自分誌 鵜川道子・26
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編集者
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腰痛が治ると八街の畑にも行って見たくなりまず黙々と草取りに精を出し徐々に畑に種をまいた。夢中になってやって又腰を痛めてはと自分に言い聞かせ乍ら鍬や鎌を手にしていると頭に思い浮かぶのは信州の地に引揚げて来た頃のことが次から次えと思い出されて今まであまり考えもしなかった父の苦労していた気持ちになった。あの頃の父の気持ちの何百分の一か分からないが、実際鍬を持って知る父の苦労であった。
習志野から引越して来る時、庭から持って来て植えたさくらんぼの木も一時は駄目かと思った枝も知らぬ間に太くなってきていた。いつになったら花が咲き実が成るのだろうか?と思い乍ら楽しみもある。
町の公民館ではいろいろな生活学習をやっていることもわかりいつか習ってみたいと思っていた詩吟教室に自分から申し込んでみた。何しろこれからは一日一日を無駄に過したくないと云う思いが先行した。
職場があった頃は大勢の仲間が居たことで淋しい思いはせずにすんだことに気がつきこれから先のことを考えて新しい仲間との交流があれば楽しく老後の生活が出来そうだなどと考えてのことだ。
京城の国民学校で確か一年生の時の授業中に清原先生から教わった詩吟はあれから五十年も経っているのに忘れられず機会があったらと考えていたような気がしたからだった。
だいたい私は何をやるにしても人から云われず自分から求めていくタイプなのかなと思っている。民謡の先生の門をくヾったのもそうだった。そして二十年以上も先生や仲間との交流を楽しみいい思い出が沢山ある。
仕事をし乍ら崇教真光に御縁をつないで頂いた福祉事務所時代そして民謡、私の人生になくてはならないものばかりである。それに加えてこれからの老後の人生を益々充実して行きたい為の習い事をさせて貰うと心のどこかで叫んでいるようである。詩吟教室に早速二ヶ月前に始めたと云う先輩と親しくなりその先輩は今年職場を退職した人だった。すぐに四月から習い出したばかりの人でこれからよろしくとお互いに挨拶を交わしたのだった。
人の一生は何と早く過ぎて行くものかとこの頃ではそのスピードの速さに驚いている。その詩吟も十二年の間友人と共に楽しんでいる 娘は七年前に幼かった子供達を残し乳ガンを手おくれにして私の目の届かない世界へと旅立ってしまった。その夫は三人の子供と共に一生懸命まじめに働く人である。二人の孫はそれぞれ成人し二十三才と二十一才になった。一番末の孫娘も今年は高校を卒業するので側で見ている私もようやくホッとする年代となった。
人生とは苦労の彼方には必ず幸福が待っていてくれるものなのかと感じ乍らのこの頃である。
長男の方にも二人の高校生と中学生が一人にぎやかに暮らしているようで知らないうちに私も七十三才の年令になっていた。人生とは自分の力だけでは本当に心細いものなのだと考える今日この頃である。
(完)