自分誌 鵜川道子・24
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
以来仕事の上でも何不自由なく、心から感謝し目が見える喜びを味わっているその頃も主人は相変らず病院生活を続けていたが、若い頃からの糖尿病が年令と共に体を虫ばんでいた様である。医師より病院での食事制限も出来る様になっていた。
娘の家族と同居するようになったことを告げると孫を見たい気持ちが強くなったのか外泊したいと云う。本人の気持ちと娘夫婦の勧めが重なって時々医師の許可をお願いする外泊の回数は増えていた。
しかし私の退職までの時期が残っていて主人の一切の面倒を見ることは出来ないと云うことで退院をさせる迄には至らなかった。
とに角、最後まで自分の仕事を全うさせたいと強く考えていたので中途で退職する様なことは考えていなかったのだ。
一方娘は三人の小さい子供をかヽえて家事に専念しているかに見えたのだったがそのストレスを私にぶつける様になっていた。
娘婿は家族を思い、なりふりかまわず一生懸命働くタイプの男で私の夫とは正反対の人であり全く安心して見ていることの出来る生活を営んでいたので何も云うことはなかった。
娘家族と一緒に生活することを念頭に置いて何とかお互いに気持ちよく生活をするには家も娘婿と二人の名義にし建築費も1/2づヽ負担することにしたのだった、が同居生活は丁度二年間しか続かなかった。
その頃、すぐ目の前に住んで居た人が一家五人の家としては狭いと云うのを理由に手頃な家が見つかったのですぐにでも家を売りたいと云っていると娘が近所のうわさを聞いて来たのだ。
仕事から帰って来ると娘はしきりに、そんな話を持ちかけて来るようになった 「なんでわたしがもう一軒家を買わなきゃならないの?」と初めのうちは娘の云うことなど真剣に聞いてもいなかったのだが、ある日その家の広告が新聞の折込に入って来たのを娘より見せられ「買い手がまかなか見つからず安くなったらしいからお母さん買ったら?」と云う。「住んでる所があるのにどうして私が?いよいよ追い出すつもりなの?」と自分の口から予期しない言葉が飛び出したのだった。
その言葉によって自分でも以外にもこれから先の人生を真剣に考えれば同居よりは夫婦単位の生活の方が我がままな親子家族の為にはトラブルも少なくいいに決まっていると云う声がしきりと頭のどこかから聞こえて来るのだった。習志野の家を売った意味がそれとなく合点がゆき残金の全額を頭金として入れ残りはローン契約をした。
築六年の中古住宅だが家を大事に扱っていた前の住人のお蔭で壁紙を張り替えると気分も新しい家に入ったような喜びに浸ることが出来た。若い頃、家で泣いた人生は全くの神様から与えられた段階的な試練でありこれから住まわせて頂けるこの家も間違いなく神様のおぼし召しとしか云い表わすことの出来ない家なのだと心に感じること一しおであった。