私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.442] Re: 関口・初等ドイツ語講座 投稿者:   投稿日:2011/12/05(Mon) 18:31
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      男爵さん、みなさん。

    > >  大むかし、関口存男(つぎお)という方がいて、みなその参考書を使ったような気がします。

    > この本は持っています。
    > とりあげるかどうか迷っていたのですが
    > 唐辛子 紋次郎さんが取り上げてくださいました。

     あっ、そうなんですか。男爵さんが取り上げる予定だったんですか。それはどうもすみません。あっしは、『本』と直接関係ない書き込みがつづいたので、その『罪滅ぼし』の心算で、あの『本』を取り上げたのですので、どうか悪しからず。

     ところで、もし同上の本の旧版をお持ちでしたら、その写真をアップして頂けませんか。スゴク見たいです。(*^_^*)

    > 良い本です。

     あっしも、そう思います。


    [No.441] 大鏡 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 15:59
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    文徳天皇即位(850年)から後一条天皇の万寿2年(1025年)に至るまで14代176年間の宮廷の歴史を、藤原北家とくに道長の栄華を軸にして
    大宅世継(190歳)と夏山繁樹(180歳)という長生きな二人の老人が雲林院の菩提講で語り合い、そばで聞いていた若侍がチャチャを入れるという
    当時としてもナウイ対話形式で書かれている。

    司馬遷の史記にならい
    人物の伝記を連ねて歴史を述べるという紀伝体で書かれている。

    藤原道長は
    父の兼家が摂政になり権力を握るとそこそこに栄達するが
    五男であれば、道隆、道兼という有力な兄がいたたのでさほど目立たない存在だった。しかし、兼家の死後に摂関となった道隆が大酒で、道兼が伝染病により相次いで病没。それから、道隆の嫡子伊周(これちか)との政争に勝って左大臣として政権を掌握した。

    一条天皇に中宮定子(道隆の娘)がいたのに
    権力を握った道長は一条天皇に長女の彰子を入内させ中宮とさせた。

    定子と彰子との対決は、清少納言と紫式部の対決を呼ぶことになる。
    しかし
    彰子は自分の子が次期天皇になることは希望しなかったという。
    道長が強引にことをすすめたらしい。


    [No.440] 海野十三:浮かぶ飛行島 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 11:01
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    浮かぶ飛行島は
    現代なら関西空港がそれに相当するだろう。

    軍事技術も平和に応用すれば役に立つ。

    南シナ海に浮かぶ飛行島
    それを探る川上機関大尉は、まるで007のような存在。

    おもしろいから一気に読める。

    昭和13(1938)年
    「少年倶楽部」1月号から12月号まで連載。


    [No.439] 今昔物語 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 07:57
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    むかし天竺にウサギとサルとキツネがいた。
    三匹は前世の罪でこのような賤しい姿に生まれ変わったことを嘆き
    来世ではそのようなことにならないよう、まじめに菩薩道を行っていた。
     これを見た帝釈天が、彼らはどこまで菩薩道を行っているのか試そうとした。
    帝釈天は一人の翁に変身すると三匹の前に現れて「自分は年老いて家も貧しく食べ物がない。何か食べるものがもらえないだろうか」と頼むのだった。
     哀れみの心からサルは木に登りクリや柿、梨などの果実や木の実を採り
    キツネは墓所に出かけて、供え置かれたアワビや鰹などを探して持ってきた。
    しかしウサギだけは何も食べ物を見つけられなかった。
     もはやこの身を捧げるしかないと思ったウサギは「おいしいものを探してくるから火をおこしておくように」と言って仲間に火をたかせると、再び食べ物を探しにいった。
    やがて何も見つからずに帰ってきたウサギは覚悟を決めて、翁に向かって
    「食べるものが見つからなかったので、どうか自分を食べてください」と言って、その火の中に飛び込んでしまった。
     帝釈天は元の姿に戻ると、ウサギの勇気ある菩薩道の実践に感心し、火の中に
    飛び込むウサギの姿を月の中に入れた。それから月にウサギが住むようになったという。

    貧しい修行僧が丹後の成合の観音の霊験あらたかな寺にこもって、仏道の修業にはげんだ。
    そのうち雪が降って深く積もったため、里に下りることができなくなった。
    持参した食べ物もなくなり飢え死にするしかなかった修行僧は観音に祈った。
     すると外には狼に食われた猪があるではないか。
    修行僧はこれは観音が与えてくれた食べ物だと感謝するが、肉食は仏道で禁止されている。
    とうとう飢えに勝てない修行僧は猪の腿の肉をむしりとって、鍋て煮て食べてしまう。
     やがて雪もやんで、僧を心配した村人たちが山を上って寺にやってきた。
    修行僧は慌てて鍋を隠そうとするが間に合わない。
    村人が何を食べたかと鍋の中を見たら、檜の木片が入っていた。
    そして村人は観音の腿の部分が切り取られているのを見つけた。
    修行僧もそれに気がついて、あの猪は観音の化身であったことを知る。
     この一部始終を村人に話すと、誰もが観音の慈愛に涙を流した。
    修行僧が観音の前に座って、観音の姿が元に戻るよう祈った。
    すると観音の腿は元のように(かさ)成り合って戻ったので、これ以後
    その寺を成合と呼ぶようになった。


    [No.438] Re: 歴史の読み方人間の読み方 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 05:24
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    > 歴史の読み方人間の読み方
    >
    > 谷沢永一 司馬遼太郎 会田雄次 渡部昇一

    (谷沢)昭和初期の膨張意欲、これを逆に支えたものに「日本後進国劣等主義論」というのがある。これをいいはじめたのは北村透谷である。

    彼は、あらゆる改革、革命は内発的であるべきだ、ところが、日本の明治維新という革命は外圧のもとにあった。したがって、外圧でできた改革、革命はすべてにせものである、というのであった。
    要するに、マンチェスターから発生したイギリス資本主義だけが世界正統の資本主義、近代国家である。後でおくれていった国は全部劣等国であって、かつこれは劣等国という焼印を押されて、生涯いくら努力してもだめなんだという悲観論を、透谷が唱えるのである。それを、明治の終わりになって夏目漱石がそのまま採るのである。

    (谷沢は、そんな議論からいったら、永遠に後進国は精神的独立を得ることができなくなる。日本近代文学の学界では、透谷と漱石を二百パーセント崇拝することが一番主流になっている。だから、それをいっぺん国際会議に行って発表したらどうか。それは、今日の発展途上国に対して死刑宣告をすることになるわけだ)

    (谷沢)トインビーの筋書読むだけでもわかるように、あらゆる文明というものは、起こって滅び起こって滅びして、その間に必ず交流があるわけだから、まったく自主独立、百パーセント自発の改革なんてこの世にあり得ない。この世にあり得ないそういう模範像を、透谷は頭の中だけでつくり上げ、それに肉感を与えたのが漱石である。

    漱石はロンドンでノイローゼになって、うらみ骨髄だから。その体験が一つの劣等感として大正期にずっと沈みこむわけである。他の知識人も沈みこんだ。

    青年将校は、もちろん透谷も漱石も読んでいなかっただろう。けれども、日本の高度の知識人が全部そういう劣等感を論じることにマゾヒズム的な快感を覚えてくるわけである。それを見ていたら、こいつらに日本を任しておったらだめだという気持ちになるのは力学的に当然だと思う。

    一方、青年将校がだんだん影響力を持ち始めたころに、マルクス主義がはやる。マルクス主義は革命理論だから国を破壊する理論である。元来が劣等感の上に、国を破壊する理論が乗っているわけだから、これは日本中にガン細胞が深く侵出したようなものだ。そのガン細胞の一番の根本は、東京の本郷にありというふうに考えがいくのは、ある程度、私はわかる気がする。

      本郷発のがん細胞説ですね。 これに対して反論したい人もいるでしょう。


    [No.437] 歴史の読み方人間の読み方 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 05:20
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    歴史の読み方人間の読み方

    谷沢永一 司馬遼太郎 会田雄次 渡部昇一

    日露戦争の時、いわゆる満州はロシア領になりつつあって、そのことは非常に内藤湖南にとって痛みだったということである。
    日露戦争というのは、両軍にとって戦場が限定されていた。戦場は清朝からの借り物であったから、はみ出ることはできなかった。
    たとえば秋山好古が騎兵隊を出そうとした時、敵に見つからないようにするにはうんと迂回しなければならない。
    そうすると、借りていない地域を通過することになり、非常にアンフェアなのでつらかったという。そういうリングのある非常に不思議な戦争だったが、結果としてロシアを押し返した。

    もし、あのままロシアに居座られていたら満州、すなわち今日の中国東北地方はどうなっていたか。満州は清朝の故郷であることは確かだが、ロシア人にとっては沿海州と似たような無主の地だという意識があった。
    というのは、清朝は中国内陸部にとっては異民族で、おまけに人口は六十万ぐらいしかいないわけだから。そういう、有主ではあるけれども国際法的にちょっと希薄だという地域だったから、ロシアが入り込んでいたと思われる。
    私は(司馬遼太郎)、日本の近代、とくに昭和を考えるとき、日本人が悪くなったのはいつ頃からだろうかというと、日露戦争に勝った瞬間からだ、この時からばかが浮かれはじめたように、敵であったはずの帝政ロシアの侵略主義をひどくハイレベルな近代思想だと錯覚し、それを継承してしまった感じがする。

    (谷沢永一)そうだと思う。問題は、ポーツマス条約が済んだ瞬間、私はこの歴史的な一瞬だと思う。この時、日本の政府に「実は...」という種明かし、すなわち本当の日露戦争の内幕を国民に発表するという勇気がもしあったら、これは大きかったであろう。

    (司馬)大きかった。本当にあなたの言うように、当時のジャーナリズムにも自主性があって、日露戦争が終わったとたんに、陸海軍および政府も協力して日露戦争の本当はこうだったということを種明かしすれば、非常に健康な国になったと思う。リアリズムがそこで成立していたはずである。


    [No.436] Re: 人間、とりあえず主義 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 20:29
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    BUPさん   コンバンハ

    なだいなだ
    あちこちに関連していますね。

    そういう年齢ですね。
    北杜夫は亡くなりました。


    [No.435] Re: 人間、とりあえず主義 投稿者:BUP  投稿日:2011/12/04(Sun) 19:30
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    コンバンハ  なだいなださん関連で、ご参考までに。

    http://6410.saloon.jp/
    以下、引用
    ■老人党とは?
     老人党は、作家・精神科医のなだいなだが提唱して立ち上げられた、インターネット上の仮想政党(ヴァーチャル政党)です。老人党開設のいきさつについては、なだいなだの著書『老人党宣言』(筑摩書房)に詳しいので、ご覧ください。『なだいなだのサロン』にも老人党開設当時の関連記事があります。


    [No.434] 鉄道唱歌殺人事件 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 19:13
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    木谷恭介:鉄道唱歌殺人事件

    こんなことが書いてある。

    山尾酒造は儲けるだけ儲けて、罪ほろぼしに城山学院をつくった。
    白鶴はいまの灘高校をつくった。
    黒松白鹿は甲陽をつくった。
    関西の進学校は灘、甲陽、城山、みんな酒造メーカーがつくりよった。

    鉄道唱歌ができたころは、灘、西宮の酒は池田、伊丹を凌駕しとった。


    [No.433] Re: 人間、とりあえず主義 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 18:15
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    > > > なだいなだ:人間、とりあえず主義

    ノーマン・フィンケルシュタインの「ホロコースト・インダストリー」を読む。
    この本の著者もアウシュヴィッツ生き残りを両親にもつユダヤ系アメリカ人である。

    この本のテーマは、ナチスによって行われたホロコーストがイスラエルという国家を弁護するために用いられている大文字のホロコーストに、いかにすりかえられていったかの検証である。

    ユダヤ人は確かにドイツで史上まれに見る迫害を受けた。それはまぎれもない事実だが、だからといって、かれらはそれによって特別な民族になり、すべてが許されるようになったわけではない。

    しかし、現実のイスラエルはどうか。世界のあちこちで似たような状況が怒れば、非人道的だ、人類に対する犯罪だと、国際的な非難を浴びそうなことをしている。

    だが、イスラエルは、他の民族がやるなら咎められるべきだが、自分たちは特別なのだ、と主張する。そしてやめようとしない。
    それは
    「イスラエルの場合は特別なのだ。なにをやっても許されるのだ。なぜなら自分たちはホロコーストの犠牲者だから」
    という主張に国際世論が沈黙させられてしまうからである。

    このようにイスラエルの行動の弁護の道具になったのが大文字のホロコーストであり、その運動の中で大きな役割を果たしたのがエリー・ウイーゼルだ。
    このノーベル平和賞受賞者は、世界のあらゆるところに顔を出し、イスラエルを批判する人間に反ユダヤ主義のレッテルを貼り、イスラエル批判を封じ手歩いている。日本でもなんでこの人がと思われる人物が、かれに反ユダヤ主義者のレッテルを貼られた。

    なだいなだも、この本を紹介することで、反ユダヤのレッテルを貼られる日も遠くないだろうとなだ本人が書く。

    アメリカ在住のユダヤ人社会の、このホロコーストのイデオロギー化、あるいは宗教化、そして賠償請求によるビジネス化を、フィンケルシュタインは「ホロコースト・インダストリー」だという。

    この運動あるいはビジネスは、1967年の中東戦争以後の、和平の先行きが不透明になった時代に生まれた。

    そしてこれこそが、中東和平の障害物になっているのだ。

       こんな人物がノーベル賞受賞者とは。いいんですか。みなさんはどう思いますか。


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