特攻インタビュー(第5回)・その12
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陸軍水上特攻 皆本義博氏
◆牛島満陸軍大将と大田実海軍少将の思い出(2)
それで、今度は昭和20年3月10日。今の方には解りにくいが陸軍記念日。日露戦争の奉天会戦に勝っためでたい日です。その3月10日に沖縄本島の県立高等女学校の講堂で、陸海軍の水上特攻・水中特攻を集めて兵棋演習やるという命令が来ました。ただし、敵の接近が近いようだから戦隊長は残留せよ。代理者を出せということで、中隊長が3人おりましたが、戦隊長が私に「皆本、お前が兵棋演習に行け」ということで行きました。陸軍の方は7個海上挺進戦隊があって、沖縄本島に4個、慶良間に3個と分かれていました。海軍の方は第二七魚雷艇隊、第二二・第四二震洋隊。それから、第二蛟竜隊という特殊潜航艇を改造した部隊がありました。
兵棋演習が終わって、牛島軍司令官閣下が「いよいよ、これからだ。もう大体皆さん、よく体制ができているようだ。後、ひとつ元気で頑張ってもらいたい」ということで一席設けられました。挨拶される時、牛島閣下は、海軍沖縄方面根拠地隊司令官の大田実少将や連隊長なんかに、ちょっと会釈しながら、「私事に及びますが、私が士官学校長であった時、士官候補生として士官学校におった人、立って下さい」と言うので、私を入れて3人立ちました。そしたら一人一人を、こうやって見られて……。千何百という生徒がおるのに、顔を覚えておられる訳はないけれど、ハンカチを出されて目頭を拭かれましてね。薩摩弁入りで「ようきやった! 有り難うございました!宜しくお願いします!」と。もう皆、大田司令官も大変感動されました。牛島さんは薩摩隼人で……大体九州は焼酎が……私も焼酎をやりますよ。軍司令官閣下はちょっと口を付けられたら、全然、お呑みになりませんで「もう、年寄りはいない方がいいだろう」と帰られました。
そしたら、中将になりたての長勇参謀長が威張りこくっているから「落としてやろう」ということで、第二七魚雷艇隊長の白石海軍大尉に「白石さん。見るところ、あんたが一番先任のようだから、参謀長の胴上げやろうじゃないか。"イチ・二ィ・サン″で、"サン〟と言った時に手を引いて下に落とそう」と言って、私が発案してやりました(笑)。それで、"ドサーッ!〟と落ちたら、長参謀長は体が大きくて、体重も100キロ近くあったんじゃないですか?〝ダダーツ!〟といって落ちましたら、参謀長が立ち上がって「貴様-つー!」って言って、こうやって握り拳を握って追いかけようとしましたが「それくらいの元気があって宜しい!」だけですみました。
その後、私は、大田司令官のところにお流れ頂戴に行ったら3杯くらい頂きましたね。「おい、皆本。いい校長に仕えたなあ」と大田司令官が言いました。大田閣下のご三男・落合唆(正しくは田編)さんは海上自衛隊に入り、湾岸戦争後、最初のペルシャ湾掃海派遣部隊の指揮官になりました。私は彼を知っているものですから、最後の寄港地の総領事館宛てに激励の電報を打ちました。そしたら、落合から"艦上にて〟というお礼の手紙が来ました。今でもそれを持っています。また、落合が海上幕僚監部に来た時、「落合、新宿の店で君に返盃をしたい。君の親父さんから3杯頂いたから、返盃したいから来い」と呼んで、それで、彼の同期生で陸上幕僚監部に来ていた一等陸佐に合わしてやったりしました。そういう関係がございました。