私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.625] 演歌の明治大正史 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/17(Sat) 17:32
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    演歌の明治大正史

    著者添田知道は添田唖蝉坊の息子なので
    添田唖蝉坊の歌が多い。

           ああわからない
    ああわからないわからない 今の浮世はわからない
    文明開化というけれど   表面(うわべ)ばかりじゃわからない
    瓦斯や電気は立派でも   蒸汽の力は便利でも
    メッキ細工か天ぷらか   見かけ倒しの夏玉子
    人は不景気不景気と    泣き言ばかり繰返し
    年がら年中火の車     廻しているのがわからない

    ああわからないわからない 乞食に捨子に発狂者
    スリにマンビキカッパライ 強盗窃盗詐欺取財
    私通姦通無理心中     同盟罷工や失業者
    自殺や餓死凍え死     女房殺しや親殺し
    夫殺しや主(しゅう)殺し 目もあてられぬ事故(こと)ばかり
    むやみやたらに出来るのが なぜに開化か文明か

    ああわからないわからない 金持なんぞはわからない
    贅沢三昧仕放題      妾をかこふて酒のんで
    毎日遊んで居りながら   金がだんだん増えるのに
    働く者はあくせくと    流す血の汗あぶら汗
    夢中になって働いて    貧乏するのがわからない
    貧乏人のふえるのが    なぜに開化か文明か

    ああわからないわからない 賢い人がなんぼでも
    ある世の中に馬鹿者が   議員になるのがわからない
    議員というのは名ばかりで 間ぬけで腑ぬけで腰ぬけで
    いつもぼんやり椅子の番  唖かつんぼかわからない

    ああわからないわからない 今の坊主はわからない
    殊勝な面でごまかして   寝言念仏ねむくなる
    女をみだぶつ法蓮華経   それも白髪のぢいさんや
    ばあさんたちが巾着を   はたく心がわからない

    ああわからないわからない 耶蘇の坊主もわからない
    飯も食べない人たちに   アーメンソーメンうんどんを
    食わせるなればよいけれど 聞かせるばかりで何になる
    何も食わずにお前らの   まずい説教がきかれよか

    ああわからないわからない 今のお医者はわからない
    仁術なんぞといふけれど  本職はお止めでたいこもち
    千代萩ではあるまいし   竹に雀の気が知れん
    貧乏人を見殺しに     してゐる心がわからない

    ああわからないわからない 弁護士なんぞもわからない
    おだてて訴訟をおこさせて 原告被告のなれあひで
    何をするのかわからない  勝つも負けるも人の事
    報酬貪ることばかり    何が義侠かわからない


    [No.624] 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/17(Sat) 17:24
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    村上 もとか:「龍」
    http://www.amazon.co.jp/%E9%BE%8D-RON-%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%9D%91%E4%B8%8A-%E3%82%82%E3%81%A8%E3%81%8B/dp/4091825915

    押小路龍の恋人 田鶴てい
    チチキトクの電報でふるさとに帰る。
    東北は今年も大凶作で娘の身売りが続く。

    おさななじみの友だちがみんな集まる。
    大地主の小原の娘光代は妾になるのをいやがって
    恋人庄三と心中未遂を起こすが、結局盛岡の金持ちの妾となる。

    大凶作では秋祭りも中止だった。
    みんなを元気づけるため、たづを中心に村の若者たちは芝居をすることになる。
    一週間後に鬼剣舞のかっこうをして村人に芝居上演を知らせる若者。

    そして、芝居の舞台が進むと同時に
    大地主の小原家では大変なことになっていた。

    庄三はついに小原家の主人を殺そうと刃物を手にする。
    そこへ盛岡から来た娘の光代が現れ、それでは光代も殺して死ぬという庄三に
    お腹の中の子供は庄三の子だと光代は言う。
    観念して、子供の未来を願う庄三。

    小田安次郎の「息子よ」で若妻杉子役でひかる演技をした田鶴てい

    関東軍から大満州航空会社顧問の龍に依頼が入り
    新京から奉天に大型旅客機を飛ばせ、奉天で重要人物を乗せて新京に戻ってくるように。
    甘粕正彦は満州皇帝を送る一緒の飛行機で
    のどの渇いた皇帝に提供のワイン
    皇帝の飲むボルドーワインを甘粕も飲んだ。フランスにいたときよく飲んだという甘粕。
    フランスの思い出は楽しいものではなかった。

    甘粕正彦はフランスで新婚生活をおくったという歴史的事実がある。
    満洲映画協会(満映)の理事長であった。


    [No.623] 大活字本 山村美紗集 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/17(Sat) 17:08
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    この本に載っているのは
     恐怖の賀状
     熱い密室
     黒枠の写真

    同じトリックやアリバイは使わないという
    山村美紗のこだわり。

    活字が大きいと読みやすい。


    [No.622] Re: 「ピノッキオ」は児童書ではない! 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/17(Sat) 15:50
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    >  映画のあとは、ぜひ原作を読まれたし。

    さっそく図書館から借りてきました。
    この一年以内に読んだ記憶はあるのですが....
     再度挑戦。

    コッローディ作 杉浦明平訳: ピノッキオの冒険  岩波少年文庫

    扉に以下のことが書いてありました。
     カルロ・コッローディ(1826-1890)
     イタリアのフィレンツェ市生まれ。
     神学校に入学するが、自分に向いていないと気づき
     20歳ころから物を書きはじめる。
     イタリアの独立戦争に従軍して戦い
     イタリア独立後は、役人になったり新聞記者になったり
     しながら、子どものための本や教科書を書いた。
     生涯、結婚しなかった。
     「ピノッキオの冒険」は1881年から「子ども新聞」に
     連載しはじめ、読者の要望に応えて、足かけ3年に
     わたって書き継いだものである。


    訳者あとがきでつぎのように述べている。
     「ピノッキオの冒険」は約100年前に出た本だが
    作者はほかにも子ども向きの本を数種類書いたのに
    今ではほとんど誰にも読まれていない。
     同じころ出たイタリアの児童文学のうちで
    今なお愛読されているのは、「ピノッキオの冒険」と
    デ・アミチスの「クオレ」くらいなものである。
     しかもこの二つの作品はイタリアだけでなく、世界じゅうで
    愛読されているといっても言いすぎではない。


    [No.621] Re: 豆本 投稿者:   投稿日:2011/12/17(Sat) 13:23
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    > > 「洋酒天国」はB5版の月刊、これも全52冊揃っています

    今あらためて見てみると執筆者が凄いです(^_-)/

    1号:吉田健一、中谷宇吉郎、春山行夫、福島慶子、横山隆一、小夜福子、木村伊兵衛
    2号:大宅壮一、北原武夫、鈴木信太郎、谷桃子、秋山庄太郎、伊勢正義、佐藤美子
    3号:薩摩治郎八、早川雪州、今日出海、双葉十三郎、鴨居洋子、水の江滝子

    これをトリスバーでロハで手に入れたんだから結構な時代でした(^-^)


              さんらく亭@甲子園


    [No.620] Re: 「ピノッキオ」は児童書ではない! 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/17(Sat) 10:43
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    唐辛子 紋次郎 さん

    > そういう視点で翻訳された大岡玲の「ピノッキオの冒険」を読んだ。

    >  それはこの話の出どころが旧約のヨナ記だという意味では正しい。しかし、コッローディの書いたのは「新ヨナ記」なぞのなぞりではなく、かれ自身の「ピノッキオの冒険」である。なにもマッタク同じである必要はない。

    > * 旧約のその個所を見ると、ただ大きなさかなun grosso pesce (inghiottisse Giona.)となっているので、ほんとうはクジラでもサメでも何でもいいのかも知れない。

    昭和45年の新改訳聖書(日本聖書刊行会)を見てみました。
     主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。
     ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。

    そして、ドイツのクリスマス市で買った DIE MERIAN BIBEL も見ました。
    これは大きな本なのに格安でした。 日本に運ぶ運賃の方が高いくらい。
     Aber der Herr liess einen grossen Fisch kommen, Jona zu verschlingen.
     Und Jona war im Leibe des Fisches drei Tage und drei Naechte.


    [No.619] Re: ミトコンドリア・イヴ(2) 投稿者:   投稿日:2011/12/17(Sat) 10:40
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    DeBugman さん、おはようございます。

    > 4年ほど前、私自身のmtDNAの分析を米国のある研究所に依頼し、ハプログループ「M*(マクロM)」との結果を得ました。『日本人になった先祖たち』には詳しい系統樹が載っていますが、「M*」の位置が不明でしたので、篠田さんに手紙で教示をお願いしたところ、早速「M*ではなく、M7a」との返事をいただいたのです

    講演会資料として、いろんなデータをいただきました。

    M7a は、日本人全体では8%ですが、南に偏っていて、沖縄では25%にもなるのですね。

    L0→L2→L3→M→M7→M7a の系統樹データもありました。


    [No.618] Re: 豆本 投稿者:   投稿日:2011/12/17(Sat) 10:37
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    画像サイズ: 600×444 (74kB)
    > 「洋酒天国」はB5版の月刊、これも全52冊揃っています

    、、、というわけで創刊1号から最終52号まで。
    知り合いのバーのマスターから譲ってほしいと頼まれたり、貸したまま戻ってこなかったりで若干の欠番がありますが殆ど全巻揃っています

    まぁ、いい時代でしたねぇ(^_-)/


             さんらく亭@甲子園


    [No.617] Re: 豆本 投稿者:   投稿日:2011/12/17(Sat) 10:34
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    画像サイズ: 348×476 (48kB)
    唐辛子紋次郎さん


    >  というわけで、きょう「洋酒天国」第23巻を読んだ。神田でたった300円の破格値段で入手したものだが、著者は永六輔。題は「宴歌ばらえ亭」94ページもある。

    正確にいうと「洋酒マメ天国」ですね。全42冊(3冊x14箱)

    ←写真で前に出ているのがその「宴歌ばらえ亭」

    >  さいごは手前味噌の賛トリー(発行がサントリー株)の歌が出て、六輔自作の、こんにちは赤ちゃん、上を向いて歩こうがでて、それで終わりかと思うと、その後に作詞、作曲の勧めまでが飛び出す。
    >  ほんとうに、面白い本があった紋だ。(@_@;)

    永いこと本棚の裏側で眠ってましたが久しぶりで開いてみましょう(^_-)/

    「洋酒天国」はB5版の月刊、これも全52冊揃っています


             さんらく亭@甲子園


    [No.616] 都ぞ弥生 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/17(Sat) 10:12
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    東京音楽大学准教授 下道郁子
           七大学をめぐる歌
          第5回「都ぞ弥生」(前編)

    北海道大学恵迪寮の寮歌「都ぞ弥生」

    北海道大学の歴史は明治九年の札幌農学校にはじまる。
    明治四十年に東北帝国大学農家大学となり、予科を設置した。

    恵迪寮の名前は、予科が設置された明治四十年に
    書経の「迪(みち)に恵(したが)えば吉(よ)し」からとった。

    当時、第一高等学校、第三高等学校に既に名寮歌があったので
    恵迪寮でも寮歌を持とうとする有志が集まり、寮歌の募集を行った。

    こうして第一作「一帯ゆるき」が誕生した。
    以後、毎年寮歌が作られ、「都ぞ弥生」は第六作となる。

    「都ぞ弥生」は歌詞、曲ともに優れた名歌であり、この歌に憧れ魅せられて、
    津軽海峡を渡ってきた北大生も多くいると言われる。

    「都ぞ弥生」の作詞者は予科二年横山芳介で彼の遺稿ノートには推敲の過程が記録されている。
    作曲者は予科三年生の赤木顕次だった。
    若い二人は議論の末、現在の「都ぞ弥生」ができあがったという。

    ヴァイオリンニストの同級生から、「このままではいけない、音楽学校へ送って直してもらった方がよい」と言われたが、赤木は「人が直すなら、絶対に発表しない」と応え、当時は「それほど自信満々であった」と回想している。

    こんなに一生懸命つくったせいか、赤木も横山も揃って落第してしまう。

    なお、当時寮歌の歌詞は教官だった有島武郎が添削するという習慣があったので
    横山は有島に添削を仰いだところ
    「直されたのは一箇所、漢字の間違いだけだよ」と友人に語ったという。

    学士会会報
    U7 volume 41
    December 2011


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