@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

特攻インタビュー(第5回)・その16

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 特攻インタビュー(第5回)・その16

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/4/27 8:10
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍水上特攻 皆本義博氏

 ◆二ミッツ元帥からの贈り物

 皆本‥それと、5月の中旬頃ですか、大型駆逐艦が来ました。こちらに火砲がないから、向こうは悠々たるもんです。で、大型駆逐艦が入ってきたから、我々のところを艦砲射撃で制圧するんじゃないかと思っていましたら、流暢な日本語で「日本の皆さん、薬品ないでしょう。衛生材料も尽きたと思う。ニミッツ太平洋方面最高指揮官の命にょり、海岸に置いていきます。銃砲撃はいたしません」と放送するんです。それで兵隊に「よし、向こうが置いていくならば、それを取りに行こうじやないか」と言ったら、ある下士官が「中隊長殿、中隊長殿は人が良いから、すぐそれに乗る癖がある」と言うから、私は「馬鹿野郎! あのアナウンスは、戦う者のお互いの友情だと思う」と。そしたら、立派な箱入りの医薬品と衛生材料がありました。それを担がせて持って帰りました。村民の方も負傷している兵隊もどれだけ救われたか。これも、シンポジウムで言いましたら、大変、喜んで頂けましたね。ま、そういうことがありました。

 --------アメリカ軍が伊江島に転進した後、渡嘉敷島で激しい戦いは起きなかったのですか?

 皆本‥アメリカ軍も、部隊の一部をもって来て、途中で射撃なんかしましたが、真面目な戦闘行動は、向こうはとらなかったんです。

 --------そうすると、終戦まで島でじっとしていたという感じになるのですか?

 皆本‥はい。ただ、食料なんかがほとんどなくなりましてね。ミニッツ元帥から医薬品を貰う頃、大阪帝大の助教授をやっておられた浮田堅太郎軍医少尉が戦死して、たった一人の軍医がいなくなって困りました。その間に病気で亡くなったのもおりますが、ま、最後まで持ちこたえました。

  条件検索へ