「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・11
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「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」 (編集者, 2009/2/8 9:23)
- 「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・2 (編集者, 2009/2/10 8:10)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
この日記の最後に記されている十月一日の「月見の宴」は、参列した皆の心に強い感動を残したようです。
学校に隣接した広大な練兵場の芝生の上に沢山の机が持ち込まれ、校長以下全幹部臨席のもと、課業を終え体操衣袴に身を包んだ生徒千六百名が整然と居並びました(後掲の「思い出の写真集」参照)。やがて、宴が進み、軍歌も「山紫に水清き」から「月下の陣」の斉唱に及びましたが、これを境に、皆の頬《ほお》が一様に濡れて行きました。
「われ、父母や兄弟を、思わざるにはあらねども、君に捧げし身にあれば………」自ら志願した途ではありましたが、故郷の家族を思い、来年この月をどこの戦場で迎えるかを想像した時、誰もが込み上げる感情を抑えることが出来なかったのです。
事実、この宴が終った翌月の五日、このうち成績優秀な三百十五名に対して繰上げ卒業が命ぜられました。しかし、当時、卒業は即出陣を意味していました。
その前夜並びに式当日の情景を、当時十二期生として見送る側として在籍していた私(大口)は、次のように記録し、また、日記(正手簿)の中で綴っています。
消灯からどれほどか、ふと目を覚ましますと、何やら一つの黒い影がベットの一つ一つを覗き込む仕草を繰り返しているのが見えました。咄嗟《とっさ》に私は「あ、S指導生徒殿だ。明日の卒業を前に別れに来てくれたのだ」と気が付きました。―――そして翌朝、中隊玄関脇の黒板には「懐かしき一年生達よ。敢闘を祈る」のチョークの文字が躍っていました。
当時、学校では入校したての生徒のために十一期生の中から選ばれた指導生徒が一ケ月間起居を共にしながら訓育に当たってくれていました。厳しい軍規の下の機敏な動作と心構えなど、馴れない私達にとって、彼はチョッビリ怖くはありましたが頼り甲斐のある兄貴のような存在でした。
出陣式に望んだ彼らの顔は一様に紅潮していました。夏服に身を固め、真新しい兵長の襟章も誇らしげに、代表生徒の声が凛として校庭一杯に響き亘《わた》りました。
昭和十九年十一月五日 曇時々雨
第十一期生徒ノ卒業式アリ。
昭和十九年十一月五日、静カナ静カナ、人ノ心ヲ抉《えぐ》ルガ如キ軍楽隊ノ調べノ中ニ、我ガ村松陸軍少年通信兵学校第一回ノ卒業式ガ挙行セラレタ。天候ハ暗雲低ク垂レ込メ、小雨サへ混ッティタ。「陸軍生徒○○以下○○名ハ、十一月五日、卒業ヲ命ゼラレマシタ。是ニ謹ンデ申告致シマス」 卒業生代表殿ノ声ガ頼モシク響キ亘ッタ。卒業ハ即チ出陣ヲ意味スル。大東亜戦、今将ニ酣《たけなわ》ノ秋、日本ノ企画セル一大攻勢ノ中核神経卜成ルべク、三百余名ノ若武者ガ勇躍、卒業出陣スルノデアル。現在ノ戦局ハ、丁度、今日ノ天候ノ如ク暗澹トシテ居ル、然シナガラ、コレラ卒業生殿の力ニヨリ、明ルク、清ク、晴レ亘ルデアラウ。卒業生殿ノ力ハ国軍ニ如何ニ貢献スルデアラウカ。期間ハ一年ニ満タズト雖《いえど》モ実力、技術共ニ充実セル立派ナ国軍中堅デアル。
我等モ、卒業生殿ニ続キ、決戦ニ駆ケ参ズベク、今一層ノ努力ヲ為シ、本日ノ感激モ新タニ修技修養ニ邁進《まいしん》セン。
千万ノ軍ナリトモ言挙ゲセズ、トリテ来ヌべキ男トゾ思フ
山紫に水清き
一、山紫に水清き
七州の野に生まれたる
われら五十の此の校に
集いしことも夢なりや
二、燃ゆる血潮は殉国の
赤き心を示すべく
腕なる骨は日の本の
基を囲むる材なりや
三、観よ干城の健児らよ
己が雄飛の活舞台
東にパナマの落成を
西に自覚の革命旗
四、さもあればあれ若武者の
猛き心のその中に
優しきものは百日の
あと名残らるる情かな (以下略)
月下の陣
一、霜は軍営に満ち満ちて
秋気清しと詠じける
昔のことの偲ばるる
月の光のさやけさよ
二、遠き山々近き川
千里の景も一色に
隈なく晴れて影もなし
隈なく晴れて影もなし
五、ふりさけ見れば天の原
月は故郷も変わるまじ
親同胞はうち寄りて
吾を案じて語るらん
六、吾れ父母や兄弟を
思わざるにはあらねども
君に捧げし身にあれば
わが大君の敵国の
七、下らんまでは死を誓い
屍は野辺に晒すとも
故郷の方は見もやらず
勇み勇みて戦わん (三、四は略)
学校に隣接した広大な練兵場の芝生の上に沢山の机が持ち込まれ、校長以下全幹部臨席のもと、課業を終え体操衣袴に身を包んだ生徒千六百名が整然と居並びました(後掲の「思い出の写真集」参照)。やがて、宴が進み、軍歌も「山紫に水清き」から「月下の陣」の斉唱に及びましたが、これを境に、皆の頬《ほお》が一様に濡れて行きました。
「われ、父母や兄弟を、思わざるにはあらねども、君に捧げし身にあれば………」自ら志願した途ではありましたが、故郷の家族を思い、来年この月をどこの戦場で迎えるかを想像した時、誰もが込み上げる感情を抑えることが出来なかったのです。
事実、この宴が終った翌月の五日、このうち成績優秀な三百十五名に対して繰上げ卒業が命ぜられました。しかし、当時、卒業は即出陣を意味していました。
その前夜並びに式当日の情景を、当時十二期生として見送る側として在籍していた私(大口)は、次のように記録し、また、日記(正手簿)の中で綴っています。
消灯からどれほどか、ふと目を覚ましますと、何やら一つの黒い影がベットの一つ一つを覗き込む仕草を繰り返しているのが見えました。咄嗟《とっさ》に私は「あ、S指導生徒殿だ。明日の卒業を前に別れに来てくれたのだ」と気が付きました。―――そして翌朝、中隊玄関脇の黒板には「懐かしき一年生達よ。敢闘を祈る」のチョークの文字が躍っていました。
当時、学校では入校したての生徒のために十一期生の中から選ばれた指導生徒が一ケ月間起居を共にしながら訓育に当たってくれていました。厳しい軍規の下の機敏な動作と心構えなど、馴れない私達にとって、彼はチョッビリ怖くはありましたが頼り甲斐のある兄貴のような存在でした。
出陣式に望んだ彼らの顔は一様に紅潮していました。夏服に身を固め、真新しい兵長の襟章も誇らしげに、代表生徒の声が凛として校庭一杯に響き亘《わた》りました。
昭和十九年十一月五日 曇時々雨
第十一期生徒ノ卒業式アリ。
昭和十九年十一月五日、静カナ静カナ、人ノ心ヲ抉《えぐ》ルガ如キ軍楽隊ノ調べノ中ニ、我ガ村松陸軍少年通信兵学校第一回ノ卒業式ガ挙行セラレタ。天候ハ暗雲低ク垂レ込メ、小雨サへ混ッティタ。「陸軍生徒○○以下○○名ハ、十一月五日、卒業ヲ命ゼラレマシタ。是ニ謹ンデ申告致シマス」 卒業生代表殿ノ声ガ頼モシク響キ亘ッタ。卒業ハ即チ出陣ヲ意味スル。大東亜戦、今将ニ酣《たけなわ》ノ秋、日本ノ企画セル一大攻勢ノ中核神経卜成ルべク、三百余名ノ若武者ガ勇躍、卒業出陣スルノデアル。現在ノ戦局ハ、丁度、今日ノ天候ノ如ク暗澹トシテ居ル、然シナガラ、コレラ卒業生殿の力ニヨリ、明ルク、清ク、晴レ亘ルデアラウ。卒業生殿ノ力ハ国軍ニ如何ニ貢献スルデアラウカ。期間ハ一年ニ満タズト雖《いえど》モ実力、技術共ニ充実セル立派ナ国軍中堅デアル。
我等モ、卒業生殿ニ続キ、決戦ニ駆ケ参ズベク、今一層ノ努力ヲ為シ、本日ノ感激モ新タニ修技修養ニ邁進《まいしん》セン。
千万ノ軍ナリトモ言挙ゲセズ、トリテ来ヌべキ男トゾ思フ
山紫に水清き
一、山紫に水清き
七州の野に生まれたる
われら五十の此の校に
集いしことも夢なりや
二、燃ゆる血潮は殉国の
赤き心を示すべく
腕なる骨は日の本の
基を囲むる材なりや
三、観よ干城の健児らよ
己が雄飛の活舞台
東にパナマの落成を
西に自覚の革命旗
四、さもあればあれ若武者の
猛き心のその中に
優しきものは百日の
あと名残らるる情かな (以下略)
月下の陣
一、霜は軍営に満ち満ちて
秋気清しと詠じける
昔のことの偲ばるる
月の光のさやけさよ
二、遠き山々近き川
千里の景も一色に
隈なく晴れて影もなし
隈なく晴れて影もなし
五、ふりさけ見れば天の原
月は故郷も変わるまじ
親同胞はうち寄りて
吾を案じて語るらん
六、吾れ父母や兄弟を
思わざるにはあらねども
君に捧げし身にあれば
わが大君の敵国の
七、下らんまでは死を誓い
屍は野辺に晒すとも
故郷の方は見もやらず
勇み勇みて戦わん (三、四は略)