へ走った。もう少し遅かったら一家三人心中と云う運命待っていたであろうと本当に思った。こんなことがあって狭い四帖半の部屋に住み続ける気持がなくなり又部屋さがしに歩いた。何しろ家賃の安い所ばかりを相変わらずさがし歩いた。赤ん坊をかかえてあまり収入の定まらない夫の働きと内職だけの僅かな収入で短期間に何度も引越しをするのはとてもつらいことだったがそんなことは云って居られない。毎日の生活費に事欠く状態となった。内職と部屋さがし、いつもいつも頭の中はそればかりを考えていた。