私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.112] Re: 新約聖書 投稿者:   投稿日:2011/11/16(Wed) 10:17
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       男爵さん、みなさん、こんにちは。

    > 日曜学校では讃美歌も歌ったのでしょうか。
    > どんな讃美歌を覚えていらっしゃいますか。

     たくさん歌いましたがみんな忘れました。よくリーダーのひとが「讃美歌の321番を開いてください」とかいって、あっしらはいわれるままに、それをつぎつぎ歌いました。

    > >  ドイツ語では、ルカはLukasというようですね。(*^_^*)
    >
    > 映画 スター・ウォーズの主人公の
    > 少年ルーク・スカイラークの名前ルークがルカに相当しますね。

     それは英語の話ですね。 福音書のはじめはマタイなので、グーグルのオンライン辞書で引いてみました。ところが、

     Matthew(英)のイタリア語変換ではただしくMatteoと出るくせに、Matthewをドイツ語
    に訳せと云うと、横着をきめこんで相変わらず、Matthewのままです。そこで手元の
    独和で該当のところを見るとちゃんとMatthaeus(発音はマテーウス)と出てきます。

     やはり、グーグルはアカンのか。(-_-;)

     ところで、マテウスがマタイなら、むかし酒屋で見かけた丸くて平たいビンに入った
    ポルトガルのワイン、マテウス・ロゼのマテウスはマタイのことだったのか。たぶん
    そうでしょうね。あっしはロゼは飲まないけれど。

     


    [No.111] Re: 吾輩は猫である 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/16(Wed) 10:13
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    マーチャン みなさん   こんにちは

    > >  迷亭さん、寒月さん なんて洒落たハンドルの方が登場して
    > >  あること、ないことを語ってくださったら、面白そう。

    > 寒月がバイオリンを抱えてなるべく人に見られないよう歩く姿を思い出します。
    > あるいは
    > 椎茸を食べて前歯が欠けたこと。金田一京助も葉が悪いから豆腐ばかり食べたそうです。

    また間違い発見。
    金田一京助も歯が悪いから豆腐ばかり食べたそうです。
    息子の春彦が釧路に行って宿に泊まった時に、色紙に何か書くことを頼まれて
    「啄木は小奴、京助は冷奴」と書いたそうです。楽屋落ちでしたと本人が書いています。

     迷亭がデタラメなことばかり言うのも面白いです。
    しかし、迷亭の職業は何だったのか、収入はどこからというのが今になって気になります。

    「吾輩は猫である」のように疲れたときに読む本が何冊かあるといいです。
    心の栄養剤。


    [No.110] Re: 誰のために愛するか 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/16(Wed) 07:52
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    > 曽野綾子:誰のために愛するか
    >
    > 気になる文章がいくつも書いてある。
    > 愛読書というよりは人生の参考になることが書いてある本である。

    お金をもうけるのは、貧乏から解放されるためだ。
    千円を落としたために、どうてんしてしまい、数日間考えごとができなくなった、というような侘びしさから自分を自由にするためだ。
    出世がいいとすれば、自分はダメな奴だったんだと思うひがみから解き放されるためである。
    自分に自信のある人ほど威張ることはない。
    つまりそこでも、人間は自由にふるまえるからである。
    そして、名誉をも得た方がいいとすれば、それが人間にとって、実は予想外にむなしいものであることを知って本来の慎ましい人間の感覚を取り戻すためである。


    [No.109] Re: 新約聖書 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/16(Wed) 06:13
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    唐辛子 紋次郎さん  こんにちは

    >  新約聖書といえば、こどものころ短期間だが、日曜学校へ通っていたことを思い出します。そして福音書記者の名前の覚え方、マタイ、マルコにルカ、ヨハネ…を鉄道唱歌のメロディーにのせて暗誦することを教えられ、一生懸命に覚えようとしたあの日々も、今では遥か彼方へと飛び去ってしまいました。

    マタイですが英語なら
    「赤毛のアン」のマシューにあたるのでしょうか。

    日曜学校では讃美歌も歌ったのでしょうか。
    どんな讃美歌を覚えていらっしゃいますか。

    >  ドイツ語では、ルカはLukasというようですね。(*^_^*)

    映画 スター・ウォーズの主人公の
    少年ルーク・スカイラークの名前ルークがルカに相当しますね。

    > ☆ ことしウィーンの宿では、バイブルのかわりに、仏典が入っていた。日本人に人気のホテルなどは、意識して仏典を置くようにしているのかもしれません。

    日本のホテルにも聖書と仏典の置いてあるホテルもあります。


    [No.108] Re: 新約聖書 投稿者:   投稿日:2011/11/15(Tue) 22:34
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     新約聖書といえば、こどものころ短期間だが、日曜学校へ通っていたことを思い出します。そして福音書記者の名前の覚え方、マタイ、マルコにルカ、ヨハネ…を鉄道唱歌のメロディーにのせて暗誦することを教えられ、一生懸命に覚えようとしたあの日々も、今では遥か彼方へと飛び去ってしまいました。

     最近海外へ出かけ、ホテルの部屋の机の引き出しで、バイブルを見つけたときも、やはり昔の、そうした日々が、なつかしく思い出されました。☆

     四福音書の記述の違いについて、研究者はヨハネ以外の三つ(つまりマタイ、マルコ、ルカ)は多少の違いはあるにせよ、総じて同じような内容をもっているとしています。

     築地の明石町にある、日野原さんで有名な病院は、聖路加国際病院といった具合に、当時医師であった(とされる)ルカの名がついています。ローマ近郊の日本聖殉教者教会の内装を手がけたカトリック画家、長谷川の場合は、路加でなく、路可を名乗っている。


     あっしは日本聖書協会で発行され、韓国で印刷されたルカ伝、「ルカによる福音書」を持っていますが、ここにはルカ伝が日本語、アラビア語、中国語、ポルトガル語、フランス語、スペイン語、英語、ドイツ語、イタリア語、韓国語の10か国語で印刷されています。

     ドイツ語では、ルカはLukasというようですね。(*^_^*)

     さて、なぜ他の伝記記者でなくルカかという疑問には、ルカ伝がエルサレムで活動するイエスを中心において書かれている、ことをその理由に挙げています。

    ☆ ことしウィーンの宿では、バイブルのかわりに、仏典が入っていた。日本人に人気のホテルなどは、意識して仏典を置くようにしているのかもしれません。


    [No.107] 新約聖書 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/15(Tue) 19:09
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    旧約聖書は厚い本だが
    新約聖書は薄い。

    新約聖書はイエス・キリストをめぐる弟子たちの記述となっている。
    同じことを述べているのに弟子によって記述が異なる。
    誰が正しいか?  みんな間違っているのだろうか。

    欧米人が演説をするとき、必ずといっていいほと
    聖書の中から文章や一節を引用する。
    教養のある証拠なのだ。  インテリのたしなみ。


    [No.106] 誰のために愛するか 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/15(Tue) 17:26
    [関連記事URL:http://いやすに時があり

    曽野綾子:誰のために愛するか

    気になる文章がいくつも書いてある。
    愛読書というよりは人生の参考になることが書いてある本である。

    著者は、結婚にあたって最低限のことを考えていた。
     中学2年の夏に終わった戦争は、最低限、人間が生き続けるということに偉大な意味があることを教えてくれた。
    それ以上のものは、あればむろんありがたいが、ないからと言って、あるいは、捨てたからと言って、文句を言うべき筋合いのものではなかった。
     両親があまり円満でない結婚生活を送っていたということは、世間的に見れば不幸なことである。
    しかし、著者はその結果、決してあまり多くを望まないですむようになった。
    幸福というものは多分に観念的なものだが、不幸は具体的である。
    著者は父母の結婚生活ではえられなかったものを、はっきりと結婚相手に望んだ。
     著者の母が、父より一分でも遅く家へ帰ることを許されず、子ども(著者のこと)の遠足につきそってきていても、いつもはらはらしているのを子ども心にも見ていたから、寛大な人が第一と思った。
     母は父と話が合わなかったから、話の合う人を望んだ。
    生まれとか、学歴とか、背の高さなど、どうでもよかった。
     著者は尊敬できる人と結婚したかった。小説の書き方を教えてくれた夫。

     多くの場合、何人かの失恋の相手は、本当にその人がめぐり会って結婚すべきだった相手のところまで、彼または彼女を導いて行くのに必要な道標だった、ということである。
    すべてのものに時期がある。
       .......
     生まれるに時があり、死ぬるに時があり
     植えるに時があり、植えたものを抜くのに時があり 
     殺すに時があり、いやすに時があり
     こわすに時があり、建てるに時があり
     泣くに時があり、笑うに時があり
       .......
       (旧約聖書 伝導の書)

     もう三年遅くめぐり会っていれば、あるいは結婚したかもしれない相手と
    少しばかり早く会いすぎることもある。
    しかし同じ梅の実でも未熟なものは、危険なのだ。
    同じ相手でも、時が来ぬ前の恋はうまくいかない。
     道標は暗い夜道を歩くものの心をとらえるが、そこへ向かって突進したらやはり飛行機でも船でも航路をふみはずす。
    道標は静かに見送って走らねばならないのである。それがいかに辛くとも。


    [No.105] Re: 即興詩人 投稿者:   投稿日:2011/11/15(Tue) 14:33
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    >  こどものでなくても、「即興詩人」では岩波文庫に大畑末吉の原典訳があり、これは非常に分かりやすい文章で書いてあるようです。

    (鴎外訳と末吉訳の違い)

    鴎外のでは、冒頭の「羅馬に往きしことある人はピアッツァ、バルべリイニを知りたるべし。こは貝殻持てるトリイトンの神の像に造りなしたる、美しき噴井ある、大なる広こうぢの名なり。

     ここで大半の人は頓挫するのではないでしょうかね。

     だいたい、現在ではローマを羅馬とは書かないし、往くも行くだし、ピアッツァとバルベリーニの間も読点ではなく中黒、もちろんバルベリイニとは書かない。また、トリトンよりポセイドンの方がポピュラー。でもポセイドンでなくても結構。

     噴井も辞書にでてこない。その上、広小路なら分かるが、広こうぢでは分かる人は少ない。

     鴎外自体が、文久の生まれだし、即興詩人を脱稿したのも明治34年である。。いわば骨董品であります。☆

     一方、デンマーク語からの原典訳である大畑訳では、

     ローマに行かれたことのある人は、美しい噴水のあるバルベリーニ広場をごぞんじでしょう。

     これなら、小学生でも分かります。まずこれを読んで、なおかつ余力があれば、鴎外の『創作』に挑戦されては如何か、と。

     ま、あれは、アンデルセンの作と云うより、鴎外の作品と云った方が適切でしょう。

     大畑訳ではトリイトンについても、半人半魚の海神トリトーンが、と原文にないと思われる説明まで加えています。

     この方がすらすらと読めて読者はおおいに助かるのではないでしょうかね、

     鴎外のはl馬語からの直接訳でなく、ドイツ語からの重訳でしょう。

     ☆面白いのは、これを書いたのが初版の例言によると、あっしの住む街の近くの、下志津というところらしいことです。


    [No.104] Re: 砂の器 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/15(Tue) 11:24
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    > 映画を見てから原作を読んだ。

    > この小説は内容がてんこもり。
    > それをそのまま映画化するのは大変である。
    > 脚本を書いたのは橋本忍、あの山田洋二も手伝ったという。

    はたして
    やはり書き間違いがあった。
    脚本は橋本忍と山田洋次でした。

    山田洋次監督の名前を確認しなかった。
    いつもはウィンドウを開いて
    この掲示板を見ながら
    もうひとつの画面でキーワードを調べて確認しながら
    書き上げるのだが
    いま使っているシステムは、ふたつの画面を開くのにテクニックを要するため。

    > 橋本忍は
    > 業病の父と子が巡礼になって裏日本をさまよう姿を
    > 日本の四季の中におさめるようクライマックスにもっていく
    > それを丹波哲郎扮する刑事に語らせたのが
    > すばらしいシナリオになっている。

    丹波哲郎 (今西栄太郎)
    加藤剛 (和賀英良)
    加藤嘉 (本浦千代吉)
    島田陽子 (高木理恵子)
    山口果林 (田所佐知子)
    緒形拳 (三木謙一)


    [No.103] 砂の器 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/15(Tue) 11:07
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    映画を見てから原作を読んだ。

    石川県生まれの本浦千代吉は業な病気にかかり
    4歳の秀夫を連れて巡礼の旅に出る。
    それから3年後に
    やっと島根県の亀嵩(かめだけ)に着いたとき
    親切な三木謙一巡査に助けられる。

    本浦千代吉は岡山県のライ療養所に入園でき
    秀夫は三木巡査に引き取られるが、脱走してしまう。

    今西刑事は足で調べ続ける。
    あるときは秋田県に飛ぶ。 島根県にも行く。
    そして
    北陸線大聖寺で降り小さな電車に乗り換える。
    終点の山中温泉からさらにタクシーで山奥に入る今西栄太郎刑事(巡査部長)。
    秀夫の母親の姉から当時の話を聞くのである。あれから秀夫はここに一度も姿を見せなかった。

    7歳のときに別れた少年と30歳の新進気鋭の音楽家
    記憶のよい今西刑事は同一人物ではないかと推定する。
    そして悲劇となる。

    この小説は、自分を完全に共同体社会から切り離そうとする人間が
    彼のそんな気持ちも知らずに追いかけてきた共同体社会の代表者を惨殺するところからはじまる。
    最初に殺された人物というのが、古き良き共同社会のシンボルであるような
    かつての村の巡査であったことは象徴的である。

    主人公は幼いときからハンセン病の乞食の子として諸国を放浪して
    すさまじい非人間的な扱いを受け続けてきた。
    世間はすべて敵だと考えたとしても当然である。
    彼は三木巡査に救われたが、そこで成人する限り、ハンセン病の父の子
    という差別が一生ついてまわることは確実である。
    彼がそこから逃走したのは、彼の立場としてはそれなりに正当であったといえる。

    善意すぎた三木巡査は彼に不注意に近づきすぎたから不幸になった。
       (佐藤忠男の解説)

    さて
    この小説は内容がてんこもり。
    それをそのまま映画化するのは大変である。
    脚本を書いたのは橋本忍、あの山田洋二も手伝ったという。

    橋本忍は
    業病の父と子が巡礼になって裏日本をさまよう姿を
    日本の四季の中におさめるようクライマックスにもっていく
    それを丹波哲郎扮する刑事に語らせたのが
    すばらしいシナリオになっている。

    だから、小説から削除された話がいっぱいある。
    それでも、あの映画は長い時間の映画であった。


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