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「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・9

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通常 「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・9

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/3/1 9:40
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 某班長の母に宛てた手紙 (抄)

 五泉国民学校校長  板橋 利邦
 (昭和十九年度学校経営記録より)

 母上様 春とは申すものの唯名のみにて未だ肌寒い此頃を老の御身のいと健かに家事に励み遊さるるとの事此の上もなく心嬉しく存じて居ります 雪や氷で唯真白でありました此處新潟にも早くも春は訪れ 野辺の若草色みせて 練武の靴に躙《ふむ》らんも心苦しい様なよい時候となりました さるにても心浮き立つ此の春に 花の便りよりも もつと嬉しい事を御耳に入れたいと思ひます 私は昨年の暮から 班長と申す下士官としては 最も責任の重い最も御奉公甲斐のあるさうして愉快な職務を命せられました 然し私は此の命令を受けました時考へました 「私は明日から大切な天子様の赤子 大事な人様の子五十名と言ふものを御預りせねばならぬ 我身一つでさへ満足に保って行くのにせいぜいな此身が 五十に餘る人の子の朝な夕なの起床から晝の休み居づまい迄心を配らねばならぬ重い勤めが果せるであらうか 自分一人の僅かな品物でさへ 時折粗末に仕勝ちな此の身が あの数千を数へる班員に支給せられて居る武器被服物品を気を付けてやる事が出来るであらうか 自分の心一つを正しく保って行くのに 汗みどろな此の私が 五十人の人の心を正しく向けて行くと云う事が出来様か」とかう言ふ風に考へました時 私は現在明日から其の重大な何と考へても出来さうもない職務に直面せねばならない然も力ない自分を思ふて餘りの恐ろしさに 心も空になりました

 母上様 此の時です 此の時圖らずも心に浮び出したのは母上の慈愛に満ちた眼指でありました 又十年を一日の如く家庭の些事《さじ》を捌《さば》いて行かれるあの献身的な御姿でありました 「ああこれだ」思はずも叫びました 此の時心の奥から呼び掛くる力強い聲を聞きました 純真な愛 献身的の努力 これぞ 勅諭に示さるる誠ではないか 三年間鍛へ上げたる軍人精神は常に光を放つべき折を待って居るではないか 行け!

 誠の一字を真向に翳《かざ》して! 其の時以来私はありとあらゆる私慾に鞭打って晝となく夜となく私の身も心も五十の班員の為に捧げ盡くしました 遂に私の誠が天に通ずる折が来ました 此の頃は班長班員でなく 親と子に成りきりました 大切な 陛下 の赤子大事な人様の子じやなくて 可愛い我が子です 「子を持って初めて知るや親心」私にも漸く此の頃 親の慈愛と言ふものが解って来た様な気がします 私の兄弟では三郎が子供の時分一番いけなかつた様です 意地悪で徒らで無鉄砲でした よく兄様と蔭口をしたものです「お母さんは一番いけない子を一番可愛がりなさるじやないか」と 今之を思えば之が親の慈悲でした 世に片輪の子程可愛いと申しますが 是が即 満足な者にしてやりたい親の慈悲でせう 身體の片輪も心の片輪も同じ事です これに一入《ひとしお》目をかけて直してやるのが親の慈悲と言ふものでせう

 私の班にも不幸な家庭に育った為 非常に心のひねくれた生徒が二名居りまして 随分と困らされましたが一層心を盡くして導きました處 此の頃は余程よくなりました 奇体なもので此の良くない生徒が良くなるに連れて班の空気全体が良く成って参りました

 私が中学の入学試験で不幸落第して帰って申上げた時の悲しそうな御顔は今だに眼にちらついて居ります 然も共に悲しんで下さつた後で涙を以て激励して下さいました 其の翌年は幸に見事入學し得た時のあの嬉し相な御顔是亦忘れ得ませぬが其の時も後で油断せぬ様の御注意を戴きました 子の喜は親の喜であり子の悲しみは親の悲しみであります 班員の喜びを共に喜び戒めてやり班員の悲しみを共に悲しんで励ましてやるここに純情の愛が燃え上がって来るのを覚えます 私が子供の時 寝相が悪かつたのは有名なもので 西枕がいつの間にやら東枕 蒲団を飛び出すのは愚なこと蚊帳の外まで遠征してよく三郎や花子に笑はれたものです 真夜中ふと目をさますと母上が私の枕辺に来てはね飛した蒲団を着せ額に手を當てて首を傾けてから両肩の蒲団を押へて下さるのに気付いた事がありました 其の時はさ程にも感じませんでしたが今泌々と有難さがこみ上げて来ます

 晝の演習で身体の疲れ 朝夕の心使ひに気の疲れ 班長に成ります前は枕につくと翌朝迄は夢も見ずに熟睡したものですが班長に成りまして以来一晩も夜の見回りをかかした事なく毛布を脱いで居る者の世話や室の温さに気を配り寝苦しがる生徒 熱気のある者でもあればいたはってやる 此の夜廻りも最初は大儀でしたが 今はもう習慣になって夜半には独りでに眼がさめ班内を一巡せぬと気掛りで 熟睡が出来ぬ様になりました お蔭で先頃猛烈に風邪が流行した時でも私の班だけは一名の患者も出さず皆から不思議がられました

 學校では毎日課業始めの前に 全員整列して朝礼を致します 此の前後に週番士官と言ふ方が生徒の服装所持品其の他身の廻に就て検査を致します 處が私が班長に成って未だ間のない頃 週番士官の検査を受けた時 不幸にもー番欠点の多かつたのは 私の班員でありました
 其の時私は 興奮の余り聲を荒げて班員を叱りました
 自分も亦其の一日を悶々《もんもん》の裡に送り床に入りましたが寝つかれぬ儘 色々と考えて居る内に 頭に浮かんで来たのが私の小学校時代 毎朝の登校前の有様でした 母上が毎日私の登校前学用品は揃ってゐるか それ鉛筆が削ってないのではないか 今日は修身があるのに揃って居ないではないか それ上草履の鼻緒が切れて居る 帽子は良いか 服の釦が一つ無いではないか それ御飯粒が附いてゐるではないか 三郎の分は出来たか 又四郎の分も斯様な事では駄目だと次から次へと面倒な風もなく 其の度毎に こんな身なりをして學校へ行っては先生や人様に あの家庭は躾が悪いと言ふて笑はれ あの子供は 「ダラシ」 がないと言うて御友達から嫌がられるではないか と叱り乍らもー々直してから 學校に遅れぬ様に登校せよと送り出し 門前に立って私共の姿が見えなくなる迄見送って戴いた 何でも我が子は立派にとこれが親として真の愛であつたか 親切であつたか思はずも脇の下から冷汗が流れました それ以来 班員の朝礼前は勿論の事 其の他検査査閲から 日々の演習学科の直前に必ず班に臨みまして一通り検査し缺点を修正する事を怠りません 斯様になると班員も亦私の心を大いに酌んで 班員互いに注意を仕合ふ つまり 持ちつ靠《もた》れつと言ふ様な気分に成って此の頃は服装上に就ての缺点《けってん》が大変に少くなりました

 又これにつけて思を深く致しましたのは 弟の三郎や四郎が着物の袖で鼻汁を拭ったり汚れた手を着物で拭ふ箱庭「ゴツコ」で土「イヂリ」 が多かつたので 着物を汚す事は他の子供並ではなかった事でありました その時母上が 鼻汁は塵紙で拭けよ 汚れた手は手拭で拭へよ 箱庭「ゴツコ」で塵が着いたら斯様にして拂ふのだと 手真似をして迄 殆んど毎日何回となく懇に教へ時折には叱り乍らも 「おお可愛想に着物も着れば垢《あか》が附く垢染みた着物をきるのは誰でもいやなもの 物は何んでも使った後で手入れをし綻《ほころ》びを直して置かなければいざと言ふ時に間に合はぬ」 とおっしやって其の度毎に 手まめに手入から 洗濯修理迄 能く行届いたものであつた
 学科や演習で忙しいとか何とか言ふて やれんやれんは班長即ち母としての班長が班員に對する愛でない 母の子に對する心でやらねばならぬと奮起してからは 班員に対し先ず第一に 被服の手入から 洗濯の方法 個人修理の範囲から実施の方法を実地実物に就て詳しく懇切に教へる
 第二には軍隊の品物は 何一つとして不経済に使ってよい物はない永く持てば持つだけ 国家の利益となり国民の負担が減じそれだけ 大東亜戦争完遂の戦力増強になるとか 服装の如何は軍人の威容に及ぼす事が大である殊に 吾々の如き衆望篤《あつ》き少年兵は特に心得ねばならぬとか 被服も使ったら必ず手入だ 汚れたら必ず洗濯だ 綻びたら必ず縫って置け 自分で直らぬ程度のものは 速かに修理を申立てよ 手入れの良否は保存上影響する事が大である 何でも粗末に取扱ひ又は手入をせずに使えば吃度命数が短縮する 學校の被服が悪くなる
 互に程度の悪い物を使はねばならぬのみか後々から入校する生徒にも迷惑をかける事になる等の意味をよく説明して理解させ 且極く僅かな時間即ち毎日朝夕の点呼時等を利用して一品づつ検査を励行する 其の缺点事項は速かに處理をする 又同一事項を繰返して点検をする
 特に使用が頻繁《ひんぱん》なるものとか 弟の三郎や四郎の様に服を多く汚す生徒に注意を重ねる事に致しました 此の結果此頃では班員を見ても汚れたり破れたり綻びたりするものを殆ど見受けません 之に伴って常に隊長殿から御注意になって居る物品の取扱が非常に良くなり 演習先での紛失等も全くなくなりました

 まあ以上申上げた様な次第で 日一日と班員の空気は和やかに成って行き班員の気は一致して行き 従って班員の総べての技倆《ぎりょう》もめきめきと上達して行くと言ふ様な訳で極めて温い空気の裡に 班員諸共非常な愉快な其の日其の日を送って居ります 此の生徒も後一年程で卒業し皇軍の通信を 双肩に担って立つ立派な通信手となり
 又幹部となるのでありますのですからそれだけに教へ甲斐があると存じます
 まだまた書けば限りはありませんが 余り長くなるので此の位に止めます 兎に角學校では模範班長と言はれる迄になりましたのも 実は唯自分の子供の時の 親の心盡しを其の儘行って居るのに過ぎないで 御恩の程を泌々と有難く思います

 母上様に是非班生活の和やかな様子を見て戴き度いのでありますが 時局下私事の旅行も出来ませぬので 入校後三日目の班員一同の写真が出来上がりましたので御送り致します 向って私の右側の方は区隊長の山下少尉殿です その外は私の班員である少年兵五十名です みんな元気な朗かな姿でせう この五十名の母親代りが私とすれば結局母上からは五十人の孫と言ふ訳です 母上様この五十人の孫達は 必ず喜んで戴ける様に 戦場で立派に御国に役立つ股肱《ここう=手足の意》として 私の命に代へても育て上げて参ります 母上様どうぞ二郎のこの大事な仕事を
 お楽しみにして下さると共に 天晴れ巣立つ初孫の武運長久をお祈り下さい

 母上様                   

 二郎


 比の文は中等學校長国民學校長の村松陸軍少年通信兵學校参観の際に指導官から御話のあつたものです 通信兵學校は教育方針として ほんとうに親心に徹した精神訓練を行っ居りますが其の方針の下に心血を濺《そそ》いで居られる一下士官の書かれたものであります 洵《まこと》によく躾教育の真髄を述べて居って 大きな感激に打たれ思はず頭を下げました
 国軍の内務班の躾訓練・學校家庭の躾訓練は皇国民の錬成上聯關《れんかん=関連》発展を考へねばならぬもので皆様に是非御熟読をお薦め致します

 五泉国民學校  板橋利邦

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編集者 (代理投稿)

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