私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.412] Re: ダス・ゲマイネ 投稿者:   投稿日:2011/12/04(Sun) 10:26
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    唐辛子紋次郎さん  男爵さん、みなさん、

    >  女の子というところを、メッチェン(das maedchen)が、とか、教授の奥さんをフラウ(die Frau)が、と云ってみたり、認識というところをerkennenといい、止揚と云うところをアウフヘーベン(aufheben)などと云う。

    思い出します(^_-)/

    リーベ  ハイラーテン  ゲル  ダンケ  エトワスノイエス ・・・・

    いまの若者(団塊世代でも?)にはさっぱりチンプンカンプンでしょう


           さんらく亭@甲子園


    [No.411] Re: ダス・ゲマイネ 投稿者:   投稿日:2011/12/04(Sun) 10:14
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      男爵さん、みなさん、

    > ダス・ゲマイネとはドイツ語 das Gemeine
    > これは英語にもフランス語ある形式で、形容詞が名詞をさす。
    > 定冠詞+形容詞で「ゲマインな人」ということ。
    > つまり「フツーの人」「凡人」「低俗なやつ」「いやらしいやつ」

     das Gemeineこと紋次郎です。わかいころ、ドイツ語はケッコウ流行りましたね。白線高校生の間では、日本語で云えるところをわざと、あっしら凡俗に分からないように、ドイツ語を使う。(*^_^*)

     女の子というところを、メッチェン(das maedchen)が、とか、教授の奥さんをフラウ(die Frau)が、と云ってみたり、認識というところをerkennenといい、止揚と云うところをアウフヘーベン(aufheben)などと云う。

     一方、病院の先生も負けずにカルテ(die Karte)だの、クランケ(der Kranke)だのドクトル(Doktor)だの。

     戦後も、ゲバ棒(die Gewalt)だのゲルピン(das Geldがピンチ?)だの。

    それから、いまのこどもなら、だれでもバウムクーヘン(der Baumkuchen)を知っていますね。メルヘン(die Maerchen)もいまや日本語、さいきんは海外への旅行者も増えたので、広場プラッツ(der Platz)や市場(der Markt)マルクトなども常識の範囲内かも。


    [No.410] ダス・ゲマイネ 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 08:45
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    高校生の時、(読むと自殺したくなるから)決して読むなと言われた太宰治の小説。
    それをまにうけて、私は大学に入ってから読んだのです。
    世の中に太宰ファンは多い。

    さて、太宰治のダス・ゲマイネについて印象を書いてみよう。

    次の言葉を読んでなるほどと思った。
    自称音楽学校(今の東京芸大)の学生が東大生の主人公に語る言葉である。
    「僕はそこの音楽学校にかれこれ8年います。なかなか卒業できない。
    まだいちども試験というものに出席しないからだ。ひとがひとの
    能力を試みるなんてことは、君、容易ならぬ無礼だからね」
    「さうです」「と言ってみただけのことさ。つまりは頭がわるいのだよ」

    人が人を評価するとは、とうてい完全なことは期待できない。
    ある面では人気投票、あるいはひいきの引き倒しにもなりかねない。
    しかしながら、その価値がわからない人には引き立ててもらえない。
    その価値をわかる人はやはり同じ分野の人でないとだめなのだ。

    美術にしても学術研究にしても、先生に負の評価を受けたら
    抹殺されることもある。いや、過去にもあったのではないか。
    だから、相当の力をつけてから、たいていの人は先生から独立して
    先生を客観的に評価するようになる。

    ダス・ゲマイネとはドイツ語 das Gemeine
    これは英語にもフランス語ある形式で、形容詞が名詞をさす。
    定冠詞+形容詞で「ゲマインな人」ということ。
    つまり「フツーの人」「凡人」「低俗なやつ」「いやらしいやつ」

    この小説では誰が低俗な人間なのであろうか。
    主人公かあるいは全員か。


    [No.409] ビルマの竪琴 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 08:08
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    竹山道雄:ビルマの竪琴

     はにゅうの宿、ビルマの臥仏像、水島上等兵

    この話は映画で見たのが最初だった。
    本を読んだのはそれからずっとずっと後。

    敗戦当時の頃、兵隊たちが復員してかえってきたが、みなやせて、元気もなかった。
    そんな中に、大変元気よく帰ってきた一隊があった。
    隊長が音楽大学を出たばかりの音楽家で、兵隊たちに熱心に合唱を教えていたのだった。
    この隊は歌のおかげで苦しいときにも元気が出るし、いつも友達同士の仲もよく、隊としての規律もたもたれていた。
    この隊の一人の兵士がこの話をしてくれた、というはじまりになっている。

    竪琴のうまい水島上等兵は風貌もビルマ人に似ている。
    そういう書き出しで、のちに主人公の水島上等兵がビルマ僧となって、竪琴を
    弾きながら、死んだ兵士の遺骨を弔う仕事をする伏線を書いているのはさすがだ。

    イギリス兵から3日前に日本は降伏したことを聞かされ、この音楽の得意な隊は
    捕虜生活をおくる。隊長はみんな一緒の行動をとろう、そして全員無事日本に帰ろう
    と言う。

    そして、水島上等兵は隊長から頼まれた。
    遠くの山(三角山)に、日本兵がたてこもっていて、どうしても降伏しない。
    それをイギリス軍が攻撃して、いまだに戦闘が続いている。
    自分はイギリスの将校に頼んだ。どうか、われわれのうちの一人をその山にやって、
    説得をさせてもらいたい。
    それではやってみろという許可をもらったから、おまえが行ってくれというわけだ。

    そして、水島上等兵が無事任務をはたしたら、この隊がムドンの町の捕虜収容所
    におくられることになっているから、そこで落ち合おうと約束する。
    こうして、水島上等兵は一人任務について、隊のみんなと別れた。

    それっきり、水島上等兵は帰ってこなかった。彼の竪琴の伴奏のない合唱は
    つまらないものになった。

    やがて、人づてに彼らは水島上等兵の消息を聞く。終戦となってもなお抵抗した部隊
    が全滅しなかったのは、よそから説得に来た兵士のおかげだった。戦闘は続いたが、
    説得の功があって、結局は何人かの日本兵は降伏し命が助かったということだ。
    しかし、弾の中を走り回って降伏を説得し続けたその兵士がどうなったか誰も知らない。

    こういう話を聞きながら、ときおり見かける水島上等兵によく似たビルマ僧のことが、
    隊長はどうしても気になってしようがない。
    隊長は青いインコに「おーい、水島、一緒に日本に帰ろう」と教え込む。
    隊長は4日後に隊の全員は日本に帰ることをビルマ僧に伝えてもらうよう
    ビルマ人のおばあさんに頼んだ。

    そして、明日日本に帰るというとき一行の前にビルマ僧が現れ、水島上等兵だという
    証拠の演奏をする。しかし、彼は隊には戻って来なかった。彼はビルマに僧として
    残るのだった。

    あのおばあさんがビルマ僧のいつも肩にとまっていたインコ(隊長が水島帰ろうよと教えたインコの兄インコ)と手紙を届けに来る。
    そのインコは「ああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない」と叫ぶのだった。

    一行の帰国の船がマラッカ海峡をすぎたころ、隊長は水島上等兵からの手紙の封を
    切って、みんなの前で読み始めた。

    「みんなと一緒に日本に帰りたい。しかし、どうしてもしなければならない仕事が
    ある。この仕事がすんだら、それがゆるされるなら、日本に帰ろうと思う。
    しなければならないことというのは、ビルマのいたるところに散らばっている日本人の
    白骨を墓におさめ、てあつく葬ることである。この悲惨なものをそのままにして、
    日本に帰るわけにはいかない」

    あとがきで作者は書いている。
    この読物を書くのに、日本兵が合唱をしていると、とり囲んでいる敵兵もそれに
    つられて合唱をはじめ、ついに戦いはなくてすんだ、というような筋を考えた。
    しかし、日本人と中国人が歌う共通の歌はない。それで、われわれが子どもの頃から
    歌っている「はにゅうの宿」を一緒に歌える相手は、イギリス兵でなくてはならない
    と考えるにいたった。
    こういう事情から、舞台はビルマになってしまったという。

    作者はビルマに行ったことはなかった。だが、台湾に行ったことがあり、現地の部落
    を訪れたこともあり、台湾の風土を思い出しながら、この話を書いたという。
    終戦後すぐのころなので、進駐軍の検閲があった。(映画も芝居もみんな検閲された)
    第1話を書いてそれを検閲に提出した。

    検閲の結果、戦争をあつかっているからと不許可になった。出版社の方で何度か当局と
    交渉してやっと、書いてから半年後に掲載されることになった。
    そして、その続きは、この話が終わりまで完成した後に、全部を調べて大丈夫だと
    判断されたら、許可されることになったという。そのため、全部を書くのに時間的な
    余裕ができて色々調べることができたという。

    ビルマ全国に日本兵の白骨がたくさん野ざらしになっていること、日本兵が敗戦後に
    脱走してビルマ僧になっている者がある等の話を聞いて、作者は話の筋立て構成を
    決めた、とあとがきに書いてある。

    しかし、現地の体験がないため、細かいところでは数多くの間違いがあったようである。
    たとえば、僧がはだしで歩いているように書いたが、僧にかぎって「ポンジー草履」
    と呼ぶものをはいているそうだ。

    ビルマの僧侶は生き物を飼うことは決してない。楽器も弾かない。
    インコを肩にのせて竪琴をもつビルマ僧は、ビルマの人には信じられない存在なのだ。


    [No.408] Re: ドイツ文学におけるオタク考 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 07:49
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    > 「おたく」について
    > ★「おたく」族考 ドイツ語の教授の文章から

    >  そんなことを考えるようになったのも、このところ毎年のように「若きヴェルテル
    > の悩み」、「みずうみ」、「トニオ・クレエゲル」の3作とつきあってきたからだ。

    これを読んでから
    シュトルムの「みずうみ」を図書館から借りて読んでみた。
    奥の書庫に保管されている本を係員は持ってきてくれた。

    北ドイツの冬のすっかり凍った湖の上を歩くと
    足元に氷にとざされた湖の中の世界が見える
    というのが印象的だった。

    「トニオ・クレエゲル」は北杜夫の愛読書である。
    この小説の舞台となったリューベックの町を歩く北杜夫の心境は
    どんなに感激したものだったろうか。


    [No.407] ドイツ文学におけるオタク考 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 07:41
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    「おたく」について
    ★「おたく」族考 ドイツ語の教授の文章から

     この春大学に入った娘に、入学前でひまだからなにか面白い小説はないかと
    聞かれて、たまたま「ヴェニスに死す」の翻訳をわたしたところ、数日後に
    返してきて変な小説だという。「だってアッシェンバハという人なにもしな
    いんだもの」というのが娘の言い草だった。

     私もかねがね似たような感想は持っていたので、なるほどと思った。私が
    感じていたのは、アッシェンバハは本当に男色といえるのかどうか、少年のあ
    とをこっそりつけていくだけで、肉体的接触に及ぼうという気配は一向に示さ
    ないから、観念の男色家とはいえても、いわゆるホモとは別の人種ではないの
    かといったことであった。

     しかし娘が言うのは、そんなことよりなにより、主人公は勝手に見たり考えたり
    しているだけで、相手に直接話しかけたりは一切しない、今でいう「おたく」では
    なかろうかということだった。

     なるほどアッシェンバハはまさに「おたく」族であり、この小説に書かれている
    ことはすべて彼の脳髄の密室を通りすぎた情景にすぎず、相手の少年からすると、
    アッシェンバハの存在などは気づかなかったか、気づいたとしても、そういえば
    変な年寄がいたなあという程度のことであったろう。二人のあいだには人間としての
    接触はまったくない。

     接触がないといえば、マンが「ヴェニスに死す」より10年近く前に書いた
    「トニオ・クレエゲル」でも、主人公は憧れの少女インゲとは口を利いたことが
    ないようだ。インゲにしてみれば、黒い髪の陰気な少年がいたなあという印象しか
    なかったろう。トニオもまた典型的な「おたく」である。
    ......

     ヴィデオにCDにファミコン、ワープロ等、子供の時から「おたく」族を育てる
    ためのきっかけはふんだんにある。昔なら玩物喪志とでも言ったのだろうか、これらの
    器械に淫してしまうと、他人(ひと)には目がいかなくなり、他人と遊ぶことも
    なくなってしまう。

     いやそれどころか、他人といっしょにいても遊べなくなるらしく、今の子供
    は友達の家へ行っても、一人はファミコンで遊び、一人は劇画に読み耽った末、
    2,3時間もいて殆ど口をきかずに帰ってくるなどということが珍しくない
    らしい。

     親たる私の方も、昔から人づきあいのよい方ではなかったから大きなこと
    は言えない。一人で家にとじこもって本やレコードという”物”に淫している
    ことの多かった私など、昔の「おたく」族に属していたことは間違いないし、
    今では存在しなくなった文学青年という種族自体「おたく」族の前身であった
    といえよう。

     そう考えれば、アッシェンバハやトニオが「おたく」族であって
    少しも不思議はない。

     しかしそのドイツ文学でも、「おたく」族は昔から存在していたのではなく、
    19世紀のあいだに静かにその数をふやしていったものらしい。

     そんなことを考えるようになったのも、このところ毎年のように「若きヴェルテル
    の悩み」、「みずうみ」、「トニオ・クレエゲル」の3作とつきあってきたからだ。

     勤務先の授業で数年来ドイツ文学の入門的な講義を担当していて、学生たちに
    いつもこの3冊の感想文を書いてもらっている。

     いずれも一人の女性をめぐって詩人肌の男と生活者型の男が
    張りあう三角関係を扱っており、この3冊をくらべたときに、18世紀の後半から
    20世紀の初頭にいたるドイツ文学の推移が端的に把握できると思うからである。

     3作を読みくらべたときに一番健全なのは、なんといっても「ヴェルテル」
    である。

     ヴェルテルは最後に自殺してしまう人間でありながら、暗いところ
    や陰気なところが少しもない。

     自然に対しても人間に対しても心と感覚を一杯に開いて生きているし、
    ロッテもまた同様に溌剌と生きているから、二人はたがいの人格をよく知り
    あった恋人同士になりえている。

     この小説にあっては人と人、人と自然の関係が密であり健全であると
    つくづく思う。

     それが80年程あとに書かれたシュトルムの小説になると、人と人、人と
    自然のあいだはかなり離れたものになっている。

     ラインハルトとエリザベートは幼ななじみだとはいえ、男の方が大学へ
    行った頃から、二人の間に距離が生じてくる。ラインハルトはエリザベートを
    そのままの姿で愛するのではなく、エリザベートを夢みる男になっていく
    からだ。

     夢みられたエリザベートは、エリザベートという生身の女性を離れて、
    今でいえばヴィデオの画面に映る美女に近い存在に変貌していく。

     彼女の側からすると、そのぶんだけラインハルトも遠ざかって行ったのであり、
    この人は一体何を考えているのかしらという問いを心の中で何度もくりかえしたに
    ちがいない。

     そうした得体の知れない感じがあるからこそ、エリザベートはエーリヒという
    生活人と結婚してしまったのだろう。

     次にマンが「みずうみ」を意識しつつ書いたらしい「トニオ・クレエゲル」
    になると、インゲという美少女はこの世界に生きている人間としての輪郭が
    ごくごく薄い。

     この小説にはそもそも恋愛は存在しないし、人間の関係といったものすら
    殆ど存在しない。

     終わり近くの北の町での舞踏会の場面とて、主人公がハンスとインゲに再会した
    ように見せかけながら、よく読めばまったくの別人で、単にタイプが似ていただけだ
    という。

     すべては「おたく」族たるトニオの見た夢にすぎないことになる。

     こうして3作を並べてみると、「おたく」化は19世紀の百年のあいだに
    確実に進行していたのだと思われてならない。

     「おたく」化とはロマン主義の進行と頽廃の謂であろう。

     そして現在氾濫している「おたく」族とは”近代的自我”なるものの大衆化した
    かたちだといえようか。

     もちろん「ヴェルテル」も「みずうみ」も「トニオ」も数あるドイツ小説
    のなかの3作にすぎないから、これをもってドイツ小説の各時代を代表させる
    のは無謀かもしれない。

     だが、ドイツの小説中文庫本で一番手に入れやすい3冊に関するかぎり、
    「おたく」化の進行をそのまま反映しているように思われるし、
    さらにもう一冊、文庫本として手に入れやすい「変身」となるとどうだろう。

     この小説「変身」には、今あげた3作のような三角関係はまったく書かれていないが、
    グレーゴルという主人公は「おたく」も「おたく」、毒虫に変じたその姿は
    さながら「おたく」のお化けに見えるのが不気味だ。
    (松本道介、さろん)

    以上引用した文章については
    著者から掲載の快諾を得ています。

    この文章を書いた先生は、中央大学のドイツ語の先生です。

    ドイツ文学にも、おたくがあった。
    日本ではすでに多数のおたくが昔からあって私小説や純文学は
    私にとっては、おたく的な印象なのですが.....


    [No.406] 伊豆の踊子 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 07:28
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    川端康成のこの小説は何度読んでもいい。
    たびたび映画にもなった。

    自伝的な内容で
    川端はこの旅をして元気になったらしい。

     伊豆の踊子(1933年、松竹、五所平之助監督、田中絹代・大日方傳主演、白黒・サイレント映画)
    伊豆の踊子(1954年、松竹、野村芳太郎監督、美空ひばり・石濱朗主演、白黒映画)
    伊豆の踊子(1960年、松竹、川頭義郎監督、鰐淵晴子・津川雅彦主演、カラー映画)
    伊豆の踊子(1963年、日活、西河克己監督、吉永小百合・高橋英樹主演、カラー映画)
    伊豆の踊子(1967年、東宝、恩地日出夫監督、内藤洋子・黒沢年男主演、カラー映画)
    伊豆の踊子(1974年、東宝、西河克己監督、山口百恵・三浦友和主演、カラー映画)

    彼らを送り出して来た婆さんに聞いた。
    「あの芸人は今夜どこで泊まるんでしょう。」
    「あんな者、どこで泊まるやらわかるものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊まるんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか。」

    「旦那さま、旦那さま。」と叫びながら婆さんが追っかけて来た。
    「こんなにいただいてはもったいのうございます。申しわけございません。」
    そして私のカバンを抱きかかえて渡そうとせずに、いくら断わってもその辺まで送ると言って承知しなかった。一町ばかりもちょこちょこついて来て、同じことを繰り返していた。

    私は五十銭銀貨を一枚置いただけだったので、痛く驚いて涙がこぼれそうに感じているのだったが、踊子に早く追いつきたいものだから、婆さんのよろよろした足取りが迷惑でもあった。

    旅芸人は入るなという立札
    やはり旅芸人の身分は低かった。
    江戸時代の河原乞食や非人を思わせる。

    茶屋の婆さんから見て、旅芸人は人以下の存在
    主人公の一高生は雲の上の人に見えたのだろうか。


    [No.405] 銀河鉄道の夜 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 06:37
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    画像サイズ: 662×602 (67kB)
    「銀河鉄道の夜」は不思議な話だ。
    ジョバンニやカムパネルラは、どこの国の人なのだろうか。

    よくイメージとして空に浮かぶSLの絵が描かれるが
    宮澤賢治の生きた時代にはSLが普通だったんだろう。

    もっとも、童話の中で
    どんなエネルギーで列車が走っているかは説明していない。

    松本零士作のSF漫画「銀河鉄道999」は宮澤賢治のこの童話から生まれたものだが
    それは全く別のものである。

    敦賀に「銀河鉄道999」のモニュメントがあり、それを見に行った。


    [No.404] Re: 何とも変わった文体 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/04(Sun) 05:57
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    唐辛子 紋次郎さん

    > いま読んでいる吉田健一のエッセーは、なんともつかみどころのない、変わった文体で書かれている。

    >  このひとの、たとえば「英国について」などはまともな文体で、なんら抵抗なく読める。だが、この「随筆酒に飲まれた頭」は…。

    >  もっとも、表題が表題だといわれれば一言もないが。

    >  注意;この本は旧仮名遣いや、旧字体で書かれているので、読み通すには、それなりの覚悟がいる。(*^_^*)なお、この健一さんは、蛇足ながら、あの吉田茂さんの息子である。

    吉田 健一 1912年(明治45年)- 1977年(昭和52年)
    英文学の翻訳家、評論家、小説家です。
    父は吉田茂、母・雪子は牧野伸顕(内大臣)の娘で、大久保利通の曾孫にあたる。
    ケンブリッジ大学中退。

    父親の圧力にたえて、しぶい味を出していた評論家
    その独特のエッセイは玄人好みとみました。


    [No.403] 何とも変わった文体 投稿者:   投稿日:2011/12/03(Sat) 22:53
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    いま読んでいる吉田健一のエッセーは、なんともつかみどころのない、変わった文体で書かれている。

     このひとの、たとえば「英国について」などはまともな文体で、なんら抵抗なく読める。だが、この「随筆酒に飲まれた頭」は…。

     もっとも、表題が表題だといわれれば一言もないが。

     日本がまだ占領下にあったときと云うのは、なんとも得体のしれない人物がいたらしいのである。どこの国の大使か分からぬ人物の、モッポさんとの交友がつづられているが、筆を執ったのが、そのつきあいから大分年数がたっていたらしく、記憶も不確かなのか、その説明も曖昧模糊としている。

     この人物については、紹介者の言を引用すると、国連の下部組織に出席するはずの日本人代表の、選考委員の一人というからかなりの実力者のような気もする。

     また、モッポ氏の英語と云うのがいわく言い難い英語であるらしい。健一氏の筆を借りれば、『その訛りはまづイタリーに生まれて、まだ若い頃にフランスに流れて行ってパリで皿洗ひをやり、そこで溜めた金でロンドンの裏町でコーヒーの屋台店を始めて、店で馴染みになった船長の船に乗り込んでアメリカに渡ったという種類の、国際的性格のもの』で、健一さんは、康さんという、これまた怪しげな人物の、泣き落とし作戦に掛かってこのもう一人の怪人、モッポ氏に何度も会うようになる。

     そういうことが、綿々とつづってあるのだが、読まされる方としては、およそそんな不確かなことは、じっさいに書く必要があったのかどうかと云う気がしてくる。

     その後でてくる、酒を飲む話も、一体どこの、どの店が舞台なのか、分からぬうちに話の方は、読者なんぞにお構いなしに、どんどん進行してゆく。

     健一氏とそのつれは、飲んでる最中絶好調で、おおいに気炎を上げるが、帰りも、無銭飲食よろしく、ルンルン気分で店を後にするのだ。しかし、それも実話なのか創作なのかその境目が、一向に分からない。

     そのほか『ロッホネスの怪物』というのがあったので、こいつは面白そうだと思って読み始めたが、期待の怪物はあいにく休暇中なのか、最後まで読んでも、その片鱗すら見せなかった。

     注意;この本は旧仮名遣いや、旧字体で書かれているので、読み通すには、それなりの覚悟がいる。(*^_^*)なお、この健一さんは、蛇足ながら、あの吉田茂さんの息子である。


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