私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.811] Re: フランドル美術紀行 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/29(Thu) 06:44
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    唐辛子 紋次郎さん

    > >フィリップ美公がブルゴーニュの宮廷を
    > >北フランスからフランドル地方に移したことによって
    > >ブルージュとブリュセルは豪華絢爛な都市へと変身した。

    >  ブルージュには良い思い出があります。散歩中、アイクの銅像を発見したことも印象に残っています。かれの、活躍の場はゲントだったのですが、この街で死んだのです。美味しいビールを飲んだのもここ。フランドルを治め、地元民から敬愛された美貌のマリー、ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。

    マリー女公(1457年 - 1482年)
    父シャルル突進公の死後、フランス王ルイ11世の煽動により反乱が起こり、一時幽閉される。そこで婚約者マクシミリアンに救援を求め、結婚する。ブルゴーニュはフランス王領に編入されるが、ギネガテの戦いの勝利によりネーデルランドとフランシュ=コンテは確保する。マリーとマクシミリアンの共同統治となるが夫婦仲は極めて良く、共に領内を歴訪し支持を集める。しかしマリーは落馬事故にてあえなく落命する。ヴァロワ=ブルゴーニュ家男系が絶えたため、2人の息子フィリップ美公が相続した。公位と所領はその後、美公の長男である神聖ローマ皇帝カール5世からスペイン・ハプスブルク家へと継承された。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E5%85%AC%E5%9B%BD

    落馬で死んだマリーの息子フィリップ美公、それから神聖ローマ帝国との結びつきが強くなった。
    だから、ウィーンにフランドル地方の絵画が多くある。
    ということがいろんな本を読んでわかりました。

    >  ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)

    一緒したあのレストランでしたか。


    [No.810] Re: フランドル美術紀行 投稿者:   投稿日:2011/12/28(Wed) 23:08
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     男爵さん、こんばんは。

    >旅名人ブックスのシリーズ本の一つ

    >私としては
    フランドル地方の歴史からまず始めたいところだが
    そんなに詳しくは説明していない。

    >225ページにブルゴーニュ公国の領土の地図が載っている。
    なんとここにはオランダ、ベルギーのほかにルクセンブルクや
    アルサス・ロレーヌのロレーヌ地方まで入っている。
    (それは当然なのだが)

    >フィリップ美公がブルゴーニュの宮廷を
    北フランスからフランドル地方に移したことによって
    ブルージュとブリュセルは豪華絢爛な都市へと変身した。

     ブルージュには良い思い出があります。散歩中、アイクの銅像を発見したことも印象に残っています。かれの、活躍の場はゲントだったのですが、この街で死んだのです。美味しいビールを飲んだのもここ。フランドルを治め、地元民から敬愛された美貌のマリー、ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。

     ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)


    [No.809] Re: うっかり吹聴できぬ国家的な秘密とは 投稿者:   投稿日:2011/12/28(Wed) 22:03
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      BUP さん、みなさん、こんばんは。

    > 開けて、中を見たら、大きな枕状のものが横たわってました。
    > 何に使うにか?って、先輩にに訊いたら、”抱いて寝ろ”って言われましたがぁ〜。
    > 普通の枕もありましたんで、取り敢えず足を載せて寝てました。
    > ”ダッチワイフ”とか言うモノだそうです。
    > オナカを冷やさない効果が在るとか・・・。
    > 間もなく前線へ・・・、ジャングルの防空壕で寝ることになりましたが。

    抱き枕、変じて足枕ですか。足枕ってのも、そういえば、たしかにありましたね。海外へ行くヒコーキのなかで、足をのっけるヤツ、ありますよ。(*^_^*)

     寝具店で扱っていない枕には、噺家のまくらのほか、漱石の「草枕」、丸谷才一の「笹まくら」など、いくつかありますね。

     むかしの旅では、折り畳みまくらや、道中枕が大事で、いまのケイタイくらいの値打ちがあったようですね。

     抱き枕は中国、韓国等に多いようですね。また、タイの抱き枕は中空でなく、パンヤや綿、海綿などを詰めるようですよ。


    [No.808] 不知火海 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/28(Wed) 20:42
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    内田康夫:不知火海

    有明海 島原湾
     島原半島 雲仙
      天草諸島 不知火海

    柳川と大牟田があんがい近かった。

    口之津港  鬼池港

    これらを地図で確認。

    これは重い小説だった。とくに今読むと重い。


    [No.807] Re: 誰のために愛するか 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/28(Wed) 20:35
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    > > > 曽野綾子:誰のために愛するか
    > > >
    > > > 気になる文章がいくつも書いてある。
    > > > 愛読書というよりは人生の参考になることが書いてある本である。

    著者が小さいときから祈ってきた聖イグナシオの祈りに
    「我が知恵、我が記憶、また我が意志をことごとく受け入れたまえ。それらはすべて主の賜なり」という一節があった。

    えらくいい子になったように見えるので、この精神を別の言葉に翻訳すれば
    「わては何も悪るうないでえ。こうなったんは××のせいやァ」
    ということである。
     
    著者は大きな方向は自分の意志で決めたいが、小さい部分は流されてもしかたがないと
    考えるが、実際には人が決めるのは晩のご飯のおかずくらいかもしれないし
    それだって、マーケットに行けば、予定していたものがなかったということはざらなのだと書く。
    だから、われわれは運命という大きな力に流されるのかもしれない。

    神のなせるままにまかせようという態度は、どこか他力的で他力本願の考え方に通じるものがある。


    [No.806] Re: 誰のために愛するか 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/28(Wed) 19:51
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    > > 曽野綾子:誰のために愛するか
    > >
    > > 気になる文章がいくつも書いてある。
    > > 愛読書というよりは人生の参考になることが書いてある本である。

    文学というものは、その頃、まだ今とはまったく違う感じで受けとられていた。
    「文学をやる」などということは、グウタラな、社会の落伍者のすることであった。
    そして、実は、今もまさにその通りなのである。どこの国に、偉大な道徳的な文学者などいるであろうか。そんな人はいもしないし、又、文学者の資質として必要でもない。

    文学は人間の弱き部分をも見つめることである。その理解者になることである。殺人者の心をも我がことのようにわかることである。

    文学をする態度はそもそも無精なものだ。それは孤独だし、偏狭であり、もろすぎる。それは不遜であると同時にたえず自分を認めようとしない。泣くと同時に笑おうとしている。本音と絢爛たる虚構がいりまじる。そんな分裂的な人間がどうして信頼するに足人物か。

    人間のおろかしさ、弱さ、どろどろした欲望、あさましさ、みにくさ、そんなマイナス面もしっかりみすえないと真実の人間は描けない。
    という著者の考え方はいまになってみると、その通りである。
    小説が道徳的ではおもしろくない。何かイケナイもの、不完全なものを登場させて、それらをのりこえた道徳的な結末にするなら盛り上がりも出てくる。

    かくして
    体験的にアンパンマンだけではつまらないから、話を面白くするためバイキンマンがつくられた。
    同様にやはり体験的に、正義の鬼太郎の脇役として卑怯な自分勝手な嘘つきのキャラクターねずみ男を水木しげるは登場させたのであった。

    弱さ、みにくさ、あさましさという人間のマイナス面をもってこそ主人公たちは生身の人間として読者から共感される。
    源氏物語、カルメン....みんな人間的だ。


    [No.805] Re: うっかり吹聴できぬ国家的な秘密とは 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/28(Wed) 16:13
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    紋次郎さん BUPさん、みなさん、

    > 昭和17年の夏ころ、空路セレベス島のマカッサルと言う町に到着(観光ではなく、戦争で・・・),着陸したら、お前の部隊は前線で戦闘中、危ないから此処で待機しろって、有難いご命令、ホテルみたいな宿舎を宛がわれました。

    > 開けて、中を見たら、大きな枕状のものが横たわってました。

    > ”ダッチワイフ”とか言うモノだそうです。

    竹婦人あるいは竹夫人
    というものを
    韓国民族村で見たことがあります。

    暑い夏の夜に抱いて眠ると涼しい。


    [No.804] Re: 町人社会を活写! 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/28(Wed) 16:07
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    唐辛子 紋次郎 さん

    >  「デカメロン」はつとに有名。ペスト禍を避けるため十人の恵まれた男女が山上の安全地帯にあつまり、それぞれが自慢の話を持ち寄り、10日間ぶっ通しでつぎつぎ披露する。(そこで、一名を「十日物語」ともいう)

    1348年に大流行したペストから逃れるために邸宅に引き篭もった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話をするということでしたね。

         ○     ○

    ノストラダムス(1503年12月14日 - 1566年7月2日)は、ルネサンス期フランスの医師、占星術師。
    南仏でのペスト流行時には、積極的に治療にあたり、後年その時の経験などを踏まえて「化粧品とジャム論」などを著した。

         ○     ○

    30年戦争のすぐ後
    南ドイツのオーバーアマガウでは、ペストによって、1633年までにほとんどすべての家庭で犠牲者が出た。
    ペストの犠牲者たちは10年ごとに主の受難と死の劇を演ずることを墓地で誓った。
    翌年の1634年
    ペンテコステ(聖霊降臨日)に、オーバーアマガウの人々はペストの犠牲者の墓のある墓地に作られた舞台で
    主イエス・キリストの受難と死、そして復活の劇を上演した。
    以後
    オーバーアマガウでは10年ごとにキリストの受難劇が上演される。

         ○     ○

    ニュートンは1665年の4月に学位を授与されるが,英国ではペストが大流行し,ケンブリッジ大学は閉鎖されてしまい,ニュートンは故郷のリンカーン州に戻ることになる。
    そこで,彼は2年間(1665年から1666年まで)過ごしたが,20代前半の,この2年間の休暇は彼に大きな影響を与えた。そ
    の間に彼は,数学,光学,物理学,そして天文学で驚異的な進歩を遂げる。

    デカメロンのときのペスト、ノストラダムス時代のベスト、オーバーアマガウのペスト、ニュートン時代のペスト
    要するにヨーロッパではペストは何度も流行して、たくさんの人びとが死んだのでした。


    [No.803] Re: うっかり吹聴できぬ国家的な秘密とは 投稿者:BUP  投稿日:2011/12/28(Wed) 15:30
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    紋次郎さん 男爵さん、みなさん、 コンニチハ ヒマツブシです。
    昭和17年の夏ころ、空路セレベス島のマカッサルと言う町に到着(観光ではなく、戦争で・・・),着陸したら、お前の部隊は前線で戦闘中、危ないから此処で待機しろって、有難いご命令、ホテルみたいな宿舎を宛がわれました。
    大きなベッドに白い蚊帳が吊ってありました。
    開けて、中を見たら、大きな枕状のものが横たわってました。
    何に使うにか?って、先輩にに訊いたら、”抱いて寝ろ”って言われましたがぁ〜。
    普通の枕もありましたんで、取り敢えず足を載せて寝てました。
    ”ダッチワイフ”とか言うモノだそうです。
    オナカを冷やさない効果が在るとか・・・。
    間もなく前線へ・・・、ジャングルの防空壕で寝ることになりましたが。


    [No.802] こころの相談 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/28(Wed) 15:17
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    小野直広:こころの相談

    カウンセリングを超える新技法
    誰もが使える、短期療法での解決

    長年カウンセリングに携わってきた著者が
    いきついた短期療法

    短期療法のルール
    ・短期療法は、クライエントの問題をなるべく早期に解決する。
    ・クライエントは個人でも集団(家族など)でもかまわない。
       たとえば登校拒否の本人でなくても家族からでも担任でも相談に応じる
    ・解決の方法は、問題の中に「小さな変化」をおこすことである。
    ・小さな変化をおこすには、いくつかの効果的な筋道がある。これを「万能カギ」という。
    ・セラピストとクライエントは、万能鍵にしたがって、手段を相談する。
    ・手段は無数にある。そのなかから、なるべく「小さな、容易な、おもしろい」ものをえらんで、クライエントの課題とする。

    経済学ではよく「○○のスパイラル」という表現があるが
    悩んでいる本人は、ある悩みのサイクルにいて、なかなかそこからぬけだせない。
    では、何か小さな変化を与えてみると、それは小さな刺激であっても
    悩みのサイクルが一部壊れて、本人の持つ自己解決力が発揮されるきっかけとなる。
    そういう例をたくさん報告している。 もちろん、良い結果にすぐつながらない場合もある。 いずれにせよ色々なことを試してみると良い結果がえられることがある。
     この本には書いていないが、気分転換するため、カーテンを変えてみる、家具の配置を換えてみる、いつもと(通勤や通学の)違うコースをとってみるというのがありますが、これもこの本の理論の応用編なのかもしれません。

    こころの悩みの原因を見つけて、それを正面からなおしていくのが王道であるが
    そんなことをしていたら時間ばかりかかって問題解決が先延ばしになることがある。
    この方法はとにかくベターな結果が出たらよしとする。
     いささか結果オーライ的な方法だが実践において多くの悩みを救ってきたことは事実。


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