悠々世代 

団塊の世代が定年を迎える今、第二の人生を充実したものにするために語り合いませんか。
また還暦を過ぎたあるいは定年後を楽しんでいる皆さまの豊富な経験談もぜひお待ちしています。

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  • [No.108] 旧友を訪ねて オランダへの旅 10 投稿者:   投稿日:2007/05/16(Wed) 18:57
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    (10)旅のおわりはプラーハで

    3時には目が覚めた。ほどなくシモン夫婦も起きたようだ。スキポール空港8時15分KLMプラーハ行きの飛行機に乗るには4時半に家を出る必要がある。低血圧のマチェには早起きが大変だろうが4時に揃って食事をしテキパキと荷物を積み込んで出発の準備をしてくれた。

    空港までは1時間かかる。明るくなっていく風景を見ながら黙って過ぎし日を振り返っていた。シモンもマチェも無言だった。

    空港に着くとシモンが搭乗手続きをしてくれた。お陰でE−ticket(A4版のテキストメール)でまごつかずに済んだ。出発ゲートを通るまで二人は手を振っていた。

    チェコのプラーハには9時半頃着いた。ホテルへはタクシーでと思ったがボラれるのは必定だ。時間はあるので案内所で地図をもらい、バスト地下鉄を乗り継いで行くことにした。重いトランクを引きずって階段、石畳の道を尋ね尋ねてホテルを探すのは大変だった。

    新市街にあるHotel Galileoをやっと見つけた。5連泊してプラーハの街を思う存分楽しもう。

    本題ではないので端折って書くと;
    街に貼ってあった広告でコンサート情報を知りチケットを買った。
    4月26日オペラ座でヴェルディの“LA TRAVIATA”
       27日スメタナホールでモーツアルトの“REQUIEM”
       28日オペラ座でプッティーニの“Madama Butterfly”
    いづれも1階特等席ほぼ中央の席を予約。3日続けてプラーハの春をだ。

    この他にプラハ城内小ホールの音楽会、なんとか教会での演奏会等音楽漬けの間にプラーハの街を散策した。

    プラーハはソ連の戦車で埋め尽くされ歴史がある。共産主義博物館を見学していたら老婦人が涙を湛えて陳列されていた資料を読んでいた。あの時代は狂気の時代だったのか。ヴァーツラフ広場で抗議の焼身自殺をした学生の碑の前にはいまも花束が絶えないようだ。

    ドヴォジャーク、スメタナの博物館、また郊外にある墓へも行ってきた。カレル橋、ミュシャ美術館、地下鉄の終点まで。

    オランダ・プラーハ17日間の旅は終わった。いい旅だった。
    オランダの旧友に感謝!


    [No.107] 旧友を訪ねて オランダへの旅 9 投稿者:   投稿日:2007/05/16(Wed) 11:36
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    (9)最後の日はサウナで

    早いものでオランダに来てからもう11日目だ。明日は早立ちなので今日が実質最後の日だ。朝、シモンと一緒に犬のイファーを連れてワールl河の岸辺を散歩する。もう来る機会はなかろう。ひとり村はずれの砦のところまで行って村を一巡して帰ってきた。

    10時頃シモンと一緒に車でホウテン(Houten)のサウナへ行く。日本の銭湯みたいなところだろうと思っていたが各種のサウナがいくつかありプール、ジャグジー、エクサーサイズ施設等を備えた‘健康ランド’とでも称すべきところだった。

    フロントでタオルのガウンとバスタオル2枚、それに脱衣ボックスのキーを借り2階の更衣室へ行って着衣をすべて脱ぎガウンに着替えた。更衣室は男女の別ない混用だ。

    シモンに従いてサウナに入っていくと行き交う男も女もガウンを抱えているだけの丸裸でお通りだ。前だけタオルでちょこっと隠すような仕草はまったくない。目のやり場がなくて困った。

    サウナ室は教室くらいの広さで床は3段になっていた。上段の温度が100度くらいに設定されているようだ。上段の床にタオルを敷いて寝ころんだ。窓がなく奥の方が暗くてよく見えなかったが夫婦が2組横になっていた。

    中年の女性が入って来て下の段にきたようだ。顔の汗を拭って横目で見れば、女は足の裏をこちらに向けて開脚姿勢で寝ていた。「秘すれば花なり」という言葉があるがこれは嘘だで誤魔化しではないか。あるがままに出していいのではないか。 こんなところへきて余計なことを考えさせられた。

    15分汗をかいて外のぬるい泡風呂へいった。初夏の太陽をさんさんと浴びて風呂へ浸かっているとき、「ハロー!」といって若い娘が惜しげもなく裸体をさらして入ってきた。1坪ほどの浴槽なので足をのばすと娘の足とからむ。原始人類はこういうおおらかな生き方をしていたんだろう。イチジクの葉っぱで前を隠すようになったのはだいぶん後のことだろう。

    また別のサウナをハシゴしてから庭園の寝椅子に寝ころんで昼寝をした。オトコもオンナも生まれたまんまの姿。むかし読んだ詩が浮かんだ…。

    豚屋の主人に豚が言った。「着てるものをみんな脱いでみろ」「パンツも脱いで靴下もだ」「ぜんぶ脱いだらそこに立て」「四つん這いになってブーっと言ってみろ」「なんだ、おれといっしょじゃないか」 こんな内容だった。

    ブランドもので着飾ったセレブも脱げば豚と同じだ。手鏡で人生を棒に振った先生もここに来ていたらスカートの中を覗くなんてことはしなかっただろうにと思った。タオルで前をちょこっと隠す真似をしたとてなんになる、白日の下堂々と歩くことにしよう。透視術を体得した。もうが外見で騙されまい。シモンが望んでいたのは日本人と裸のつき合いだったということか。

    帰ってマチェの作った心づくしの夕食が待っていた。隣のクラシックカーの奥さんから土産にとプレートが届いていた。今日もいい一日だった。

    写真:V村の岸辺にはNaturistが日光浴をするところがあった。


    [No.106] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 7 投稿者:   投稿日:2007/05/15(Tue) 16:40
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    とんぼさん こんにちは

    >1953年の洪水で一晩に何万ヘクタールという干拓地が水没し何千という死者がでた>大惨事があって国を挙げて水に対する戦いを進めてきたものだという。

    昔、小学校の教科書?だかに、
    堤防からチョロチョロと水が漏れているのを発見した少年が、
    指を突っ込んで大惨事になるのを防いだ・・・。
    と言う話を思い出しました。

    > 返礼に持参した藍染めの日本手ぬぐいを差し上げた。アリーが包みを開け「60にな
    >ってお迎えが来たらまだ早いと追い返せ…」というのを見てなにが書いてあると訊かれ
    >た。When you got 60 years old, までは良かったが‘お迎えが来たら’で困った。主
    >語はどうする? 難しい詩なんで後日メールしよう、と逃げた。

    傑作ですね。
    しかし、ぱっと出すのはまごつく日本語ですね。
    あちらの風習もあるでしょうし・・・。

    安房守


    [No.105] 旧友を訪ねて オランダへの旅 8 投稿者:   投稿日:2007/05/14(Mon) 23:53
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    (8)オランダでメロー倶楽部のはなしをする日が

    とうとうその日が来た。今日はオランダの旦那衆の前で話をする日だ。日本では筋書きをパソコンに打っては考えていたが、プロジェクターとの接続、パソコンで日本語表示ができるか、モデムが使えるか…そんな機器の問題で振り回されている中に出発に日を迎えて肝心なはなしを煮詰めることなく来てしまった。

    シモンが入ってるプロブス(Probus)の会は11時からだ。10時に家を出ることにしてシモンが事務局に提出するメモをパソコンで作った。メモはオランダ語なのでよく分からないが小生の紹介とメロー倶楽部の活動の概要だ。シモンにはワインを飲みながら何回か話の内容をパワーポイントのスライドを見せているのでわかってくれているはず。短時間でぱーっと作り上げてしまうやり方で細かいことに拘泥しない。この方が効率がいい筈だ。

    プロブスの会場は森の中のホテルだった。シモンから会員が次々に話しかけてくるだろうが握手をして名前だけ言えばいい、とのアドヴァイスがあった。それでも一言ふたことは挨拶しなければならないこともある。先方が名乗る名前はまったく覚えられない。お互い様だろうが。会員は獣医、元銀行マン、中小企業の経営者、商店主、彫刻家…まあエグゼキュティブであろう。ほとんどが70歳以上で矍鑠たる90歳の人もいた。

    会場には既にプロジェクターが設置されていて、持参したパソコン(Libretto U100)を繋ぐも通電せず狼狽えた。担当の技師があれこれやっているがいうことをきかない。会員が2,3名が出てきて何処かをいじっていたらパッと通電した。会員に専門家がいたんだ。

    チェアマンがベルを鳴らし開会を宣言、今日の集まりは26名と報告があり、今日の演題と日本からゲストを迎え云々とオランダ語で紹介されたようだった。そのあとシモンが立って今朝ほど作ったメモを見ながら小生の経歴、オランダとの関わり、趣味などをややオーバーに紹介してくれたようだ。オランダ語は解らなくても語調で察しがつく。

    持ち時間は15分。時間厳守はプロブスの掟。腕時計をストップウオッチに設定して壇上に立った。

    各国の平均寿命の推移、日本とオランダの比較、高齢化の実態、シニアーネットワーク、メロー倶楽部の活動、伝承館…、日韓友好親善等スライドをたぐりながら下手な英語ではなした。ときには詰まりときには立ち往生して…なんとか終えることができた。

    ホッとして会場を見渡すと拍手が聞こえた。チェアマンが立ち上がって、
    「もう一度ミスター***に拍手を!」と言ってくれたときは外交辞令とは解ってるが嬉しかった。シモンもホッとしたようだ。気にしていたに違いない。

    次の演題は「Stirling Engine」だった。実物を持ち込んで運転して解説する凝りようだった。

    最後は食事をしながら歓談だ。チェアマンが小生のところにやってきて「あなたはゲストなので最初に皿に取って頂かないと会員が手を出せない」と囁いた。さすがプロブスは紳士の倶楽部だ。こういうところで男が磨かれていくのだろう。

    帰ったらカミさんのマチェが植え込みで囲まれた庭の一角に安楽椅子を用意してしばらく休むがいいと言った。細かく深い気配りには頭が下がった。

    身も心も軽くなってファーっとする。明日はサウナだ。


    [No.104] 旧友を訪ねて オランダへの旅 7 投稿者:   投稿日:2007/05/14(Mon) 19:33
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    (7)ハッピーリタイアメント

    シモン夫婦と愛犬イファーを車に乗せて、アイセル湖(Ijsselmeer)の締切大堤防、マースランド可動防波堤等の大土木工事を見に行った。東京のブックセンターでオランダの詳細な20万分の1の地図…畳2枚分の大きさ…を買って持っていったのだが何処かに置き忘れて手元にないので今はどうして行ったか思い出せないない。

    1953年の洪水で一晩に何万ヘクタールという干拓地が水没し何千という死者がでた大惨事があって国を挙げて水に対する戦いを進めてきたものだという。山がない国である。堤防を築くには莫大な岩や砂利が必要だ。砂しかないのでそれらを輸入しなくてはコンクリートさえ造れない。コンクリにうるさい小生には工事の難しさが解る。

    世界遺産になっているショックランド(Schokland)、バタビアワーフ(Bataia-werf)国立博物館、それにどこか静かな港街で散歩したのがどの辺りだったろうか、シモンに悪いが覚えていない。

    午後、ウーデンベルグ(Woudenberg)のキャンプ場に来ているアリーとエリー夫妻(Arie&Elly)を訪ねた。北海に面した海岸の避暑地で多くのキャンピングカーが集まっていた。アリーは建設会社のサラリーマン社長で62歳。ドイツ製のキャンピングカーを買って来ていた。あと6週間でリタイアしスイスでスキーをするんだと喜々としていた。定年後どうしようと青ざめる日本人と大違いだ。

    シモンを通じて小生のことが知らされているのだろう。初対面にかかわら知己のようだ。エリーがベルギーの上等なチョコレートと誕生カレンダーをプレゼントしてくれた。誕生カレンダーは親戚友人の誕生日を書き込んで贈り物をする慣わしなんだろう。

    返礼に持参した藍染めの日本手ぬぐいを差し上げた。アリーが包みを開け「60になってお迎えが来たらまだ早いと追い返せ…」というのを見てなにが書いてあると訊かれた。When you got 60 years old, までは良かったが‘お迎えが来たら’で困った。主語はどうする? 難しい詩なんで後日メールしよう、と逃げた。

    外にテーブルを囲みビールを飲んでいたときシモンのカミさん、マチェが袋から蒲鉾とキッコーマンの醤油を取り出した。蒲鉾は茶碗蒸しを作って食べさせてやろうとイトーヨーカドーで100円で買ってきてたもの。冷蔵庫に入れていたのを見て昨晩これはどうして食べるのかと訊いたので酒によくマッチすると教えたのだ。
    さあ困った。キャンピングカーのキッチンに行って包丁で切ろうとしたらアリーがカメラを構えて写した。恥ずかしいことこの上ない。

    「ウーム テーストグーッ!」と言ってくれたものの顔つきを見れば分かる。もう少し上等な蒲鉾を買って来るんだった。おれのメンツを立てて全部食べてくれたが陰口が聞こえるようだ。

    当初、親しい仲間を6人ほど集めて家でパーティーを…就いてはなにか日本料理を作ってくれ…材料は手当て可、台所は手伝う、ということだったのでその日が来るのをびくびくしていたがこれで放免になってホッとした。

    北海の海岸は真っ白な砂浜だった。人々は全裸に近い姿で初夏の陽に晒していた。この時期太陽を浴びてビタミンAを体内に取り込む必要があるのだろう。

    日の入りが大分遅くなった。どこまでも平地の涯に教会の塔がちいさなシルエットで見える。今日もいい日だった。


    [No.103] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 6 投稿者:   投稿日:2007/05/13(Sun) 23:03
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    安房守さん、

    > オランダの年金生活者は豊かですね。
    > たまたま由緒有るお家の方々なのかな・・・。

    先日朝日新聞にいい意味で「きりぎりすの国」として紹介されてましたが働き方が上手なんでしょう。いい出の人とは思ってなかったですがみんな偉くなってました。

    > オランダの食事は如何でしたか。

    味音痴で食べる方はよくわかりませんが食通を唸らせるものはないかも…。でも田舎料理‘ヒュッツポット’(Hutspot)はグーでしたね。

    とんぼ


    [No.102] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 6 投稿者:   投稿日:2007/05/13(Sun) 18:50
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    とんぼさん 今晩は

    いい旅しましたね。
    私なんぞの放浪の旅と違って、如何にも充実した旅です。
    それにしても、オランダの年金生活者は豊かですね。
    もっとも、
    とんぼさんのお友達の方々がたまたま由緒有るお家の方々なのかな・・・。

    オランダの食事は如何でしたか。
    私は一回だけアムスへ行った事がありますが、
    食事の匂いを嗅いだだけで駄目でした。
    もう、二度とオランダへは来まいと思いました。
    場末の食堂だったせいかも知れません。
    飾り窓の一つ一つの窓が素晴らしい絵だった事が印象に残っています。

    続きが楽しみです。

    安房守


    [No.101] 旧友を訪ねて オランダへの旅 6 投稿者:   投稿日:2007/05/13(Sun) 16:57
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    (6)古いものを大切にすオランダ

    今日はブルンズ(Bruns)に連れられてゴーダ方面の古い建築物を見て回る予定だ。
    ブルンズは化学技術者で建築に関しては詳しくないので友人の建築家フォン・ダム(von Dam)を呼んだという。先ずはフォン・ダムの家に向かい、Waal河をフェリーで渡った。農家が点在するだけの小さな村に住んでいた。居間に通されると上品な奥さんがようこそとケーキを持ってきた。80歳できちんとした身なりできれいな英語で異邦人の小生にあれこれ話しかけてくる。旦那のダム氏はとっくにリタイアし馬を飼って悠々の日々のようだ。

    居間の家具・調度品は古いものばかり。壁際には箪笥?がでんと構えていた。訊けば300年前の食器棚とか。普通の世代交代ならば12代前の先祖から受け継いでいるとは! 有形な遺産もさることながら無形な精神的遺産も脈々と受け継がれているに違いない。

    まずはアウデワーター(Oudewater)へ行って‘魔女の計量館’へ入った。突然、女性アナからインタビューを受けて面食らった。ユトレヒト放送局の取材につかまって英語での質問にどう答えたか覚えがない。TVでなくて良かった。魔女の審判を受けて無罪が証明された証明書を授与された。この証明を受けるには1482年製の天秤に乗って審判を受けるのだ。古い建物を魔女博物館にして村おこしを図ったのだろう。

    ゴーダ(Gouda)へ行った。チーズ、蝋燭、焼き物で有名で中世の街がそっくりそのまま残っていた。マルクト広場にある旧市役所は1448年建設というから日本では室町幕府時代! いまは市の結婚式場になっていた。新郎新婦の後を大勢の子供が着飾って繰り出してきた。フォン・ダム氏は小学校の先生の結婚式だという。なんとも微笑ましい光景だった。こういう先生だったらイジメなんてないだろう。

    聖ヤンス教会に案内された。ステンドグラス、パイプオルガンには目を瞠った。教会の床に字が彫ってあり富豪を埋葬した墓地だとフォン・ダム氏が教えてくれた。大航海時代、栄光の波が運河で運ばれてきたのだろう。

    帰りの車の中でブルンズの奥さんはガンで闘病中であることを知った。彼は北の州に住んでいるのにわざわざ駆けつけてくれた。胸が熱くなった。こんどはあんたが日本へ来る番だ、と言ったら「ワイフと相談してみる」と答えた。泣かせる。


    翌4月21日は土曜で娘婿のタイースも休日なので10時から一緒に風車で有名なキデルダイク(Kiderdijk)に行く日だ。朝ゆっくりしていると、隣の主人がやってきてクラシックカーで近隣の景色のいいところをドライブに誘ってくれた。シモンが言うには2年かけて整備した彼の自慢の1930年製フォードワンだという。

    近隣の奥方に見送られオードに乗り込み快音を放って出発するのはいい気分だ。天気良し、車良し、仲間また良し最高だ。なんとのどかな田園風景であろう。絵のようだ、としか言いようがない。レーベシュタイン城(Loevestein)が望めるところで車を止めてもらい写真をパチリ。すかさず隣の主人(Verhoeven氏)が車の紋章?を入れて撮ってくれと指さした。まったくだ。おれはやっぱり気が利かない田舎かっぺだ。

    キンデルダイクはオランダ観光の定番だが近くに住んでいるタイースが初めて来た、と言ったのには驚いた。そんなものか。いつもは日本人観光客で賑わっていると聞いたが今日は何故か一人もいなかった。内部構造をじっくり見ることができた。


    [No.100] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/12(Sat) 23:47
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    タンマさん、

    拙文におつき合い下さり有り難うございます。

    > やっぱり、日本は貧しい国と、思ってしまいます。

    まったくです。
    広告、電柱・電線が日本の風景を損ない、蛍光灯が団らん妨げている、と言ったら言い過ぎでしょうか。

    >> いつか一献やりたいですね〜。
    >夜なら万難を排して駆けつけますよ。

    スイマセン、過飲の報いでドクターストップでしていま暫しご猶予を!


    [No.99] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:タンマ  投稿日:2007/05/12(Sat) 00:30
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    とんぼさん

    > GDPなんかで計れない豊かさと伝統の重みを知らされました。

    そこですよね。
    やっぱり、日本は貧しい国と、思ってしまいます。

      タンマ


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