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「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・25

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通常 「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・25

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/3/22 7:32
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 第一回慰霊祭の想い出と
      少通会の皆様への感謝

 松 谷 茂

 十一期 故松谷昭治氏令弟

 既に二十五年前となりますが、昭和四十五年十月十一日、村松公園で慰霊碑が建立され、その除幕式を兼ねた第一回慰霊祭を行っていただきました。
 我々遺族は、戦死した子や兄弟との心の再会の機会を与えて頂いたこと、ここに至るまでの役員の方や会員の方々の御尽力が如何ばかりであったかを考え、ただ感謝の念で一杯でした。
 私も、七十才の母と出席させて頂きました。当日は、まず一部残っていた旧校舎を見学しました。私は、三歳の昭和十九年十一月に両親に連れられ、この学校に、兄との最後の面会に来た記憶がかすかにあり、校舎の窓は遠い記憶のそれだと感じました。母は、あたりに落ちている松かさを黙って拾っておりました。
 村松公園の慰霊祭には、当時はまだ、親御さんも大分出席されており、厳かな中にも、深い悲しみも満ちておりました。

 犠牲者の名前を一人一人呼び上げられた、青山事務局長さんの張りのある凛とした声が切々と今も甦《よみがえ》って来ますし、戦友代表の方の言葉も、万感胸に迫るものでした。
 式典終了後は、近くの体育館で懇親会が開かれ、同じ区隊出身の方や、それまで、文通で知り合った方々とも初めてお会いできました。
 懇親会終了後解散となりましたが、母がもう一度石碑にお参りしたいと言うので、再び公園に戻り、碑の前に立ちました。既に人影はなく、除幕式に使った竹や縄が風に揺れて寂しげでした。
 碑前に膝を付き、深々と頭を垂れて一心に祈る老いた母の姿は、子を失った親の悲しみを表して余りあり、思わずシャッターを押していました。
 ひるがえって、今次大戦の数百万の犠牲者の一人一人に両親、子供、兄弟があり、その方々全てが同じ悲しみをお持ちであることを考えると、胸がつまります。
 生き残った者は、このことを、戦争を知らない世代に強く伝えていく責任を負っていると信じます。

 第一回慰霊祭以降も、少通会の皆様の献身的な御尽力により、五年毎に開催される外毎年の参詣会、さらには、長崎県平戸の慰霊祭等も行っていただいていること。そして、これらの御尽力の全てが、再び戦争を起こさせてはならないとの強い信念に貫かれていることを思うとき、遺族として、心から感謝を申し上げる外に術はありません。

 (平八・四―第七号収載)


 想 い

 伊 藤 ミツイ
  十一期 故田所水氏令姉

 深緑の候となりしのぎ良い季節となり、皆様には御健勝にて御活躍の事とお喜び申し上げます。此の度「かんとう少通六号」の発刊により投稿の御依頼をうけ、なにか書かなくてはと思いながらあまりにも長い年月が過ぎてしまい、記憶を取り戻そうと思い出しても弟の子供の頃の姿と、凛々しい軍服姿が交互に入りまじり、複雑な気持ちでございます。
 皆様の御尽力により慰霊碑建立並びに度々の慰霊祭を行っていただき、心から厚く御礼申し上げます。

 今日亡き母に代わりまして「一言」書かせて頂きます。三年前八十九才で他界しました。弟が他国で亡くなった事を聞いても、人前では決して涙を見せぬ母でしたが、心の中ではどんなにか辛かった事でしよう。でも本人が選んだ道ですから仕方ありません。風の便りによれば栄養失調でとか、親心はどんなに辛かったことかと思います。

 「もしかして ひょっこり帰った我が子みて、力一杯抱きしめて、腹一杯食べさせて、ゆっくり休めと母心」
 こんな文章では投稿となりませんが、今の気持ちは精一杯でございます。今後の御活躍を心からお願い致します。

 (平三・一〇―第六号収載)


 慰霊祭にて

 秋 元 米 子
   十一期 故深井治郎氏令姉

 碑の前に額ずき祈る会員と
         遺族の背なのみな丸く見ゆ
 生きおらば白髪しるき年ならむ
         遺影の弟は今も少通兵
 戦争を人類の持つ業と聞く
         世界の平和を祈る日々にて
 激動の昭和を想う十二月八日
         語る人らの少なくなりぬ
 被爆者の嘆きは消えぬ長崎に
         みどり色濃く木草茂れり
 半世紀長き暗闇曳きづりし
         慰安婦証言聞くも哀れぞ
 不気味さの背筋走りし原爆絵図
         再びなかれと心に刻む
                 
 (平八・四―第七号収載)


 慰 霊

 峰 岸 たい子
  十一期 故久保田要七氏令妹

 村松の丘に秋風爽々《さわさわ》
         慰霊碑由来碑ならぶ御前に
 軍帽をまぶかにかむり童顔の
         兄は志願し十九で逝けり
 碑の前に五百余人の参列に
         慰霊の祭り戦友の手に成る
 五十年亡き戦友偲ぶ歌声の
         胸にさしくる少通兵の歌
 何時訪ふも香華絶えぬと村松に
         昭和の白虎隊とぞ守り給える
 早う卒え壮途の船に沈みたる
         無念を惜む戦友の辞に泣く
 沈みたる海を遥《はる》かな平戸にも
         岬に慰霊碑建てし給える

 (平八・四―第七号収載)

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