「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」・19
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「村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵」 (編集者, 2009/2/8 9:23)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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或る区隊長の手紙
教官 青 山 正 樹
謹啓、残暑猶酷しき時候、御尊家御一統様益々御健勝の段奉賀候。
聖戦茲に八歳の今日を迎へ、世界の情勢と戦局の推移とは必ずしも我に有利ならず、御聖断を以て休戦の已むなきに至りたる事一億同胞として洵に痛恨の極に御座候。之偏に我等臣民特に武器とる武人の努力の足らざる所、上は陛下に対し奉り下は一億の臣民、就中護国の華と散られし或は戦に傷つきたる数多くの勇士に対し、真に申訳けなく無念の情耐え難きもの有之候。軍は未だ決して戦に敗れたるに非ず、烈々たる必勝の信念に燃え本土決戦の必勝を期しありたる所、かくなれるは実に私情に於てやむにやまれぬ激情の覚ゆるを禁じ能はず候。然れども大命の下戦たるもの、いかでか大命により鉾《ほこ》を収めざるを得ん哉、之皇軍の本義にして又大詔の諭ゆる所、聖処に副い奉る道に御座候。中には休戦を潔よしとせず、或は無念の情抑へ難く軽挙妄動に趨《はし》るもの有之候も、之明確に皇軍の根本義に反するものに御座候。勿論身命を惜しまざるは武人の面目、いかで父祖にまみえんと思ふも無理なき事に候も、苟《いやし》くも聖旨を以て新な大道を示されたる今日、もはやこれ卑怯未練の振舞に外ならず、死は潔く平易なるもの、将来の生は耐え難きもの有之べくも、今や鴻毛《こうもう=注1》の軽きに比したる命を惜しみ、死に勝る努力を以て苔の如く生きるを要し永く永く生き永らへ最大の力を国家の再興への道に致すこそ真の臣道と被存候。今や皇軍の姿は地上より消え去らんとすれど、皇軍の魂は末々長く国民の胸に刻まれゆくべく、戦は敗れり、然れども唯皇国を護持し得たる事実を喜び、無念の情を報仇への努力に換え、此の魂を子々孫々に伝へて国家の再建を期すべきを強く愚信任候。
御子息殿も国家危急の時、殉忠報国の赤誠《注2》に燃え、年若く軍人と相成られ候も、今かくなりて尊き志もならず、その痛憤の想ひ如何ばかりか拝察するに余りあるもの有之候。しかしてその修業中ばにして志破れ、家郷に帰る事になり申候も、此の僅か五ケ月間の軍隊教育は決して無為には御座なく、その心中には烈々たる軍人精神確乎として既に宿り居候。父祖より受け継ぎし我々日本人の血は優秀にして御両親様より承けし御子息様の血は優秀にて候。少しも御落胆遊ばす事なく此の子一人未だあらばと万腔《=満身》の信頼を御子息に懸けられ、末楽しく御家内睦まじく国家再建の新道を驀進《ばくしん》被下度存候。吾我が非才を尽して教へし事も全く空しく何の用にも立たざるに至れども、再び御両親様の許に抱かれて円満且健やかに生育を賜りたる時、其の魂は更に大きく躍動し必ずや国家の再興あるべきを期して確信仕候。
お別れに臨み益々忠良なる日本臣民たるべき事と親への孝道を訓へ申候。之忠孝一本国家の将来を念じせめて生徒達に託する吾微中に御座候。
今御両親様の御前に御返し申上候御子息殿の姿は、日夜皆々様の想像致せるあの凛々しい軍服姿には無之、襟の星章も腰の剣もなき洵《まこと》に哀れ淋しき姿には御座候へ共、その輝かしき眼は不屈の闘魂を訴へ、その心中には烈々たる日本精神が充溢《じゅういつ》せられ居候。校門を志空しく去りゆく生徒の後姿を拝み、吾思ひは悲しみと共に涙はつきず、今謹しみて御子息殿をお返し申上候。然れども何れ又晴れて捧ぐべき生命宜敷御生育の程偏にお願い申上候。
かくなれば我等斎しく承詔必謹《注3》、忠良なる日本臣民としての面目を発揮し、上御聖旨に副ひ奉るのみに御座候。茲に教育間に諸種の御無礼をお詫び申上ぐると共に、神洲不滅を喜び、皇軍の再興を念じ、併せて御尊家の御繁栄と御一統様の御健勝をお祈り仕り、謹しみて御挨拶に代へ如斯御座候。
敬具
区 隊 長
ご父兄各位殿
(昭五五・一二―第二号収載)
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終戦に当り陸軍大臣より全将兵にあてた訓告
茲に停戦講和の御聖断を拝す。全軍の将兵は烈々たる闘魂の下、或は万里の異域に勇戦敢闘し、或は皇土の防衛に満を持して準備を進めつつありし所、今や泣いて戈を収むるに至れり、皇国苦難の前途を思えば萬感極まりなし。
至尊《しそん=天皇》亦深く此の間を精察せられ然も、尚大局のため非常の御決意を以て、大命を宣し給えり。
全軍将兵は真に涙を呑み激情にただよることなく、又、冷厳なる事実に目を覆うことなく、冷静真摯《しんし=まじめに》一糸乱れざる統制の下、軍秩を維持し粛然たる軍容を正し、承勅必謹の一途に徹すべし。
至尊は「汝等軍人の誠忠遺烈は、萬古国民の精体たるを信ず」との優諚《=天子のありがたい言葉》を垂れ給う、光栄何ものか之に加えん。
全軍将兵宜しく此の光栄を体し、高き矜持《きんじ=プライド》をもて、千辛萬苦に克ち、忍び難きを忍び森厳たる皇軍の真姿を顕揚《=世間に評判をたかめる》すべし。
昭和二十年八月十七日
陸軍大臣
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注1 鴻毛=非常に軽いもののたとえ。「命を―より軽いとみる風潮」
注2 殉忠報国の赤誠=国のために命を捧げることに、少しも嘘や偽りのない心
注3 承詔必謹=天皇の言葉(命令)をいただく際には、常に例外なく、かしこまった態度をとりなさい
教官 青 山 正 樹
謹啓、残暑猶酷しき時候、御尊家御一統様益々御健勝の段奉賀候。
聖戦茲に八歳の今日を迎へ、世界の情勢と戦局の推移とは必ずしも我に有利ならず、御聖断を以て休戦の已むなきに至りたる事一億同胞として洵に痛恨の極に御座候。之偏に我等臣民特に武器とる武人の努力の足らざる所、上は陛下に対し奉り下は一億の臣民、就中護国の華と散られし或は戦に傷つきたる数多くの勇士に対し、真に申訳けなく無念の情耐え難きもの有之候。軍は未だ決して戦に敗れたるに非ず、烈々たる必勝の信念に燃え本土決戦の必勝を期しありたる所、かくなれるは実に私情に於てやむにやまれぬ激情の覚ゆるを禁じ能はず候。然れども大命の下戦たるもの、いかでか大命により鉾《ほこ》を収めざるを得ん哉、之皇軍の本義にして又大詔の諭ゆる所、聖処に副い奉る道に御座候。中には休戦を潔よしとせず、或は無念の情抑へ難く軽挙妄動に趨《はし》るもの有之候も、之明確に皇軍の根本義に反するものに御座候。勿論身命を惜しまざるは武人の面目、いかで父祖にまみえんと思ふも無理なき事に候も、苟《いやし》くも聖旨を以て新な大道を示されたる今日、もはやこれ卑怯未練の振舞に外ならず、死は潔く平易なるもの、将来の生は耐え難きもの有之べくも、今や鴻毛《こうもう=注1》の軽きに比したる命を惜しみ、死に勝る努力を以て苔の如く生きるを要し永く永く生き永らへ最大の力を国家の再興への道に致すこそ真の臣道と被存候。今や皇軍の姿は地上より消え去らんとすれど、皇軍の魂は末々長く国民の胸に刻まれゆくべく、戦は敗れり、然れども唯皇国を護持し得たる事実を喜び、無念の情を報仇への努力に換え、此の魂を子々孫々に伝へて国家の再建を期すべきを強く愚信任候。
御子息殿も国家危急の時、殉忠報国の赤誠《注2》に燃え、年若く軍人と相成られ候も、今かくなりて尊き志もならず、その痛憤の想ひ如何ばかりか拝察するに余りあるもの有之候。しかしてその修業中ばにして志破れ、家郷に帰る事になり申候も、此の僅か五ケ月間の軍隊教育は決して無為には御座なく、その心中には烈々たる軍人精神確乎として既に宿り居候。父祖より受け継ぎし我々日本人の血は優秀にして御両親様より承けし御子息様の血は優秀にて候。少しも御落胆遊ばす事なく此の子一人未だあらばと万腔《=満身》の信頼を御子息に懸けられ、末楽しく御家内睦まじく国家再建の新道を驀進《ばくしん》被下度存候。吾我が非才を尽して教へし事も全く空しく何の用にも立たざるに至れども、再び御両親様の許に抱かれて円満且健やかに生育を賜りたる時、其の魂は更に大きく躍動し必ずや国家の再興あるべきを期して確信仕候。
お別れに臨み益々忠良なる日本臣民たるべき事と親への孝道を訓へ申候。之忠孝一本国家の将来を念じせめて生徒達に託する吾微中に御座候。
今御両親様の御前に御返し申上候御子息殿の姿は、日夜皆々様の想像致せるあの凛々しい軍服姿には無之、襟の星章も腰の剣もなき洵《まこと》に哀れ淋しき姿には御座候へ共、その輝かしき眼は不屈の闘魂を訴へ、その心中には烈々たる日本精神が充溢《じゅういつ》せられ居候。校門を志空しく去りゆく生徒の後姿を拝み、吾思ひは悲しみと共に涙はつきず、今謹しみて御子息殿をお返し申上候。然れども何れ又晴れて捧ぐべき生命宜敷御生育の程偏にお願い申上候。
かくなれば我等斎しく承詔必謹《注3》、忠良なる日本臣民としての面目を発揮し、上御聖旨に副ひ奉るのみに御座候。茲に教育間に諸種の御無礼をお詫び申上ぐると共に、神洲不滅を喜び、皇軍の再興を念じ、併せて御尊家の御繁栄と御一統様の御健勝をお祈り仕り、謹しみて御挨拶に代へ如斯御座候。
敬具
区 隊 長
ご父兄各位殿
(昭五五・一二―第二号収載)
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終戦に当り陸軍大臣より全将兵にあてた訓告
茲に停戦講和の御聖断を拝す。全軍の将兵は烈々たる闘魂の下、或は万里の異域に勇戦敢闘し、或は皇土の防衛に満を持して準備を進めつつありし所、今や泣いて戈を収むるに至れり、皇国苦難の前途を思えば萬感極まりなし。
至尊《しそん=天皇》亦深く此の間を精察せられ然も、尚大局のため非常の御決意を以て、大命を宣し給えり。
全軍将兵は真に涙を呑み激情にただよることなく、又、冷厳なる事実に目を覆うことなく、冷静真摯《しんし=まじめに》一糸乱れざる統制の下、軍秩を維持し粛然たる軍容を正し、承勅必謹の一途に徹すべし。
至尊は「汝等軍人の誠忠遺烈は、萬古国民の精体たるを信ず」との優諚《=天子のありがたい言葉》を垂れ給う、光栄何ものか之に加えん。
全軍将兵宜しく此の光栄を体し、高き矜持《きんじ=プライド》をもて、千辛萬苦に克ち、忍び難きを忍び森厳たる皇軍の真姿を顕揚《=世間に評判をたかめる》すべし。
昭和二十年八月十七日
陸軍大臣
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注1 鴻毛=非常に軽いもののたとえ。「命を―より軽いとみる風潮」
注2 殉忠報国の赤誠=国のために命を捧げることに、少しも嘘や偽りのない心
注3 承詔必謹=天皇の言葉(命令)をいただく際には、常に例外なく、かしこまった態度をとりなさい