特攻インタビュー(第5回)・その18
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編集者
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陸軍水上特攻 皆本義博氏
◆特攻の背景(1)
--------特攻作戦が、あの戦争で始まって、その後、終戦まで続けられた背景というのは何だったとお考えですか?
皆本‥一つは沖縄戦の特色ですね。大体日本は「国土戦」という経験がないんです。私の生まれた熊本の菊池は、熊本に近いから、私の生まれた家の土蔵に官軍の弾薬箱を預かっていました。で、西南の役で薩軍が熊本城に攻めてくると、農家の人は、危ないから竹山に米俵を積んでその中で避難したという。それ以外は外征作戦だけでしょ。それで、ヨーロッパを見ますとね。ヨーロッパはたとえば、イギリスはあまりないが、フランスとかドイツとかイタリアとか、あの辺はもう国境を接しているし、国土戦の経験が豊富なんです。ところが、日本でそれが全くなくつて、元冠で日本に攻めて来ましたね。この時に攻められたくらいでしょう。全く国土戦の経験がなかったっていうこと。もう一つの特徴は、沖縄戦は陸軍と海軍との戦いであると。陸軍同士の戦は、日清・日露以来、満洲とか中国などで経験を踏んでいるけど、海軍と陸軍の戦いというのは全く様式が違う。その認識が無かった。
それから日米の戦力差。アメリカが日本に来てまとめた戦略爆撃調査団報告書というのがあります。日本は負けて、もう全部オープンにせざるを得ないから全部調べ上げて、実によくまとめてあります。これを見ますと、日本とアメリカの戦力比が違いまして、特に沖縄戦の海軍力比較を見ますと、日本で沖縄戦に参加したのは戦艦「大和」、それから巡洋艦「矢矧」、それからあと駆逐艦8隻。アメリカは戦艦15隻、航空母艦が特設空母を入れて18隻。巡洋艦が26隻、駆逐艦が265隻、それから潜水艦が130隻です。さっきも言いましたが、豊後水道の入り口で潜水艦が網を張っていました。その他に、最新鋭の艦載機が900機。で、沖縄に出撃した日本の陸海軍特攻機が2393機。昭和20年1月の日米保有の海軍機を見ますと、日本が6659機、アメリカは何と4万893機で、その上、向こうの方が性能が抜群に良い。集積弾薬が、日本は一会戦分で1万5000トン。アメリカは201万6000トンです。それで陸軍兵力は、日本は第九師団を転用したから2個師団、約10万ですね。アメリカは海兵隊を入れて上陸したのが32万。こういう状況になっとります。
それから沖縄戦の場合、戦略的意義が陸海軍で一致していなかったんです。当初、第三二軍は航空基地の設定を主任務とし、それでいいと判断した。戦いはフィリピンとか他でやる。沖縄までは来ないだろうという捷二号作戦とした。捷一号というのがフィリピン方面。捷二号が沖縄の連絡圏域。捷三号が北海道を除いた日本本土。捷四号が北東、千島・樺太付近。一号から四号の捷号作戦とし、そのうち昭和19年7月に、大本営陸軍部が本土決戦、大本営海軍部が天号航空作戦と決し、第三二軍は戦略持久とした。さっき言いましたように、飛行基地あたりを警備しておればいいというような発想でやっていた。
さっき言いました日米戦力で、海軍戦力を見ますとね。昭和16年2月、大東亜戦争が始まります前、日本が持っている海軍機が3116機、アメリカが3600機です。まだ戦が始まってないこの頃はほとんど同じ位ですね。昭和17年1月∵、、ツドゥエー作戦の境になると、日本が60に対してアメリカが100という比率です。昭和20年1月には、先程触れました16対100の違いがありました。そして、日本海軍の艦艇の増減は、昭和19年、新規就役が45万トン、損耗が100万トンです。
昭和20年に内地にいた海軍兵力は戦艦が3隻で、ほとんどが燃料不足です。それから航空母艦が4隻。巡洋艦が1隻。いずれも燃料欠乏。また、生産力が違った。昭和20年、空襲を考慮外としても、前年の昭和19年に比べると50%に落ちている。生産力が落ちたのは、爆撃の直接効果が29%。爆撃の間接効果、すなわち欠勤・傷害で長久に渡る混乱が39%。一般経済状況、燃料不足、器材の老朽化、食料不足で32%。そういうところの違いがありました。
食料も問題でしたね。調べますと、昭和16年は日本人一人当たりのカロリー摂取が2000kC a l、アメリカ3400kCal。昭和19年は日本が1900kC al、アメリカは同じ3400kCal。昭和20年、日本は1680kC al、アメリカ3400kC al。アメリカ人に言わせると、1680kCalは、入院患者が摂取するカロリーしかなかったと。これについて、思い出深いことがあります。戦後、アメリカに留学して、ワシントンの近くのフォートベルボアtにおりました。日本大使館に陸海空の駐在武官がおりますが、陸自の田中光祐一住の所に、よくお邪魔していました。田中さんは「俺の親父も、実は大佐時代にアメリカの駐在武官をやった」と、浴衣掛けで一杯、チビリチビリやりながら話してくれました。そして、「どうして東條さんとか偉い人が、アメリカを見なかったか」と。ドイツとかイタリアとかフランスだけ見て、あっちだけしか見ていないことに問題があるということです。彼のお父上は終戦時、東部軍管区司令官であった田中静壱大将閣下。近衛師団の不祥事があったから責任をとって自決されました。