私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.494] フランクフルトの細道 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 21:13
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    荒木忠男:フランクフルトの細道、サイマル出版会

    ドイツの美術や文学に造形の深い著者の本。

    フランクフルト美術館散歩
    ヤン・ファン・アイク  シュテーデル美術館
     「ルッカのマドンナ」
       このオランダの名画をフランクフルト市長がオランダ王ウィルヘルム二世の競売で買い求めた。

    ティシュバイン  シュテーデル美術館
     「ローマのカンパーニャのゲーテ」
       この本によると、ゲーテのティシュバインに対する評価は初めは良かったが徐々に悪くなり、イタリア滞在が終わるころはもう相手にしないぐらいになった。

    ホルバイン   ダルムシュタット宮廷美術館
     「ダルムシュタットのマドンナ」
       モデルは画家の愛人という。
       この絵で儲けようと考えたオランダの画商は似絵を作り、それは結局ドレスデン王のものとなった。真筆のほうがダルムシュタットの絵である。


    [No.493] Re: 痛快!知的生活のすすめ 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 19:21
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    > > 渡部昇一・和田秀樹:痛快!知的生活のすすめ

    「鬱病の患者さんを励ましたりしてはいけないのですよね」とはよく聞かれることだが
    それぞれの人によって鬱のタイプが違っているから、一概にそうであるとは言えない。
    なぜならば、励ましてほしいと思っている鬱病患者もいるし
    頑張れないでいるのに「頑張れよ」と励まされることで、ますます落ち込んでいく患者もいるからである。

    したがって、相手のものの見方を知るために、相手の心の文脈をつかんでいかなくてはならないから
    ずっと長い時間をかけて相手の話を聞いていくということが、たいへん意味をもってくる。

    そういうときも、他人の目で見るとこのことはどういうふうに見えるのだろうか
    と考えることが必要になる。
    お金持ちの立場だったらどうか、貧乏人の立場だったらどうかというように。

    *****

    同じ刺激、つまり相手に同じことを言ったりしても
    人によって反応が違う。

    励ましの言葉を舞っている鬱の人がいるなんて
    聞いてみないとわからない。


    [No.492] Re: 痛快!知的生活のすすめ 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 14:01
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    > 渡部昇一・和田秀樹:痛快!知的生活のすすめ

    ダーウィンに「種の確立」を教えたのはウォーレスである。
     ウォーレスはマレー半島を回っているときに
    「どのようにして新しい種はできるのか」という問題について、ダーウィンに手紙を送っている。
    ダーウィンもそれまで20年近くさまざまな資料を集めていたが、なぜどのようにして変種になるかということについては、わからなかったのだ。

    ウォーレスは、もとの型であるAから離れて変種A'が生まれ
    それがさらにA''になりというように、無限に離れていくことによって
    別の種になるのではないかと考えた。
    これは微分の概念から発想されたものだったが、おそらくダーウィンは微分を学んではいなかったのだろう。

    ウォーレスはダーウィンに最初の手紙を出した2年後に
    インドネシアのモルッカ諸島のなかのテルナテ火山島に行った。
    そこでマルサスの「人口論」を思い出した。
    これは、人口というのはいつも食料の限度以上に増え続けようとするが、さまざまな障害があって抑えられるという理論である。

    ウォーレスの本職は昆虫採集だったから、昆虫をつぶさに観察してきた。
    昆虫はじつに膨大な量の卵を産むにもかかわらず、一方的に増え続けていかないのは
    増やさない力が働いているからだということに気がつくのである。
    弱いものは強いものに食べられて、自然淘汰されていくということである。
    では最後まで食べられないものは何だろうと考えたとき
    彼はマルサスを思い出し、生物進化の「自然淘汰」の原理に思い至ったのだ。
    彼はその考えを論文にまとめあげて、ダーウィン宛に二度目の手紙を送った。

    それを受け取ったダーウィンは、腰も抜かさんばかりにおどろいた。
    自分が20年間やってきたことは、いったい何だったのかとさえ思ったらしい。
    けれども地質学者のライエルや動植物学者のフッカーらダーウィンの友人たちが
    なんとかダーウィンにプライオリティ(優先権)をとらせたいと
    その生物進化の「自然淘汰」の原理を、ウォーレスとの共同発表という形で
    リンネ学会で発表させた。
    そしてダーウィンに「種の起源」の出版を決行させ、世間一般敵に進化論の議論が
    始まることになった。

    そうしたところ、1980年ぐらいになって、ブラックマンという人がリンネ学会の
    議事録を調べていくうちに、ダーウィンは「進化論」を発表していない
    ということに気づいた。
    「進化論」を発表しているのはウォーレスで、それは序論・本論・結論の
    どれをとってもまったく完成されたものだったのだ。

    ウォーレスは、それほどまでにしっかりしたものを書き上げて、送っていたのだ。
    一方ダーウィンが発表したものは、理論にはなっていない研究の一部をちょっと出した
    ものにすぎなかった。
    それを彼は共同発表という形にしてごまかしたというわけである。

    このウォーレスの発見は、脳に蓄積されたものが新しい思考に生かされたという
    典型的な例といえるのではないか。


    [No.491] 痛快!知的生活のすすめ 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 10:34
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    渡部昇一・和田秀樹:痛快!知的生活のすすめ

    いま四つの図書館から合計35冊の本を借りている。
    これを2〜3週間で読まなければならない。

    先週X図書館に行ったら、めったにない休館日だったので
    それではとS図書館に行って10冊借りてきた。
    翌日にX図書館に行っていつものように10冊借りてきた。
    というわけで気がついたら35冊になっていた。

    本来はもっとゆっくり読めるはずなのだが
    都合により明日急に返さなければならなくなった図書館のため
    本日中に急いで3冊読むことにしている。(昨日はそういうわけで別の3冊を大急ぎで読んだ)

    そういう事情があるので
    この本も駆け足の斜め読みになりそう。

    最初に渡部昇一が面白いことを書いている。
     共著者の和田秀樹は東大医学部卒の秀才である。
    しかし、アメリカ留学をしたところ、はじめは英語が聞き取りにくく
    相手の言うことがわからないので苦労した。
    そのうちに英会話も慣れてくると、相手はたいしたことは言っていない
    ことに気がつき、それではと自分も論文を書くようになった。
     アメリカ人は最初会話の全然できない日本人が来たと思ったが
    その日本人が、ある日突然立派な論文を発表したので驚いてしまった。

    この経験は渡部昇一も同じようなことを体験していて
    最初の英会話でとまどうのは第一次語学ショックという。
    日本の英語教育では読み書き中心で会話は重視していないから
    そんなことになる。
    そのうち会話にも慣れてくると、相手の言うこともわかるし
    自分も主張できるようになる。
    アメリカ人は、日本人の書いた論文は文法もしっかりしているし
    内容も立派なので驚いてしまう。
    これを第二次語学ショックと渡部は呼んでいる。
    欧米人は話すことはできても、文法的にしっかりした文章を書く人は少ない。
    逆に言えば、教養ある人しか文法的に正しい文章は書けない。
    日本人の場合、会話は下手でも、受験英語などで文法はしっかり身についているので
    欧米人から感心されることが多い。


    [No.490] イッキによめる!社会 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 10:16
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    清水義範の
    イッキによめる!
    学校よりおもしろい
    社会

    一時間目  社会科のおもしろさって何?
    二時間目  米はどこから来たのか?
    三時間目  邪馬台国はどこにあったの何?
    四時間目  道はどうしてあるのか?
    五時間目  山があると何がおこるか?
    六時間目  ユートピアはどこにもないの?

    人間は社会を作って生きていて、そのおかげでほかの動物よりは栄えている。
    だから、その社会のことを知っておこう、というのが社会科なんだ。
    社会科はけっして面倒な教科じゃないんだ。生活がどうしてこうなっているのか、たとえば日本人はなぜ家の中では靴をぬぐのかなんては、すごく身近で、おもしろい疑問じゃないか。
    そういう身近なことから、世界中のことまで、そして今のことから、昔のことまで知っていこうという、おもしろい生活探検、みたいなことが、実は社会科で学ぶことなんだ。

    社会科は、地理と歴史と公民ということになるが、バラバラに勉強しても全体で何を勉強しているかははっきりしないようだ。
    この本は小学生を相手に、彼らがわかる言葉でゆっくり説明している。

    邪馬台国はどこ?
    三世紀の中国の歴史書「魏志倭人伝」によると
    そのまま読めば
    対馬国、壱岐国を渡り末廬国(佐賀県唐津市)にいたり、末廬国から
    そう遠くない伊都国、奴国、投馬(つま)国へ着く。
    投馬国から南へ船で十日行って、陸を一か月行けば邪馬台国に着くと書いてある。

    それでは邪馬台国は沖縄のほうになる。
    それではあんまりだとというわけで、南ではなく東に行くとしたら
    近畿地方に邪馬台国があることになる。
    (魏の役人が、東へと書くべきところを誤って、南へと書いた。そう推定すると邪馬台国は近畿にあるというのが内藤湖南をはじめとする京都学派。内藤湖南は南部藩士の出なのだ)

    いっぽう、九州にしたいほうは
    南へ船で十日行って、陸を一か月行くというところを
    船なら十日、陸路を通れば一か月と読んでしまう。
    こうして邪馬台国九州説ができる。九州説は白鳥庫吉以下の東大学派だ。

    どっちにしろ、魏の役人はいい加減に書いたのではないか。
    当時の計測は正確でなかったろうし、もしかしたら
    邪馬台国まで来ないで、朝鮮半島のどこかに泊まって
    住民の話を聞いて適当にまとめて報告書をつくったのかもしれない。
    現代の学者が古文書の一字一句を正確なものだとして判断することこそ危険な感じがするのだが。
     デジタルではなくアバウトなアナログで対応したい。


    [No.489] 患者さん出番ですよ! 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 07:15
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    瀬戸山元一:患者さん出番ですよ!

    1944年生まれの著者は、京都大学医学部卒後に
    日野原重明氏(聖路加国際病院理事長)の薫陶を受け、プライマリ・ケアを重視し「患者さん中心の医療」を志す。

    日本専売公社京都病院などを経て、市立舞鶴市民病院長に就任。自治体病院の特徴である赤字体質を解消する。

    1992年より島根県立中央病院長。1999年オープンの同院新病院は、世界初の病院統合情報システムを備え、患者さんの立場を重視した病院として評価された。

    健康のための八原則
    ・小食と理想体重の維持
    ・適度なアルコールの量
    ・禁煙
    ・事故に対する注意
    ・適度な定期的運動
       早朝に老人が心不全で救急搬入されることが多い。ジョギング中に倒れることが少なくない。自分にあった運動が望ましい。
    ・十分な睡眠
    ・不必要なストレスの除去
       著者の座右の銘「妥協なき寛容」、いろいろな人がいて、いろいろなことがある。他人に迷惑をかけないようにしながら、できるだけ自分に都合よいプラス思考で考える。
    ・不必要な薬の除去
       ビタミン剤や栄養剤の常用は(その成分を燃焼させるため)別の成分が必要になる。

    ひとつの理想の生活、映画「ブッシュマン」
     日が昇れば目が覚める。目が覚めればハラが減る。ハラが減るから狩りをする。
     狩りをするから飯食える。飯食えるから金いらない。
     金いらないから仕事しない。仕事しないから時間ある。
     時間あるから遊んでる。遊んでるから不満がない。
     不満がないからケンカしない。ケンカしないから気分よい。
     気分よいから眠くなる。
     眠くなるから日が沈む、日が沈んだらあと知らない、だからブシュマン平和です。    日本人にはこのような生活はできないが、心のもちかた次第で理想的な健康に近づくことはできるだろう。

    フランスの外科医パレ
    「ときには治ることがある。しばしば和らげることができる。しかし常になぐさめることができる」
    医療現場に立つ者の心構えを問う戒め的な言葉(医学が進歩してもすべてが治るわけではない)。

    安全と安心 指差喚呼に学ぶ
     学生時代に乗った市電の運転手の「右よし、左よし、前よしっ!」に習い「○○さん、血液型はA型ですね」と確認する。

    良い医師とは?
     納得できる医療を
     患者の知る権利の尊重
     わかりやすい説明
     プライバシーの遵守
     拒否・要望などへの傾聴
     セカンドオビニオンの尊重


    [No.488] 手塚真:天才の息子 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 07:09
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    手塚真:天才の息子

    著者は手塚治虫の長男で、漫画家岡野玲子の夫。

    手塚治虫はデッサンに自信がなかったのか
    よく漫画を志す人にはデッサンをするよう勧めていた。

    息子の立場でいえば
    父の絵は写実的でないのは、ひとつには現実を誇張して描いているからなのであり
    もうひとつの理由は
    そこに時間が表現されているからだと息子は分析する。

    つまり人間が動く、その動きそのものを一枚の静止した絵で表現するからである。
    そういうわけで
    その人の身体の動きに添った形で歪んでいるのである。
    写実性は失われるが、読者はそこに生き生きとした動きを感じることことができる。

    動画を静止画の中に描いているからなのである。

    手塚治虫は記憶力が良くても、物忘れは頻繁だった。
    忙しいからである。
    その典型的な事件は、弟子の石ノ森章太郎の結婚式をすっぽかしたことだろう。

    手塚治虫は機械音痴であった。新しい機械をよく買うが操作はできず家族が代わりに操作してあげたという。
    駅の自販機の前でウロウロして切符も買えなかったそうである。
    この息子がいうには、科学の本質を理解することと機会がいじれることとは全く別のことである。
    それは正しい。理論と実践は別で両方できればすばらしいが、どちらかでもできればたいしたものなのだ。

    著者が母から手塚治虫の癌を知らされたのは、父が亡くなる半年前だったという。
    もはや手遅れで手術をしても体を傷つけるだけなので手術を受けなかった。
    心残りは、婚約者を会わせられなかったこと。
    手塚治虫がベッドの上の姿を息子の嫁に見せたくなかったらしい。入院中の人をむやみに見舞いに行くのも考えものであろう。


    [No.487] Re: 新聞記者夏目漱石 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 06:43
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    マーチャン

    >  東京帝国大学教授目前の漱石先生先生、朝日新聞にスカウトされて結構乗り気だったようです。

    >  また、漱石先生も、単なる「小説担当」ではなく
    >  「文芸欄(現在の「学芸欄」のようなものでしょうか)」
    >  を創設して「論評」や「随想」「美術評」「音楽評」などを掲載することも
    >  含め「かわら版」から脱皮し「クオリティーペーパー」に
    >  近づけようという構想をお持ちであり、その実現にも努力された。

    新聞といえば
    石川啄木は特に釧路でその才能を発揮して
    新聞の売り上げに貢献したようです。

    また
    徳富蘇峰の国民新聞の「国民文学」欄では
    高浜虚子らが担当して、小宮豊隆、安部能成など、漱石門下生なども協力
    連載小説では、徳田秋声が「新世帯」、上田敏が「渦巻」を発表したほか
    高浜自身2作を発表しました。
    また、森鴎外がイプセン「ジョン・ガブリエル・ボルクマン」の訳を発表をしたようです。

    それから
    思い出すのは国木田独歩です。
    徳富蘇峰の「国民新聞」の記者となります。
    日清戦争に海軍従軍記者として参加し、弟・収二に宛てた文体の「愛弟通信」をルポルタージュとして発表し、「国民新聞記者・国木田哲夫」として一躍有名となるのです。

    日清戦争従軍記者・招待晩餐会で、日本キリスト教婦人矯風会の幹事 佐々城豊寿の娘・信子と知りあい、熱烈な恋に落ちるが、信子の両親から猛烈な反対を受けてしまう。
    独歩は、信子との生活を夢見て単身で北海道に渡り、僻地の田園地帯に土地の購入計画します。「空知川」はこのことを綴った短編です。

    結局、独歩と信子の恋愛は失敗し、有島武郎の「或る女」として小説に残されます。


    [No.486] Re: 名作マンガの間取り 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/08(Thu) 05:51
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    > 影山明仁:名作マンガの間取り

    > この本は
    > マンガの主人公たちの住んでいる家の間取り
    > を集めたもの。

    めぞん一刻
    時計坂町にある古い時計付きの共同住宅。
    外観と各部屋の配置がそれぞれしっかり描かれているが
    しっかりしすぎているだけに、間取りを優先すると
    外観が成り立たず、外観を優先すると間取りが
    成り立たないというジレンマ。
     漫画家は実際の家をモデルにして描いてはいない?

    釣りキチ三平
    わらぶき屋根の古民家。
    民家の多くは、玄関と土間を除くと「田」の字のような配置。
    寝室の奥は納戸なのだが、家の中に風呂のあるシーンがあるから
    納戸を洗面・風呂・トイレに改装したと思われる。
    著者の母方の実家のイメージに沿って描いてあるので
    あんがいリアルかもしれない。


    [No.485] 新聞記者夏目漱石 投稿者:マーチャン  投稿日:2011/12/07(Wed) 21:44
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     東京帝国大学教授目前の漱石先生先生、朝日新聞にスカウトされて結構乗り気だったようです。

     月給二百円という破格の待遇でお話があったにも関わらず 
     ちゃんと下記のような「問い合わせ」をしておられるところを拝見すると、
     世間知らずの「甘ちゃん」ではなさそうです。 

     「手当月額如何、並びにその額は固定するか、あるいは累進するか」
     「退隠料あるいは恩給」

     新聞社側も、漱石先生が亡くなるまで、よく面倒をみていました。

     また、漱石先生も、単なる「小説担当」ではなく
     「文芸欄(現在の「学芸欄」のようなものでしょうか)」
     を創設して「論評」や「随想」「美術評」「音楽評」などを掲載することも
     含め「かわら版」から脱皮し「クオリティーペーパー」に
     近づけようという構想をお持ちであり、その実現にも努力された。

     新聞社が、文士・文化人による講演会を各地で開催する
     (ある意味で現在のカルチャーセンターの走り?)
     にも積極的に協力しておられた。

     
     この平凡社新書の一冊には、こういう「新聞小説家漱石先生」にまつわる
     数々のエピソードとともに、同時の新聞業界事情や時代背景もよく描かれています。

     筆者の 牧村健一郎氏は朝日新聞社の社員であった方です。
     
     なかなか面白いですよ。
     


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