私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.574] Re: ミトコンドリア・イヴ(2) 投稿者:   投稿日:2011/12/15(Thu) 10:11
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    DeBugman さん、

    ずいぶんたくさん読んでおられますね。

    雑誌の記事や講演を除いて、単行本で私が読んだのは、

    > 『DNA でたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか』(崎谷満 昭和堂 2008年)

    のみですが、これだけで「目から鱗」でした。

    『日本人になった先祖たち DNAから解明するその多元的構造』の篠田謙一氏の講演は、先日、聴きました。


    [No.573] 人を殺すマンガ 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/15(Thu) 09:34
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    人間を殺すこと

    依頼人に頼まれて、人間を殺すことを職業にしている男。
    このコミックは連載されて、はや31年続く。
    それだけ読者に評価されているということだろう。
    相手にされなければ、とっくに連載は中止。

    なぜここまで続いたかというと、一貫したものがあるから続けられたのだという。
    その一貫性とは、作者の考えが反映されているからだという。
    すなわち、主人公の価値観には、作者の価値観が反映されている。

    主人公の価値観は明らかに、社会のルールにはあてはまらない。
    殺人を行いながら生きているのだから。
    主人公の心の中はともかく、反省とか心のためらいの描写はない。

    しかし、作者は、この世には善悪の価値観はないと考えている。
    人を殺せば○○の刑がある、というのは社会の約束(ルール)である。
    それは、時代によって、国によって、様々であるということから
    考えても、そこに住む人間たちの約束といえる。

    昔は一人でストーリーを考え、そして絵を描いていた。でも、それでは一人の限界がある。
    そういうわけで、ストーリーを完全なものにするためにも、資料を調べる係り、
    あらすじを考える係り、絵を描く係りと、分担してスタッフでコミックを描く方式を
    考えた。この方式を日本で実施した最初のコミック作家であった。

    文章はごまかせるが、絵はごまかせない。
    だから、背景の絵ひとつ描くのにも、よく調べて描かないといけない。
    資料集めが大変。資料集めができたら、半分も仕事が終わったようなもの。
     川崎のぼる、小池一夫はかつて弟子だった。

    ☆     ☆     ☆

    作者の語るように、人を殺したら○○の刑がまつ、というのはその社会のルールである。
    死刑廃止の国もあるし、死刑が行われている国もある。死刑も石を投げて殺す国がある。
    人を殺したといっても、正当防衛が認められたら、(日本でも)罪にならない。

    しかし、宗教は殺人を認めない。キリスト教も仏教も殺人は認めない。
    罪と罰の主人公は、社会に無益な存在の金貸し老婆は、役に立たないどころか
    有害な存在である(生きる資格がない)と考えて、その老婆を殺す。
    自分は将来性のある大学生であるから、有害な老婆を殺して、その金を奪って使う
    のは社会のためになることであると考えたのだ。
    ここまでは、理屈どおりの仕事をしたのだから、主人公に反省はない。

    しかし、現場を見られた、関係のない老婆の姪をとっさに殺してしまう。
    それが主人公には計算外のできごとであった。
    主人公は無意識のうちに、心にひっかかるものがある。
    だから、主人公のことを心配してくれる、家族のために犠牲的に働いている
    かわいそうな娘にだけは、真実を語ってしまう。

    まさか、彼は自分の殺人行為を認めてもらおうとは思わなかっただろうが、
    この親切な娘にだけは真実を話したかったのだろう。彼の心の中で
    神を求めていたのではないかと思う。
    理屈では、金貸し老婆を殺すことは悪いことではないと考えても、
    その他に無実の人間を、目撃者だからという理由で殺したことに
    何かこだわりを感じていたのだろう。

    あのコミックの請け負って殺人を行う主人公の場合、たいてい標的になるのは
    悪人という配置になっている。
    海外で殺人を犯す話が多いのも、日本の読者に対して
    抵抗感を少なくするためだろうか。
    また、殺人ではなく、目的物を破壊することを依頼されることもある。
    この場合は殺人ではないから、読者に対しても罪悪感が少なくなるだろう。

    我々は時代劇ででも、悪人は懲らしめられるべきだと考えているようだ。
    水戸黄門にしても、悪人は最後に罰を受けることになっている。
    悪人も程度がひどく、もう何十人も殺して、悪の限りをつくしているような者は
    誰かバッサリやってくれないかと、みんな考えるようである。
    だから、そういう悪人が最後に倒され、殺される話を
    スッキリした気分で受け入れるのだろう。
    勧善懲悪は時代劇だけではない。西部劇にもごまんとそういうストーリーがある。

    日本の江戸時代や西部の開拓時代だけでなく、現代にも悪人はいる。
    こんなやつは生かしておきたくない、そう思う人間がいるとき
    コミックの世界で、それを見せてくれたら読者は気分爽快になる。

    悪人でも、反省すれば、ゆるしてあげようというのは、神や仏のような絶対的存在。
    人間はそんなことができないのだ。
    人間は、心のどこかで、悪人は罰せられるべきだ、場合によっては殺されるべきだ
    と考えているのであろう。

    だから、仕事人シリーズのような、請け負って悪人を殺す話が
    テレビ番組でも続いたのだろう。
    この必殺シリーズも、考えてみると、このコミックと共通点がある。


    [No.572] 太宰治「津軽」 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/15(Thu) 06:41
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    画像サイズ: 816×612 (55kB)
    昭和19年5月25日(木曜日)の太宰治を「津軽」に沿って、歩いてみましょう。
    前日まで金木の実家に泊っており、25日になると木造の父親の生家に向かいます。
    その日のうちに五能線で深浦にたどり着き、秋田屋に宿泊しています。

     太宰治の「津軽 五 西海岸」からです。
    「…、私は金木を出発して五所川原に着いたのは、午前十一時頃、五所川原駅で五能線に乗りかへ、十分経つか経たぬかのうちに、木造駅に着いた。ここは、まだ津軽平野の内である。私は、この町もちよつと見て置きたいと思つてゐたのだ。降りて見ると、古びた閑散な町である。
    ......
    ここは、私の父が生れた土地なのである。金木の私の家では代々、女ばかりで、たいてい婿養子を迎へてゐる。父はこの町のMといふ旧家の三男かであつたのを、私の家から迎へられて何代目かの当主になつたのである。

    「つがる警察署」 <木造警察署>
     太宰は木造駅で下車し、父親の実家を探します。木造駅から町へは駅前の道一本ですからわかりやすい町です。

    「 …その日も、ひどくいい天気で、停車場からただまつすぐの一本街のコンクリート路の上には薄い春霞のやうなものが、もやもや煙つてゐて、ゴム底の靴で猫のやうに足音も無くのこのこ歩いてゐるうちに春の温気にあてられ、何だか頭がぼんやりして来て、木造警察署の看板を、木造警察署と読んで、なるほど木造の建築物、と首肯き、はつと気附いて苦笑したりなどした。…」。

    木造警察署(もくぞうけいさつしょ)→木造警察署(きづくりけいさつしょ)
    いまは町村合併して
    「つがる警察署」です。

    「コモヒ」 <コモヒ>
     太宰が「津軽」に書いている”コモヒ”は現在も残っていました。最初は何のことが分からなかったのですが、実際に見てみると直ぐに理解することが出来ました。要するに、雪避けですね、雪が積もっても買い物などが出来るように通路を屋根も横も全て覆ってしまう作り物のことだとわかりました。雁木とも同じようですが、雁木は屋根だけのこととおもいます。

    「…木造は、また、コモヒの町である。コモヒといふのは、むかし銀座で午後の日差しが強くなれば、各商店がこぞつて店先に日よけの天幕を張つたらう、さうして、読者諸君は、その天幕の下を涼しさうな顔をして歩いたらう、さうして、これはまるで即席の長い廊下みたいだと思つたらう、つまり、あの長い廊下を、天幕なんかでなく、家々の軒を一間ほど前に延長させて頑丈に永久的に作つてあるのが、北国のコモヒだと思へば、たいして間違ひは無い。しかも之は、日ざしをよけるために作つたのではない。そんな、しやれたものではない。冬、雪が深く積つた時に、家と家との聯絡に便利なやうに、各々の軒をくつつけ、長い廊下を作つて置くのである。吹雪の時などには、風雪にさらされる恐れもなく、気楽に買ひ物に出掛けられるので、最も重宝だし、子供の遊び場としても東京の歩道のやうな危険はなし、雨の日もこの長い廊下は通行人にとつて大助かりだらうし、また、私のやうに、春の温気にまゐつた旅人も、ここへ飛び込むと、ひやりと涼しく、店に坐つてゐる人達からじろじろ見られるのは少し閉口だが、まあ、とにかく有難い廊下である。コモヒといふのは、小店の訛りであると一般に信じられてゐるやうだが、私は、隠瀬あるいは隠日《こもひ》とでもいふ漢字をあてはめたはうが、早わかりではなからうか、などと考へてひとりで悦にいつてゐる次第である。…」
    http://www.tokyo-kurenaidan.com/dazai2-tsugaru4.htm

    今年も「こもひ」を見に木造に行きたいものです。


    [No.571] F.サッケッティ「ルネッサンス巷談集」 投稿者:   投稿日:2011/12/14(Wed) 17:51
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    その第49話というのは、ブッファルマッコという仇名を持つ画家、ボナミコの話で、あるとき領主でもある司教から礼拝堂に絵を描くよう命じられた。

     かれは足場を組んで、仕事にうちこみ、絵はほぼ完成に近かった。ところが、この仕事を熱心に見ていた司教の飼い猿が画家が帰るや否や、制作意欲をもやし、折角の絵をすべて塗りつぶしてしまった。

     司教もこれが自分の飼っているサルの仕業だとわかり、護衛の兵士をつけてくれるが、やはり、こんども傑作を台無しにされた。司教は画家にあらたな仕事を命じ、こんどは制作現場を、錠と鍵付きの頑丈な板で囲った。

     しかし、この画家のしたことは、今までの従順な制作態度とはおおきく違った。注文主の意思に逆らった独自の絵を描いたうえ、さっさと国へ帰ってしまった。

     司教は激怒し、追放の宣言までしたが、画家の意思は意外と固く、けっきょくしまいには司教の方が折れた。

     当時の司教の圧倒的な権力に歯向かった、一画家の姿が眼前に髣髴する。

     第67話は、ゴンネルラというインチキ野郎が、犬の糞を霊験あらたかな予言薬といつわり、忽ちのうちに大儲けをする話。

     第50話は、街角で当時はやったらしい、判じ絵遊びでもめている現場を通りかかったさえない男、いわばピーターフォークの様なうらぶれ男が、金持ちの旦那を遣り込める話。

     と書けばああそうかと、片付けられそうだが、実際に読んで頂けば、そこは大作家の筆、わははわははと笑っている内に、いつの間にか読み切ってしまうはず。

     このブッファルマッコことボナミコは、知恵者で、この話だけでなく、ほうぼうで大活躍する。あるときは、貪欲な親方に、朝暗い内から働かせられるのを嫌い、オバケ戦術で、また、となりの神さんが回す紡ぎ車の騒音に悩まされ、眠れないことに腹を立てた揚句、、妙手を使って、これをキレイさっぱり止めさせる話なぞ、いずれもその悪知恵の見事さに唸らせられる。

     この本には、こうした無名の市民だけでなく、聖フランシスの生涯を描いて世界中に有名な、ジョットまででてくる。それをかいつまんで話すと、

     ある日、かれが仲間と散歩中、後ろから疾走して来たブタが、ジョットのまたぐらを潜り抜けたからたまらない。

     不用心のジョットは、ものの見事にスッテンドウと地面にひっくり返った。助けられ、泥を払いながら、おもむろに起き上った時のかれのセリフがいい。

     僕はこれまで、大将の毛を使って、絵を描き、うんとこさ儲けさせて貰ったけど、一度だって、ヤツにスープを奢ってやったことがないんだかんね。ま、しょうがないよ。

     またある寺院の、聖母と夫のジョセフを描いた絵の前では、仲間に、なぜヨゼフはこうも、憂鬱そうな顔をしてるのかと聞かれて、

     そりゃあそうだよ。嫁さんの腹が、あんなに膨れているのをまえにして、その原因が、いくら考えても、自分には思い当たる節がないというんだからね、と答えたそうな。

     ここから、かれは絵だけではなく、人生の師としても世人の尊敬を集めたとか。(つづく)


    [No.570] Re: 町人社会を活写! 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/14(Wed) 16:38
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    唐辛子 紋次郎さん

    >  「デカメロン」はつとに有名。ペスト禍を避けるため十人の恵まれた男女が山上の安全地帯にあつまり、それぞれが自慢の話を持ち寄り、10日間ぶっ通しでつぎつぎ披露する。(そこで、一名を「十日物語」ともいう)

    『カンタベリー物語』もそういう話ですね。

    どちらも高校生のとき、こっそり読みました。


    [No.569] ホットドッグの丸かじり 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/14(Wed) 16:35
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    > ごぞんじ東海林さだおの
    > 丸かじりシリーズ
    >
    > 軽妙洒脱のその文章は
    > 読んでいて楽しいし、自分の文体に影響を受けそうな文章である。

    「盛り合わせ」の思想とは

    「盛り合わせ」は心がときめく。
    居酒屋に入って、「エート、何にしようか」と、アゴに手を当ててメニューを見ていく。
    ヤキトリいくか。正肉を二本....、いや三本、レバを一本....、レバはタレにするかシオにするか。

    刺身の項目がある、
    イカいくか、いやむしろタコかな、まぐろもちょっと食べたいな、オヤ、アジが新鮮、とあるぞ。

    その隣が天ぷらだ。
    うーん、やっぱりエビだろうな、アナゴもいいな、椎茸なんてものもちょこっと食べたいな....。
    と、千々に乱れ、迷い、アゴをなでる手に力がこもる。

    まさにそのとき、天の配剤か神の恩寵か、「天ぷら盛り合わせ」という文字が目にとびこんでくる。

    これまでどれだけの人々が、「盛り合わせ」の文字によって、居酒屋のメニュー選択の苦しみから救われてきたことであろう。

    単数の発想から複数の発想へ。
    複数の概念は沢山の概念である。
    沢山の概念は盛り沢山の概念であり、盛り沢山はどっさりであり、たんまりであり、うじゃうじゃであり、ごろごろであり、ごろごろを喜ばない人はこの世にいない。

    「盛り合わせ」の思想によって、選択の苦痛から開放されるばかりでなく、一挙に豊穣の世界さえ獲得することになるのだ。

    SMAPも盛り合わせの一種だ。
    天ぷらの盛り合わせは、エビ、アナゴ、イカ、椎茸などを盛り合わせる。
    どれもこれもそれぞれに個性があり、ひいきがある。
    SMAPもそのように盛りつけてある。
    クレージーキャッツも、ドリフターズも盛り合わせだ。
    モー娘、は大盛りの盛り合わせということになるのだろうか。
     いまなら AKB48でしょう。これも大盛り合わせ。


    [No.568] 町人社会を活写! 投稿者:   投稿日:2011/12/14(Wed) 15:52
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     「デカメロン」はつとに有名。ペスト禍を避けるため十人の恵まれた男女が山上の安全地帯にあつまり、それぞれが自慢の話を持ち寄り、10日間ぶっ通しでつぎつぎ披露する。(そこで、一名を「十日物語」ともいう)

     いわば、現代で云えば、落語の競演会みたような紋であろう。これはジョヴァンニ・ボッカチオの傑作で、詩聖といわれるダンテの「神曲」にも比せられるクラシックである。

     こういう市井のエピソードを集めたものはケッコウ多く、他にもいいろあるらしい。

     岩波文庫に、フランコ・サケッティの「ルネッサンス巷談集」というのが入っている。むかし、愛読したひとつである。

     いま、手に取ってみると、当時、鉛筆で気に入った話の頁を書きこんだのが、消されずに残っていた。

    もともと、本書は作者がフィレンツェの巷談を300集めたものだが、たぶんこの数になると、珠ばかりでなく石ころも相当混じっているはず。

     しかも、300篇となると相当大部の書籍にもなる。そこで訳者の杉浦明平は、そのうちの74編を訳出したものと見える。(つづく)


    [No.567] Re: ドナルド・キーン 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/14(Wed) 15:47
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    > ラジオ深夜便で聞いた
    > ドナルド・キーンの声

    > まず
    > 「昨日の戦地から」を読んでいます。

    ドナルド・キーンを中心に
    友人たちとやりとりした手紙を載せている。
      1945.8-1946.2

    アメリカ人の驚くことは
    日本は安全で日本人は協力的従順だということ。
    マッカーサー元帥のところへ、多くの日本人から
    なんとマッカーサー元帥の政策を支持するという手紙が集まっている。

    これでアメリカは変に自信をつけた。
    のちにイラクやアフガニスタンで日本のようにはいかないということを
    思い知ることになる。
     日本だけが例外だったのだ。 天皇制をそのまま温存したので天皇が降伏を受け入れたから日本中がアメリカを受け入れたのだ。 私の周りの知識人たちは今そう分析する。
      皆さんの意見は?


    [No.566] エマオの途上にて(キリスト復活) 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/14(Wed) 15:21
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    小塩節:ドイツ語 コーヒー・ブレイク

    Es will Abend werden
    エマオの途上にて

    ドイツの古い民謡や教会の歌 Kirchenlied のなかに、よくこんな1節が出てきます。
     Bleibe bei uns,
    denn es will Abend werden
    und der Tag hat sich geneigt.
    【直訳】 わたしたちのもとにお泊まりください。
      もう日暮れになろうとしており、日も暮れましたから。
    【意訳】 われらとともに留まりたまえ、
      ときすでに夕べとなり、日もかたぶきたれば。

    これは新約聖書『ルカによる福音書』のいちばんおしまい、24章29節に出てくる
    ことばです。イエスが十字架につけられたあと、復活の日の夕方のものがたりです。

    尊敬する先生が罪人とされ、十字架につけられて死んでしまった。12人いた弟子の
    うちのひとりユダは、銀貨30枚とひきかえに師を売って、良心の苦しみに耐えず、
    もう自殺してしまいました。このり11人の頑強な青年たちも、いざというときには
    こわくなって逃げ出してしまいます。ゴルゴタの丘の上に、十字架がおしたてられ、
    そこでイエスが血を噴いて死んでいったとき、そばに立って見とどけたのは、名もない
    女の弟子だけでした。いざというときは、女のほうが強いのでしょう。一般に子どもの
    手術などにつき添えるのも、母親だけで、父親は全然だめだそうですから。

    それにしても、尊敬する先生を失った打撃は、ことに精神的にどんなに大きかった
    ことか。わたしたちの家庭でも、父を失ったときのことをおもえば想像がつきます。
    もう、みんなチリヂリになり、落胆、虚脱の極みにあり、それぞれの出身地に散り、
    帰っていったのでした。

    そのうちの2人が、エルサレムから近いエマオという村にむかってトボトボ歩いて
    いました。日曜日の夕方でした。その日、イエスの屍体を埋葬した墓がからっぽに
    なってしまいました。奇怪な事件がもちあがったのです。その話をふたりは、首を
    ふりふり話し合いながら歩いていました。すると、道の途中でいっしょになった人が
    いて、「何を互いに話しあっているのですか」ときくので、歩きながら、ずうっと
    話してきかせました。

    エマオの村についたので、日もくれたし、いっしょにお泊まりなさい、とすすめて夕食を
    ともにしました。そのときはじめて、ふたりはこの見知らぬ人と思っていたのがイエス
    であると気づいたのでしたが、そのとき、先生の姿はもう見えなくなっていました。

    ふたりはたがいに言います。「道々お話になったときに、また聖書のことを説き明かし
    てくださったとき、たがいに心が内に燃えたではないか」。かれらは、夜道をいそいで
    エルサレムに戻っていきました、復活したキリストのことを、他の弟子たちに伝える
    ために。

    ルカによる福音書のこのところは、実に文学的なところですが、芸術史上ではむしろ
    絵画のほうによく用いられる題材です。おそらく、いちばん有名なのはルオーの絵
    であろうと思います。

        ☆     ☆     ☆

    確かに復活したキリストが弟子たちのもとに現れた。
    だが、最初は弟子たちも、それが誰だかわからない。
    話しているうちにキリストであることがわかった。

    英語の聖書の『ルカによる福音書』の24章29節には次のように載っています。
    Stay with us, for it is nearly evening; the day is almost over.

    いくつかの言語で書かれた聖書を持っています。
    少しずつ表現が異なるのがおもしろい。


    [No.565] Re: 東日本大震災関係の本 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/14(Wed) 13:04
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    > エハン・デラヴィ:外国人が見た東日本大震災、武田ランダムハウスジャパン(2011.6)

    著者はスコットランド人 1985年頃に家族で京都にいたとき火事にあい、家族は無事だったが全財産を失う。
    それからカナダで暮らすが、東日本大震災で女川にボランティアで来日する。

    彼は言う。化石燃料は限りがあるからこれからは原子力だろう。
    だが福島原発で日本人の悪い癖が出るのではないか。それは人を責めること。
    すぐに誰が責任者だとか誰を責めるべきだとか、そういう心はちょっと問題である。
    生活がちょっと不便になるからといって電気をたくさん使っているにもかかわらず
    その根源である原発に反対するなんて。そこに感謝なんてものはまったくない。
    (まあ、しかたがないのかもしれないと著者も述べている)

    適度な放射能は体の免疫力を高める。(ガンの治療に放射線を当てる治療法もある)

    人を洗脳させるくだらないテレビは捨てよ。

    日本的な上から下へ伝えるピラミッドのシステムではよくならない。下まで行くのに時間がかかりすぎる。
    (ではどうしたらいいというのか。自分でできることは自分でやれということなのだろうか)

    いずれ、この著者は楽天的である。 日本人よ行動を起こせ。


    > 産経新聞社:がれきの中で本当にあったこと、産経新聞出版(2011.6)

    仕事に行ってそのまま行方不明になった夫
    あるいは
    自宅でおそらく逃げ遅れて津波の呑み込まれたであろう妻
    などもう会えない家族のことを思う残された人々の悲しみ。

    岩手県の普代村は死者ゼロ、行方不明1名にとどまった。
    被害を食い止めたのは、かつて猛反対を受けながら和村幸得村長がつくった
    高さ15.5メートルの防潮堤と水門。そして震災当日の消防士の献身的な行動。

    普代村も明治29年と昭和8年の津波で合計439人の犠牲者を出した。
    多額の費用は村には巨額の出費だったが、
    和村村長は「明治29年の津波は高さ15メートルあった」という言い伝えに基づき譲らなかった。

    水門のゲートの自動開閉装置が動かなかったので、消防士3人が手動スイッチでゲートを閉めた。


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