私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.729] ウルトラマン昇天 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/23(Fri) 17:02
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    山田輝子:ウルトラマン昇天
      M78星雲は沖縄の彼方

    金城哲夫は沖縄の高校の受験に失敗して、
    上京して玉川学園高等部、玉川大学文学部教育学科卒業。
    このとき一年上で高等部の面接試験に教師から頼まれて面接事務を手伝ったのが札幌出身の著者だった。
    合宿などで著者は金城を知り、以後彼の活躍に注意するようになる。

    玉川学園時代に、恩師である上原輝男の影響を受け、脚本に興味を持ち始め、
    上原より教え子の一人だった円谷皐(のぼる)を介して円谷英二を紹介され、
    東宝特撮映画で健筆をふるっていた関沢新一からシナリオライターとしての手ほどきを受ける。

    大学を卒業するまでに、すでに彼は円谷門下でウルトラマンの準備をしていたことになる。

    「ウルトラQ」
    1964年9月から撮影が始まったが、全体の企画からスポンサー決定までがなかなか
    進まず、実際に放映されたのは1966年1月からである。

     円谷プロダクションがTBSで放送するため怪獣テレビ映画「ウルトラQ」を
     作ったのだが会社の評判は悪く、かれこれ一年間もお蔵入りになっていた。
     これを「少年マガジン」で取り上げて追い風を起こしたのである。
    http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/11-semi5/wforum.cgi?mode=find&list=newsort&word=%83E%83%8B%83g%83%89%82p&cond=AND&view=10

    金城は28作中14作の脚本を単独あるいは共作で書いた。

    この評判の中から怪獣シリーズとしての次作「ウルトラマン」が企画される。

    「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の三シリーズ計116本のうち、金城は共作を含め40本のシナリオを書いた。

    その後の製作番組は売れるものもあればそうでないものもあり、経営は悪化して、
    1969年に円谷プロダクションを退社し
    沖縄県に帰った金城はラジオのパーソナリティーや沖縄芝居の脚本・演出として活躍し、
    さらに沖縄の幕開け時代のテレビ界でも活躍した。
    最大のイベント番組「新春民謡紅白歌合戦」の司会は金城のはまり役となった。

    沖縄海洋博の構成・演出などで活躍したが、これが最後の仕事となった。

    1976年2月23日、泥酔した状態で自宅「松風苑」の2階の仕事場へ直接入ろうとして
    足を滑らせ転落。治療の甲斐なく、3日後に脳挫傷のため死去。享年37。

    放送界にいたときからすでに酒におぼれるようになっていた金城は、生きる目的をどこかで失っていたのだろうか。


    [No.728] Re: 池波正太郎「ドンレミーの雨」 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/23(Fri) 16:20
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    唐辛子 紋次郎さん

    > まず題がいい。ドンペリなら知ってるけど、ドンレミーは知らない。それでも、かまわない。

    >  表紙カバーに池波さんの、赤いコートを着て、黄色の帽子をかぶった西洋の老婦人の絵があって、すぐにでも本文を読みたい気持ちが、ますます強くなってくる。

    フランスの話ですか。
    http://sumally.com/p/99108

    >  この本を手に取った人は、天は二物を与えず、という言葉が、真っ赤なウソであることを立ちどころに悟るはずである。

    年賀状も手書きで、それも半年も前から書くそうです。
    絵は上手だったようです。

    家族を連れてフランスに旅行して、美味しいものを食べていたようですね。


    [No.727] 池波正太郎「ドンレミーの雨」 投稿者:   投稿日:2011/12/23(Fri) 15:32
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    まず題がいい。ドンペリなら知ってるけど、ドンレミーは知らない。それでも、かまわない。

    なぜか、ついつい想像力の羽を伸ばしてしまう。

     表紙カバーに池波さんの、赤いコートを着て、黄色の帽子をかぶった西洋の老婦人の絵があって、すぐにでも本文を読みたい気持ちが、ますます強くなってくる。

     本文に入っても、読者は期待を裏切られることはなく、著者の、すばらしい挿絵や、写真とページをめくるごとに出会うことになる。

     またカラーの挿絵が、非常に美しい。こういう、時代小説の名手が、こんなバタ臭い絵を描くことができることに対しては、誰だって驚きと羨望を隠すことができないだろう。

     この本を手に取った人は、天は二物を与えず、という言葉が、真っ赤なウソであることを立ちどころに悟るはずである。


    [No.726] Re: 人間の覚悟 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/23(Fri) 11:29
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    > > > 五木寛之:人間の覚悟 新潮社(2008)
    > >
    > > この本には
    > > 気になることが多々書いてあるのだが
    > > それをいちいち紹介するのは大変なので
    > > 少しだけ、できる範囲で、ここに書いてみよう。

    1995年に阪神淡路大震災が起きたとき
    ボランティアとしてたくさんの人が被災地に向かった。

    若い人たちの中には、骨を埋める覚悟で行くという人もいるほど熱気があったのに
    地震から二、三年もたつと、その人たちが五木にこぼすようになったという。
    「はじめは涙を流して喜んでくれた人たちが、そのうち慣れて小間使いのように
    自分たちをこき使う」、「やってくれるのが当然という態度で、ありがとうの一言もない」など。

    しかし五木はこう考える。
    「それは君たちがまちがっている。そもそもボランティアというのは、最後は
    『石もて追われる』存在であるべきなのだから」

    最後にみんなから大きな感謝とともに送り出される、などと考えてはならない。
    「もう帰っていいよ」と言われたら、「はいそうですか」と帰ってくればいい。
    いい体験をさせてもらいました、ありがとう、と心の中でつぶやきつつである。
    そう覚悟してこそボランティアなのだと五木寛之は言うのである。

    やっぱりボランティアも、みんなから感謝されたいのでしょうね。
    何のためのボランティアなのか。

    こんなことも書いてありますよ。
     ボランティアによく似た例として、革命家がある。
     革命家というのは、チェ・ゲバラも毛沢東もほんとうに貧しい
     最底辺の労働者や農民の子ではない。
     どちらかというと良家の子弟がなるものなのだ。
     父親がアル中で母親が借金で首が回らないような生活を見た子は
     革命という理想に一生を捧げてもかまわない、とは思えないものだから。
      ロシア・マルクス主義の父といわれたプレハーノフはレーニンに
     追放され、ゲバラもカストロに対して身を引くような形で
     最後は他国での革命運動の最中に処刑された。
      結局、革命家というものは、最後は民衆に吊るされるか
     「石もて追われる」か、次の権力者に追放されて失脚するのだ。
     ボランティアも同じで、ほんとうに自らの身を投じて仕事すれば
     ついには追われるのは自然なのだ。

    民衆に吊るされなくてもギロチンにかけられた人もフランス革命では少なからずいましたね。
    石をもて追われるのはかなわんと逆襲して、文化大革命を起こしたのが毛沢東でしょうか?


    [No.725] 人類学を神話からDNA科学へ 投稿者:GRUE  投稿日:2011/12/23(Fri) 10:54
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    皆さん、おはようございます。

    これは、「ミトコンドリア・イブ」のツリーからの分岐の話題です。

    「新日本人の起源」(崎谷 満 勉誠出版 2009年9月)を読んでの
    感想です。

    まず、これには副題が付いています。「神話からDNA科学へ」と。
    「日本人の起源」のような人類学に関する話が、「分子生物学」とい
    う科学的ツールを得て、具体的にはDNA科学分析方法を用いた結果、
    旧来の思考(骨や歯の分析に頼る形質人類学の結果)がもはや神話と
    して乗り越えられてしまう事態になっているということでしょう。
    DNA分析による分子人類学の確立です。

    思い起こせば、植物・動物学において、1953年のワトソン・クリック
    のDNA(遺伝子)の二重螺旋構造の提唱と以後の発展が、形態学と
    しての植物・動物學から、真の意味での科学へと転換していったこと
    をまざまざと思い出させます。

    この流れが、人類学にもいよいよ本格的に適用の段階に入ったことだ
    と思います。前世紀の終わりに、母性系ミトコンドリアDNA分析が
    進み、ミトコンドリア・イブがアフリカに居たことを示し、まもなく
    父性系のY染色体分析がY染色体アダムが、同じくアフリカに居たこ
    とを示した。

    この種が、約6万5千年前に、アラビア半島(当時アフリカと陸続き)
    を経て出アフリカを果たし、すぐに、北ルート、西ルート、南ルート
    の3方向に向かって全世界に拡散して行き、現世人類の全てが、この
    アフリカ発のイブとアダムの単一種の子孫であることがDNA解析に
    よって証明された。「人類は皆兄弟」というのが言葉だけのものでは
    ない訳だなと思っています。肌色の違いなど、全く表面的なもので、
    その優劣など(自国の民族だけが優性とか言った指導者も過去にいま
    したが)、今や考えるだけ無駄ということが証明されてきている。

    日本列島には、この北ルートを経て到達したと。3つのルートの中で
    北ルートが、DNAが変異をしながら、もっとも多様な経路を経て、
    列島に伝わってきた。(この情報が、DNA(遺伝子)の塩基の配列
    の違いとして繰り込まれている訳でしょう。)

    日本人には、大変多くのDNAタイプが残っていて、D2,C1など
    は日本人にしか残っていないものもある。日本列島のヒトの包容力の
    大きさ(殺したり追い出したりしなかった)を示すものと著者は書い
    ています。列島が、東の果ての島国で、これ以上余所へ行けないこと
    もあったのではないかと私は思いますが。

    分子生物學、考古学、言語学の統合によって、更に緻密な分析が進んで
    おり、これは、21世紀の科学の典型の一つとなるかもしれないと思っ
    ています。一度読んで損はない本でしょう。もちろん、この本に限る訳
    ではありませんが。


    [No.724] Re: 人間の覚悟 投稿者:   投稿日:2011/12/23(Fri) 10:48
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    > > 五木寛之:人間の覚悟 新潮社(2008)
    >
    > この本には
    > 気になることが多々書いてあるのだが
    > それをいちいち紹介するのは大変なので
    > 少しだけ、できる範囲で、ここに書いてみよう。

    著者の朝鮮半島時代の体験から、国家というものは国民よりも国家そのものを大切にすると考えている。
     一般の国民は、政府の指示に従って市内にとどまっていた。
     しかし、高級軍人や高級官僚たちとその家族は、家財道具を山のように積んで
     平壌駅からどんどん列車で南下していった。
     一般市民は言われたとおりおとなしくしていたところへ、やがてソ連軍が入ってきて
     家は接収され、みんな難民収容所のようなところへ押し込められ苦労した。

    それ以来、著者五木は、地震や津波が来たりして政府が「動くな」と言ったらすぐ逃げるつもりだし
    逆に「逃げろ」と言ったら動くまいと思っている。
      (福島原発のことで、この三年前の五木寛之の言葉を考えると、それもありかと思ってしまう)

    どれだけ国を愛していても、政治のシステムが民衆を最優先にするとは考えないし
    たとえば新型インフルエンザは心配ない、と言われたら逆だろうと考えるという。

    似たようなことをある人から聞いたのだが
    国の政策で八郎潟の干拓をした農民がそのうち米あまりで
    米を作るなと政府に言われたり
    政府の政策にしたがってはじめた酪農家が、苦労して牛を増やして幸福になるどころか借金地獄に陥ったことなど
    それを話してくれた人は
    政府や県庁のお役人の言うことを聞いてはいけない、むしろ反対のことをしたらいいと笑っていました。


    [No.723] Re: 人間の覚悟 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/23(Fri) 10:31
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    > 五木寛之:人間の覚悟 新潮社(2008)

    この本には
    気になることが多々書いてあるのだが
    それをいちいち紹介するのは大変なので
    少しだけ、できる範囲で、ここに書いてみよう。
      (いま使っているパソコンは悪評OSのせいか使いにくいので)

    野口晴哉の「風邪の効用」によると
    下痢と風邪は体の大掃除で
    体のバランスが崩れかけたときに風邪や下痢をすることで
    平衡を回復するのだという。

    下痢をし終えた後とか、風邪を回復してクリアした爽快さは
    それ以前の不快さから解放された格段の気持ちよさがある
    と五木寛之は述べる。

    ただし
    こじらせてはダメで、きれいに風邪をひいて、上手に回復させないといけない。
     野口晴哉は六十代で亡くなったが、その理由を伊藤桂一から、病弱だった野口が野口式を実践したからそれほど生きられたのだと五木は教えられる。


    [No.722] Re: ミトコンドリア・イヴ(2) 投稿者:GRUE  投稿日:2011/12/23(Fri) 09:29
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    DeBugmanさん、おはようございます。

    > しません。図書館には他にもありました。又、でかけて行って確認してきます。
    > 詳しいことは忘れているので、又借りることになるでしょう。

    と書いたのですが、早速行ってきました。
    8冊あり全て借りてきました。で、DeBugmanさんが挙げられた7冊の中の3冊が
    ありました。


    『DNAが解き明かす日本人の系譜』(塩谷満 勉誠出版 2005年)
    『アダムの旅 Y染色体がたどった大いなる旅路』(S・ウェルズ 和泉裕子訳 バジリコ 2007年)
    『DNA でたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか』(崎谷満 昭和堂 2008年)

    の3つです。ただ、お勧め2つの内の1つ、

    『日本人になった先祖たち DNAから解明するその多元的構造』(篠田謙一 NHKブックス 2007年)

    はありませんでした。

    なお、

     『新日本人の起源 神話からDNA科学へ』(崎谷 満 勉誠出版 2009年9月)

    という新刊がありました。これはお勧めになるかもしれません。この本は、母系の
    ミトコンドリアDNAと父系のY染色体分析の両方の研究成果をベースにして書か
    れているからです。(これについては別途ツリーを立てます。)

    参考のために、残りの4つも挙げておきます。訳本が2つあります。

     『人類の足跡 10万年全史』(スティーブン・オッペンハイマー 仲村明子訳
       草思社 2007年)
     『旅する遺伝子』(スペンサーウェルズ 上原直子訳 英治出版 2008年)
     『日本人の起源 ここまで分かってきた』(産経新聞生命ビッグバン取材班
      産経新聞社 2009年5月)
     『アフリカで発生した人類が日本人になるまで』(溝口優司 ソフトバンク新書
      2011年6月)


     


    [No.721] Re: ミトコンドリア・イヴ(2) 投稿者:GRUE  投稿日:2011/12/23(Fri) 09:05
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    Toshichan、

    >  白人優位の思想が、ヨーロッパに有りましたので、そうなってると思いますけど
    > 白人の研究者は、あまり、言いたくないかも、しれませんね。

    この21世紀の科学の1つとも言っていい「分子人類学」の研究結果からは、
    ひとの種すなわち人種は1つになりますね(ネアンデルタール人などの種は
    絶滅している。)そして、約6万年前にアフリカを出た種が、全世界に移動
    して現在の人類(色々な遺伝子タイプ)を作っている。そして、肌の色が違
    っていても、同じ型(タイプ)のものに属するものがあるので、肌色で優劣
    を付けるのは全く意味がなくなってしまってますね。


    [No.720] シンガポール 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/23(Fri) 08:59
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    鈴木康子:シンガポール 三修社  (1995)

    いろんなシンガポールに関する本を読んだが
    この本は詳しい。

    歴史にも詳しく
    大正時代のリトルジャパンの地図が載っているのは
    この本くらいだろう。

    かつて「からゆきさん」たちが住んでいた花街の近くに
    日本人が集まり生活をはじめた。
    しだいに、日本人の商人の力が大きくなると
    中国人やヨーロッパ人の商人たちの不満が増大し
    それに日本の中国大陸侵略が拍車をかけ
    日本商品のボイコットや反日運動がおこり
    日本人には生活しずらい環境になっていく。

    いまのブギス・ストリートを歩くと
    シンガポール最大の日系ショッピング・ゾーン
    「SEIYU」「パルコ」などが立ち並び
    それに伴い若者たちが集うトレンド発信基地と化している。

    かつてのからゆきさんや日本商人の歴史のあったことを
    知らずに歩くより知っていたほうがよいと思うのだが。


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