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「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・14

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通常 「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・14

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/3/9 8:19
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
海神(わだつみ)の声
      摩耶山丸遭難直前までのメモ

         十一期  市岡 光男

昭和十九年十月二十三日 南方要員の命を受けて
 身はたとえ南の果てに埋《うず》むとも
           死して守らん 吾が神州を
  海征きて水漬く屍となりとても
           忘れ致さむ 父母の高恩

五日 卒業式後、兵長になって
  見せてやりたい この姿
           親の喜ぶ 顔見たし

六日
  十六時、村松少通校出発  十八時三十分村松発

七日
  十一時、品川駅発

八日
  二十一時、下関着  二十二時下関発

九日
  十七時門司発 沖にて一泊

十日
  早朝、門司港に帰港

十一日
  正午、空襲警報発令、輸送船内は超満員で蒸し暑く 呼吸も苦しい

十二日
  空襲警報発令

十三日
  十時四十分頃出港 同夕刻佐世保らしき港に入港

十四日
  早刻出港す 七時全員甲板に集り、宮城を拝み皇国の悠久と我らの前途を祈る 夜輸送船内で無心に眠る 戦友を見て この人達の明日は皇国の楯と散ると 誰が思うだろうか 本日の反省を記す
  一、向上心をもて 一、闘魂 一、礼儀正しく  夜某港で一泊 我れ十九時より対潜監視につく

十五日
  十二時十分我が方一隻轟沈さる(秋津丸)潜水潜情報 に拠れば和歌山南方洋上 海南島付近 五島列島西北 台湾 バシー海峡 比島近海に点々と敵潜水艦発見 の報を聞く 敵の戦意誠に侮り難し 又時局の重大さを痛感する 台湾は十二時半全軍爆撃されしや 誠に我らの前途多難なり

  秋津丸今将に沈まんとす! 戦友の顔瞼に浮びて放れず この仇誓って討たん 我ら少年兵二百五十名乗船しており 第三区隊の乗船者は次の通り 根岸桂作 南波実夫 中川政人 村田義男 野村菅義 黒川幸夫 青木朋治 坂口国義 藤林義夫 寺島銀一 夜は某港泊

十六日
  心配していた夜も明け七時点呼 宮城と故郷を遥《よう》拝 五ケ条(軍人勅諭)を  奉唱し一組と交替 直ちに  対潜勤務につく  考えてみると魚雷攻撃を受けた場合 轟沈であれば甲板上の者は直ちに海に飛び込めるか  船内の者は水に苦しみながら死なねばならぬのか 吾れ昨日秋津丸が轟沈されるに際していた友の苦しみを思い浮かべ乍らこれを記す 吾等の前途は まだまだこれ以上の苦しみのあることを銘記しなければならない  然し我らは決して死を怖れるものではない ただ輸送船で敵の魚雷攻撃を受け 一戦も交えずして死んでいくのは誠に残念である 我らの死に場所に到着するまで死んではならない 征途の途中で水と闘いながら死んでいった戦友の顔がわが目に浮かんで離れず 夜朝鮮らしい所で停泊

十七日
  八時出航 正午空襲警報 高射砲 機関砲鳴るも敵影を認めず
  遭難の注意
  秋津丸の遭難に際しての経験に拠ると 救助された者は五百五名 港にいる者を合わせると約千名なり これ程多く助かったのは 精神力の旺盛 飛び込むときは早く飛び込まないこと 船の傾く反対方向に飛び込むこと 竹などに捉って漂流している時は真ん中を持つこと 雑嚢と水筒は肩にかけずに帯剣に結び付けておく 一人だと志気が沈滞して気絶してしまうことがある 船から綱など投げられた場合は疲れているので両手及び身体を綱などに結びつけること

  少年兵二十一名助かる
  摩耶山丸九千四百トン 二十六ノット
  魚雷速度四十六ノット
  乗員五千人
                    (以下空白)

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