特攻インタビュー(第5回)・その20
投稿ツリー
-
特攻インタビュー(第5回) (編集者, 2012/4/9 7:58)
- 特攻インタビュー(第5回)・その2 (編集者, 2012/4/10 8:30)
- 特攻インタビュー(第5回)・その3 (編集者, 2012/4/11 7:42)
- 特攻インタビュー(第5回)・その4 (編集者, 2012/4/12 7:57)
- 特攻インタビュー(第5回)・その5 (編集者, 2012/4/13 8:52)
- 特攻インタビュー(第5回)・その6 (編集者, 2012/4/14 10:06)
- 特攻インタビュー(第5回)・その7 (編集者, 2012/4/15 12:27)
- 特攻インタビュー(第5回)・その8 (編集者, 2012/4/16 6:11)
- 特攻インタビュー(第5回)・その9 (編集者, 2012/4/17 6:54)
- 特攻インタビュー(第5回)・その10 (編集者, 2012/4/18 7:00)
- 特攻インタビュー(第5回)・その11 (編集者, 2012/4/19 8:05)
- 特攻インタビュー(第5回)・その12 (編集者, 2012/4/20 8:02)
- 特攻インタビュー(第5回)・その13 (編集者, 2012/4/21 7:01)
- 特攻インタビュー(第5回)・その14 (編集者, 2012/4/22 8:49)
- 特攻インタビュー(第5回)・その15 (編集者, 2012/4/25 8:26)
- 特攻インタビュー(第5回)・その16 (編集者, 2012/4/27 8:10)
- 特攻インタビュー(第5回)・その17 (編集者, 2012/4/28 9:05)
- 特攻インタビュー(第5回)・その18 (編集者, 2012/4/29 6:28)
- 特攻インタビュー(第5回)・その19 (編集者, 2012/4/30 6:51)
- 特攻インタビュー(第5回)・その20 (編集者, 2012/5/1 6:41)
- 特攻インタビュー(第5回)・その21 (編集者, 2012/5/2 11:43)
- 特攻インタビュー(第5回)・その22 (編集者, 2012/5/3 6:55)
- 特攻インタビュー(第5回)・その23 (編集者, 2012/5/4 7:26)
- 特攻インタビュー(第5回)・その24 (編集者, 2012/5/5 9:22)
- 特攻インタビュー(第5回)・その25 (編集者, 2012/5/6 6:47)
- 特攻インタビュー(第5回)・その26 (編集者, 2012/5/7 7:28)
- 特攻インタビュー(第5回)・その27 (編集者, 2012/5/8 6:55)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
陸軍水上特攻 皆本義博氏
◆海外から見た特攻、
--------特攻について、今でもいろいろと語られていますが、皆本さんから見ると間違った意見も多いと思います。戦争を知らない世代の日本人や海外の人たちに特攻を、どのように伝えたいとお考えでしょうか?
皆本‥特攻という行為に非常に感銘を得たという人がいることは事実です。
例えば、アメリカの歴史家で伝記作家のスティーヴン・アンプローズ(Stephen Edward Ambrose) 博士と会う機会がありました。アンプローズ博士は、皆さんご承知のノルマンディー作戦を題材にした映画『プライベート:フイアン』の軍事アドバイザーをされた方です。本当はスピルバーグ監督と会う予定でしたが、どうしても都合がつかないということで、アンプローズ博士が私に会いたいと。平成13年3月19日、アンプローズ博士が来まして、新宿のセンチュリーハイアット・ホテルで3時間、話をしました。いろいろ話しておりましたら「日本の特攻作戦についてどう思うか?」と聞くので、「あなたは会津若松の白虎隊を知っているか?」と言ったら、ちょっと解らなかった。それで、非常に英語に堪能な女性が、一生懸命に説明したら「わかった」というわけで握手をしましてね。非常に日本の、それは大事な事だと。私は特攻隊に行く人はそれだったという気がしておりました。
それから、先ほども申し上げたアメリカ・フレデリクスハーグで行われた「太平洋戦争・沖縄シンポジウム」でのことです。終わって帰る時にビル・ボールズ退役空軍大将が近寄って来まして、涙を浮かべながら「皆本が戦った沖縄の島で、315名の老若男女の人が島を守るべく果てていかれた。私が生まれたのはサン・アントニオだ」……サン・アントニオはテキサス州の南部にある人口130万人くらいの都市です。有名な「アラモの砦」の舞台です。1836年、テキサス住民がメキシコと独立戦争をやりました。そして、アラモの砦を守っていた全員が城を枕に討ち死にしました。で、ボールズ退役空軍大将は「皆本、私はサン・アントニオ生まれだ。だから、アラモの砦で果てた先輩の伝統を私は継続していきたい」と。そして「沖縄の島で果てられた方々と、サン・アントニオでアラモの砦で果てられた人は全く同じだ。命を賭けて郷土を守る。こういう事こそ、世界平和を本当に担えると思う。ありがとう」と涙をポロポロ流して……私は、非常に感銘を受けました。
--------戦後も沖縄に行きましたか?
皆本‥はい。慰霊祭にしょっちゅう行っておりましてね。それで、平成17年12月15日、キャピタル東京ホテルで、イギリスのサー・マックス・バッシングス博士に会いました。この人は「ナイト」の称号を持つ有名な学者です。バッシングス博士は沖縄戦、水上特攻の体験を聞きたいということで会ったんですがね。会う前に靖国神社に行きまして、英文の資料を集めました。それで靖国神社の話をしたら博士が「すでに私も靖国神社に参って来て、英文資料を持っている」と。私は、瀬島龍三さんが浄土真宗本願寺派の全国の門徒総代をやられていた関係もあって、地域の門徒総代をやり、東京教区の教区会議員でした。それで博士に、御本山から「浄土真宗」と「親鸞」という英文の厚い本を持って来て差し上げましたら、喜んで受け取ってくれました。そして、別れる時に、掛けてあったコートを持って来て羽織らせて頂いたら、敬礼をしてくれましてね。
だから、やっぱり、日本の学者の先生方も、命を賭けて守るという行為を善意で解釈してやって戴きたいと。大江健三郎とか、あんな連中なんかに汚染されているみたいな気がします。平成18年11月27日に、ダニエル・キングさんという方が「沖縄戦の体験を聞きたい」ということで来ました。彼は若い時、10年間日本に住んでいたから、「今日は日本語でいいよ」と言われて話しましたが(笑)。こういう方々と接しておりますが、当時の日本の「いざという時に戦った」。これは非常に評価して頂いておると、私は芯から思っております。