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特攻インタビュー(第5回)・その25

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通常 特攻インタビュー(第5回)・その25

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/5/6 6:47
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍水上特攻 皆本義博氏

 ◆武士道精神を重んじた二ミッツ元帥(3)

 私が市ヶ谷で幹部学校の教育をやっていました時に、すぐ前に戦史室がありました。戦史室長が西浦進先生でした。西浦さんは、服部卓四郎・堀場一雄とともに陸士34期の三羽烏と称されましたが、その筆頭が西浦さんです。西浦さんの書いておられる中で感銘したのが「上級者の不勉強」。陸軍の場合、中佐・大佐になってからの勉強が足らんと。で、観念論だけで動いておると。歩兵操典を作ったが、これは戦場とか部隊経験のない者が起草しておると。こういう点で勉強が足りなかったのが、日本を追い込んだということを西浦先生が書いておられます。西浦先生から毎日、指導を受けました中で「おい、皆本君。帝国陸軍は視力1・0以上ないと士官学校に採用しなかった。視力0・8や0・7の人は士官学校に入れなくて陸軍経理学校に行った。経理学校に行った人と士官学校に来た人の頭脳を比べると、経理学校に行ったのがはるかに上だった。これは、たいへんな損失をやってる。返す返すも残念だ」ということがありました。私も防衛庁におる時、防衛大学校の採用の身体検査で、視力はいくつだ?と聞いたら1・0だという。昔を踏襲していていると思ったから、生活様式が変わっているのにこれではいかん!と。西浦先生から教わっていたから0・8まで下げようと。部下を使って、運輸省で民間ジェット・パイロットを調べさせたら、0・6まで下げていましたよ。コンタクト・レンズを使っていますからね。

 で、海と空の課長たちを集めて言ったら「皆本さん! あなた、眼鏡かけた戦闘機のパイロットを、見たことあるか?」……海上の課長は「艦上に立って潮風を受けると、眼鏡が乾いて見えなくなる」と。だから当然ダメだ、ということで内局に行ったら、教育課長、人事第一課長、人事第二課長、みんな眼鏡をしてるでしょ (笑)。この人たちと一緒に変えてやろうと決意してすすめましたよ。航空が「とにかく視力を落としたら、パイロットに差支えがある」と言ったら教育課長が……後に事務次官をやって防衛大学校長もやった夏日晴雄さんが「何だ! 防衛大学校はパイロット養成学校か!そうしないために俺は苦労して航空学生制度を設けたんだ!」と。で、私が多数決でいきましょうと言ったら4対2ですよ。私が目の視力改正の発案者。内局の人3人と安堵した。それで嬉しかったのは、昭和52年3月15日、京都大学から防衛大学校長になられた有名な猪木正道先生から素晴らしいトロフィーを頂きましてね。その晩は浦賀でご馳走になりました。

 また、西浦進先生から聞いたのは「昔の明治時代は幅があったよ。陸軍大学校に合格したら、支援兵種の工兵と砲兵は3カ月遅れで入校して良かった。その間、歩兵とか騎兵の人なんかは普通学の他にそういうことも勉強させた」と。その後は十杷一からげでしょ。やはり、西浦先生が言われるように勉強が足りなかった。そのままやってきたところに、作戦運用要諦に問題があった。だから時間があれば、靖囲偕行文庫とか偕行社に置いてある西浦進先生の本を読んでほしいですね。

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