「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」
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「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」 (編集者, 2009/2/8 9:23)
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投稿日時 2009/2/8 9:23
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
スタッフより
この投稿は、
大 口 光 威 様
佐 藤 嘉 道 様
のご了承を得て転載させていただくものです。
なお、この仮名付け及び注記(オレンジ色の文字)は、原文あったものではなく、メロウ伝承館のスタッフにより付記させていただいたものです。
(庭訓《ていきん注1》)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
は じ め に
村松ご在住の皆様、或いはご関係の皆様。皆様は郷土資料館の中に堀家三万石の藩政時代を偲ぶ数々の遺品に並んで「村松陸軍少年通信兵学校」関係コーナーが設けられ、其処に二冊の書籍「かんとう少通第九号(集約保存版)」と「西海の浪、穏やかに 殉国散華《注2》した少年たち」が展示されているのにお気付きでしょうか。
これは、先の大戦中、戦局の急迫に伴って、全国から十五、六歳の少年達が志願して来た村松陸軍少年通信兵学校に纏《まつ》わるもので、前者は同校で行われた教育訓練の実態、戦後まで秘匿され続けた十一期生の出陣直後の遭難の詳報、戦後における慰霊碑(村松及び平戸島)建立の経緯と慰霊祭の模様等を、生き残った関係者の手記や証言、遺族の感想などをもとに編集、また後者は更にこれを平戸島碑関係者向けに纏めたものです。何れも各方面から予想以上の大きな反響と高い評価を得、国会図書館、防衛庁の戦史研究室、靖国神社の偕行文庫等にも収録され、同時に村松ご当局の温かいご配慮によって本資料館への展示が実現しました。
ただ、この中で唯一残念なのは資料館での展示が陳列棚に収納されているため来館者の方にはガラス越しでしかご覧頂けないことで、これでは資料の保管としては万全だとしても、中味をお読み願うことによって史実を正しくご理解頂きたいという私達の気持が伝わりません。また、別途ご覧頂きたくても現在は絶版で余部がありません。
そこで今回、思いついて直接手にとって頂けるよう新に要約・編集し直してみたのが本書です。
ご承知のように、村松は明治二十九年九月に新発田から歩兵三十聯隊が移駐して以来終戦まで略半世紀に亘《わた》って軍都としての歩みを続けましたが、この間、昭和十八年に陸軍少年通信兵学校が招致され、爾来《=それ以来》、同校では少年生徒を迎えること三回二千四百名に及び、町当局並びに官民一致の温かい支援と清浄な雰囲気の許に練武砕魂、教授一体の猛訓練が展開されました。そして昭和十九年十一月、戦局の更なる緊迫により、第一回入校生徒(十一期生)の一部約三百名に対し繰上げ卒業が命じられ、直ちに比島、台湾等に、また、残る五百名も翌二十年三月に卒業、満州、中国、朝鮮、樺太並びに内地の師団、軍などに夫々配属されましたが、とりわけ繰上げ卒業組は僅かその十日後、南方に向かつて輸送される途中、待機していた敵潜水艦の攻撃を受け、五島列島沖或いは済州島沖に於いてあたら錬磨の腕も空しく、一発の電鍵すら打つ《注3》ことなく水漬く屍《みずくかばね》と散華し、幸いに難を免れ比島に上陸した者もまた、悪戦敢闘、その多くが彼の地で玉砕《注4》し、再び村松の土を踏むことはありませんでした。
ここにおいて、戦後、生き残った私達は、昭和四十年八月、此処・村松に於ける「戦後二十周年記念の集い」を契機に「全国少通連合会」を結成、同四十五年には村松公園内に慰霊碑を建立、この一角を聖域と定め、全国からご遺族をお招きして毎年或いは定期的に日枝神社神官による手厚い慰霊祭を催すなど三十余年に亘って英霊《=戦死者の魂を敬って》鎮魂に努めて参りました(現在慰霊碑には少年通信兵八百十二柱の御霊が合祀されています)。
ところでその後、これら慰霊行事も関係者の高齢化が進むに連れてその継続が危ぶまれるに至り、平成十三年十月の合同慰霊祭を最後に全国少通連合会が解散に踏み切ったのを皮切りに各地に誕生していた少通会もその大半が順次解散し、これに伴って毎年十月十一日を「少通慰霊の日」に定め、その後は各自の「自主慰霊」に切り替えることを申し合わせましたが、これらを踏まえ、如何にしてこれらの史実を正しく後世に伝えるかにつき論議を重ねた結果、誕生したのが上記の二書だつた次第です。
従って、今回の本書にもまた、私共生き残った者の先輩十一期生に捧げる鎮魂の思いと、亡き彼等も抱いたであろう村松に対する尽きない愛惜の気持が込められています。
この点、本冊子は、上記二書に盛られた内容を改めて精査し、その後に入手した文献等も含め当時をご存知ない現代の方々にもご理解頂けるよう村松の皆様を念頭に、当地で展開された訓育の実態を現代の視点から編集し直してみました。
歴史は学ぶべきもの。最近国際情勢の緊張を背景に再び各種の防衛論議が横行し始めていますが、被爆した我が国だからこそ世界の先頭に立つて核兵器の廃絶を訴える資格があると同様に、軍都としての長い歴史をお持ちの皆様に、こうした冷厳な史実を踏まえた上での自由な平和論議が為されることを期待してやみません。
本書が村松関係の皆様を中心に、お一人でも多くの皆様の目にとまるよう念じつつ、読後感などお寄せ頂ければ真に有難く泉下《=あの世》の英霊に対する何にも勝る供養になろうかと存じます。
平成二十年初秋
旧村松陸軍少年通信兵学校
第十二期生徒 大 口 光 威
第十二期生徒 佐 藤 嘉 道
識す
注1 庭訓(ていきん)=「論語(季氏)」の故事から家庭で子に親が教えること。親が子に教える教訓。にわのおしえ。
注2 殉国散華(じゅんこくさんげ)=国のために戦死、特に若くして戦死
注3 電腱を打つ=巻末の写真で生徒が教室にならんでいるものがあるが、これが『電鍵を打つ練習をしているところ』
注4 玉砕=全力で戦い、名誉・忠節を守って潔く死ぬこと。
この投稿は、
大 口 光 威 様
佐 藤 嘉 道 様
のご了承を得て転載させていただくものです。
なお、この仮名付け及び注記(オレンジ色の文字)は、原文あったものではなく、メロウ伝承館のスタッフにより付記させていただいたものです。
(庭訓《ていきん注1》)
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は じ め に
村松ご在住の皆様、或いはご関係の皆様。皆様は郷土資料館の中に堀家三万石の藩政時代を偲ぶ数々の遺品に並んで「村松陸軍少年通信兵学校」関係コーナーが設けられ、其処に二冊の書籍「かんとう少通第九号(集約保存版)」と「西海の浪、穏やかに 殉国散華《注2》した少年たち」が展示されているのにお気付きでしょうか。
これは、先の大戦中、戦局の急迫に伴って、全国から十五、六歳の少年達が志願して来た村松陸軍少年通信兵学校に纏《まつ》わるもので、前者は同校で行われた教育訓練の実態、戦後まで秘匿され続けた十一期生の出陣直後の遭難の詳報、戦後における慰霊碑(村松及び平戸島)建立の経緯と慰霊祭の模様等を、生き残った関係者の手記や証言、遺族の感想などをもとに編集、また後者は更にこれを平戸島碑関係者向けに纏めたものです。何れも各方面から予想以上の大きな反響と高い評価を得、国会図書館、防衛庁の戦史研究室、靖国神社の偕行文庫等にも収録され、同時に村松ご当局の温かいご配慮によって本資料館への展示が実現しました。
ただ、この中で唯一残念なのは資料館での展示が陳列棚に収納されているため来館者の方にはガラス越しでしかご覧頂けないことで、これでは資料の保管としては万全だとしても、中味をお読み願うことによって史実を正しくご理解頂きたいという私達の気持が伝わりません。また、別途ご覧頂きたくても現在は絶版で余部がありません。
そこで今回、思いついて直接手にとって頂けるよう新に要約・編集し直してみたのが本書です。
ご承知のように、村松は明治二十九年九月に新発田から歩兵三十聯隊が移駐して以来終戦まで略半世紀に亘《わた》って軍都としての歩みを続けましたが、この間、昭和十八年に陸軍少年通信兵学校が招致され、爾来《=それ以来》、同校では少年生徒を迎えること三回二千四百名に及び、町当局並びに官民一致の温かい支援と清浄な雰囲気の許に練武砕魂、教授一体の猛訓練が展開されました。そして昭和十九年十一月、戦局の更なる緊迫により、第一回入校生徒(十一期生)の一部約三百名に対し繰上げ卒業が命じられ、直ちに比島、台湾等に、また、残る五百名も翌二十年三月に卒業、満州、中国、朝鮮、樺太並びに内地の師団、軍などに夫々配属されましたが、とりわけ繰上げ卒業組は僅かその十日後、南方に向かつて輸送される途中、待機していた敵潜水艦の攻撃を受け、五島列島沖或いは済州島沖に於いてあたら錬磨の腕も空しく、一発の電鍵すら打つ《注3》ことなく水漬く屍《みずくかばね》と散華し、幸いに難を免れ比島に上陸した者もまた、悪戦敢闘、その多くが彼の地で玉砕《注4》し、再び村松の土を踏むことはありませんでした。
ここにおいて、戦後、生き残った私達は、昭和四十年八月、此処・村松に於ける「戦後二十周年記念の集い」を契機に「全国少通連合会」を結成、同四十五年には村松公園内に慰霊碑を建立、この一角を聖域と定め、全国からご遺族をお招きして毎年或いは定期的に日枝神社神官による手厚い慰霊祭を催すなど三十余年に亘って英霊《=戦死者の魂を敬って》鎮魂に努めて参りました(現在慰霊碑には少年通信兵八百十二柱の御霊が合祀されています)。
ところでその後、これら慰霊行事も関係者の高齢化が進むに連れてその継続が危ぶまれるに至り、平成十三年十月の合同慰霊祭を最後に全国少通連合会が解散に踏み切ったのを皮切りに各地に誕生していた少通会もその大半が順次解散し、これに伴って毎年十月十一日を「少通慰霊の日」に定め、その後は各自の「自主慰霊」に切り替えることを申し合わせましたが、これらを踏まえ、如何にしてこれらの史実を正しく後世に伝えるかにつき論議を重ねた結果、誕生したのが上記の二書だつた次第です。
従って、今回の本書にもまた、私共生き残った者の先輩十一期生に捧げる鎮魂の思いと、亡き彼等も抱いたであろう村松に対する尽きない愛惜の気持が込められています。
この点、本冊子は、上記二書に盛られた内容を改めて精査し、その後に入手した文献等も含め当時をご存知ない現代の方々にもご理解頂けるよう村松の皆様を念頭に、当地で展開された訓育の実態を現代の視点から編集し直してみました。
歴史は学ぶべきもの。最近国際情勢の緊張を背景に再び各種の防衛論議が横行し始めていますが、被爆した我が国だからこそ世界の先頭に立つて核兵器の廃絶を訴える資格があると同様に、軍都としての長い歴史をお持ちの皆様に、こうした冷厳な史実を踏まえた上での自由な平和論議が為されることを期待してやみません。
本書が村松関係の皆様を中心に、お一人でも多くの皆様の目にとまるよう念じつつ、読後感などお寄せ頂ければ真に有難く泉下《=あの世》の英霊に対する何にも勝る供養になろうかと存じます。
平成二十年初秋
旧村松陸軍少年通信兵学校
第十二期生徒 大 口 光 威
第十二期生徒 佐 藤 嘉 道
識す
注1 庭訓(ていきん)=「論語(季氏)」の故事から家庭で子に親が教えること。親が子に教える教訓。にわのおしえ。
注2 殉国散華(じゅんこくさんげ)=国のために戦死、特に若くして戦死
注3 電腱を打つ=巻末の写真で生徒が教室にならんでいるものがあるが、これが『電鍵を打つ練習をしているところ』
注4 玉砕=全力で戦い、名誉・忠節を守って潔く死ぬこと。
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編集者 (代理投稿)