悠々世代 

団塊の世代が定年を迎える今、第二の人生を充実したものにするために語り合いませんか。
また還暦を過ぎたあるいは定年後を楽しんでいる皆さまの豊富な経験談もぜひお待ちしています。

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  • [No.690] Re: 富士山麓ハイク 投稿者:年金青年  投稿日:2008/10/22(Wed) 17:11
    [関連記事URL:http://c-kitamura.cocolog-nifty.com/blog/

    変蝠林さん、こんにちは。
    > 昔々昭和六年頃

    昭和6年ではまだ私は生まれていませんが、この頃は道も満足に無かったのではないでしょうか。
    その上「西湖から白糸の滝まで」とはとんでもない長距離!
    驚きです。
    恐れ入りました。


    [No.689] Re: 富士山麓ハイク 投稿者:   投稿日:2008/10/22(Wed) 08:22
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    年金青年さん

    > いよいよ 10/26 に「富士山麓一周ハイク」へ出掛けます。
    > 6泊してスタート地点の「河口湖」へ戻ってくる予定ですが、
    > 歩行距離は約140キロくらいですが、マァ何とか歩けるのではと思っています。

    是非お供したいのですがステッキ突いてではねえ。

    昔々昭和六年頃、親戚の子と二人でキャンプして廻った事を想い出して居ます。
    初日のテントは西湖畔でした。湖畔の山から猿が二匹程訪ねて来て呉れました。

    最後の本栖湖からは無理して早朝から白糸の滝に向いました。
    ところが朝霧高原の途中から雨になり、偶然見付けた屋根だけの小屋にて天幕。

    翌早朝の目覚めは愕然呆然、あの富士山はもう今では見られぬでせう。
    同行の子は二年後に肺病で死んで仕舞いました。

    無事敢行をお祈り致します。

                                    変蝠林(1917-)


    [No.688] 富士山麓ハイク 投稿者:年金青年  投稿日:2008/10/21(Tue) 10:48
    [関連記事URL:http://c-kitamura.cocolog-nifty.com/blog/


    画像サイズ: 730×547 (33kB)
    皆さん、こんにちは。年金青年です。
    いよいよ 10/26 に「富士山麓一周ハイク」へ出掛けます。
    6泊してスタート地点の「河口湖」へ戻ってくる予定ですが、
    歩行距離は約140キロくらいですが、マァ何とか歩けるのでは と思っています。

    心配なのが
    1,天候、こればかりはどうしようもなく天に任せるほかないようです。
    2,「熊が出没するらしい」という情報がありまして、富士吉田あたりの小学生は「熊除けの鈴」を携帯しているとか。

    マァ こんなバカげた行動も「身体の賞味有効期限」を考えると、今年が最後かなぁ と思っています。
    添付は9月に行ったときの「忍野八海」です。


    [No.687] 神はユダが創った。 投稿者:   投稿日:2008/10/16(Thu) 08:26
    [関連記事

    示唆に富んだ記述が此処に:

    >http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/tanoshimu/nng_060407.html


    [No.686] Re: 玉砕を生きのびた倉田さんの 投稿者:   投稿日:2008/10/04(Sat) 07:45
    [関連記事

    ザックスさん、みなさん

     私が、とんぼさんより、倉田様の原稿をお預かりしています。

     スキャン、文字認識などと取り組んでおります。

     近く「メロウ伝承館」に掲載させていただきます。

     ぜひ、お読みくださいませ。


    [No.685] Re: 玉砕を生きのびた倉田さんの 投稿者:   投稿日:2008/10/04(Sat) 03:01
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    ザックスさん

    > とんぼさん
    >
    > 私はTVで聴きました。一言一句漏らさずに。

    何処の局でしたか?
    NHKならばアーカイブ館で視聴が出来るかも。

                      変蝠林(1917-)


    [No.684] Re: 玉砕を生きのびた倉田さんの 投稿者:   投稿日:2008/10/03(Fri) 09:06
    [関連記事

    とんぼさん

    私はTVで聴きました。一言一句漏らさずに。


    [No.683] Re: チャリ・トレ 投稿者:年金青年  投稿日:2008/09/28(Sun) 19:51
    [関連記事URL:http://c-kitamura.cocolog-nifty.com/blog/


    画像サイズ: 536×634 (86kB)
    変蝠林さん、こんにちは。
    私のチャリの思い出は、あまり良いことが無くて暗い子供時代でした。
    尤も近所で子供用の自転車を持っていることが珍しい時代で、もっぱら貸し自転車でした。

    定年になり、腰痛が酷くなり、などで生まれて初めて自転車をかったのが3年ほど前のこと。それも中古!

    添付画像は、チャリトレの時に撮ったものです。


    [No.682] Re: チャリ・トレ 投稿者:   投稿日:2008/09/27(Sat) 07:32
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    みなさん

    チャリって自転車の事ですよね。
    戦争から帰って直ぐ静岡支店に配属されました。
    貿易が出来なくなって全国各地に支店が続々創られました。

    各地の支店が勝手に他店に地の物産を送り着けて来ました。
    或る日札幌店から鰯が多量に送られて来ました。
    蜜柑との交換商売ですとは先方からの一方条件。

    清水港の倉庫から貨物が湯気を立ててると電話です。
    北番町の新築社屋から課員と二人で自転車を飛ばしました。
    一大事ですから全速力です。

    ところが浅間神社を過ぎた辺りで二人が同時に転倒。
    不思議な事に二人とも指先擦り傷の軽症で更に全速力。
    着いたら当然冷蔵庫ですが庫内は濛濛。

    娘に新車を通学用に買い与えました。
    伊勢湾台風での溺死者捜索に利用させられ忽ち錆び錆び。

    翌年名古屋に転勤、一台限りの社用車で大垣へ、四日市へ。

    チャリの想い出は其れだけで終わりました。

                                変蝠林(1917-)


    [No.681] Re: 御先祖さま。 投稿者:BUP  投稿日:2008/09/23(Tue) 14:30
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    画像サイズ: 455×811 (72kB)
    お墓参りより杖をついて只今帰宅疲れ果ています。
    都会のお墓、小石川 小日向。


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