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「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・7

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通常 「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・7

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/2/23 7:50
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 「ローマは、一日にして成らず」と謂《い》われます。当時は「陛下の威を借る」軍人が大半であった時代風潮のなかにあって、「人に接するに、春風の如き」穏やかな態度と口調で望まれる、あの高木校長の内面には、日夜「秋霜、己を持す」《注1》 精神修養が積まれていたのではないだろうか、永年の心の修業が結実して「その人と成り」の人徳を身につけられたものと推察される。
 厳格な、日常の起き臥しの中であったが、学校長を頂点に、なにか 「慈愛という核の傘」の下に、学校生活を送り、有形、無形の薫陶《注2》を受けたように思う、少年時代の得難い貴重な体験であった。
 前述した、衛兵勤務の責任者であった衛兵司令から、一言の叱責もなく、また愚痴を聞くこともなく済んだことは、その証左であり、下番の我々の眠気を覚ます一服の清涼剤であつた。
 四十年後の今、当時を想い浮かべ、高木校長がお持ちになっていた「学校教育に対する理念」 と「自己の人間形成の秘訣」などを、是非とも、紙上でお聞かせ願いたいものである。
 終戦後、暫らくは、無い、無い尽くしの日本であつたが、現在では、物は豊富となり、国際社会における先進国に成長した。しかしながら、あまりにも算術のみが先行して、人間としての大切なものが失なわれ、忘れられてきているように思われてならないのは、私だけの危惧でありましょうか。
 「あの日のことは内密に」との、お言葉でしたが、四十年を経過した今日、もはや時効になったものと解釈して、学校長のエピソードとして、紹介いたします。

 (当初の題名は「降る雨の如し」) 昭六一・二--第四号収載)

注1 「秋霜、己を持す」=《秋の霜が草木を枯らすところから》刑罰・権威の厳しさにわが身をつつしむ

注2 薫陶=《香をたいて薫りを染み込ませ、土をこねて形を整えながら陶器を作り上げる意から》徳の力で人を感化し、教育すること

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編集者 (代理投稿)

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