自分誌 鵜川道子・25
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
新小岩の崇教真光修験道場の葛和道場長より御神体の御奉戴を勧められ平成六年二月に高山の御本山にて上級研修を許されその年の五月に御神体、九月には伊津能売様の御尊像を拝受させて頂きました。
昭和五十四年夏八月初級研修を受講、翌年三月中級研修を許され、行きついた酒々井の地に新しい住みかと共に神様が共に住んで下さるこの光栄は言葉では云い尽くすことの出来ない感動であり、御縁のすばらしさを頂いていると日々云い尽くせぬ感謝の念で一杯である。
たヾ残念に思ったのは娘の思いにはついぞ添うことが出来ずに最後まで自分の意志を通して平成八年三月江戸川区役所を退職したのである。昭和四十八年から二十三年間、公務員としてのヘルパーを務め上げられたことが何よりも嬉しく仕事によって得られたさまざまの思いをこれからの生活に自分流に生かして、みのり豊かな人生を送って行かれたら最高だと思っている。
しかし娘と共に同居した二年間は正直云って、私の気持ちが娘に伝わらず強引に私が自分の意志を押し通したように思われ批判をされたことである。
この時ほど親の気持ちが通じない親子であったと残念に感じたことはなかった。道路を隔てて別々の向き合った玄関を、異った時間に出入りすることにより話も交わすことも少なくなって来るといよいよ淋しい親子になってしまった様な錯覚になる事もしばしばあった。
退職の<第>一日目から日誌をつけることを心に誓い実行してみようと考えた。学生時代も結婚後も何度か試みて長くは続かなかったことであるが今度こそ我が人生を振り返る最もよい手段を、と考えてのことである。殆どの時間を仕事に追われていたがこの二十年間で楽しい思い出に残る時間も十分に自分のものとしたことである。心の安定を得る為の手段として知人の所に行き生花を教えて頂いたり勤務先の近くに民謡を習いに行き多くの友人達と共に先生を中心に楽しい時間を持つことが出来充分なストレス解消にもなったようである。
それによって私の心の中はいつも明るく少々の辛さや淋しさにも耐え得る力が充分発揮出来ていたのかも知れない。
十五年四ヶ月飼っていた愛犬チーコは退職する一年前の六月に老衰により私の手許から去って行った。元気がなくなった前日の夜の姿のまヽ朝には亡くなっていたのは何んとも悲しかった。ダンボール箱の中に入れ買って来た花で体中を埋め孫の裕紀恵に見せた後畑に運んで桜んぼの木の下に墓を造った。桜んぼの実がつく頃、必ず思い出させて貰おうと云う思いもあってのことである。どんなに私の為になってくれたことであろうか?。今でもあの愛くるしい黒い瞳を忘れることが出来ない。
孫の智章(ちあき:ルビ)にはきっと私の心の中が見えたのだろうか!その年の十月頃「おばあちゃんが淋しがっているから子犬を貰って来たから見てよ」と云って来た。私を思う、やさしい男の子である。智章の父親は私に「お母さんが嫌なら返して来るように云ってあるから無理をすることはない 今のうちに返すように」と云われたが子犬の顔を見た途端、あまり考えることもなく茶色と白の毛の色に合わせて「チロ」と呼んでしまった。孫も一緒になって喜んでくれた。
まだ退職するには半年の間があったので留守の我が家は庭の片隅に子犬が一匹では可愛想なので孫が面倒を見てくれることになった。半年の間に見違える位成長が早く力も付いてきて引張られることもあり少々不安だったので小さい女の子の二人の孫は全然役に立たなくなってしまっていた。
以前我が家で飼っていたチーコの様子とは違いしっかり躾けなければと思うようになった。と云うのは退職し<第>一日目に飛びつかれ後に転び尻餅をついてしまったのである。
それによってギックリ腰の状態になってしまった。ギックリ腰は今迄に何度も経験したとは云え叔母の勧めで通院することになった。一寸した気のゆるみで大変不自由な生活を強いられることになってしまうが今までの体の疲れも一度に出てしまったのかとも思われたので心も体も休める時なのかと半ばあきらめの心境で日々を過していた。
退職後は今までのヘルパーの仕事を町のために生かして行こうと思い社会福祉協議会に申し込みをしていたのだが、何とお呼びがかからなかったのが幸いと気持ちを一八〇度転換し今まで出来なかった様々なことに挑戦してきるつもりになったのは翌年の六月からであった。