悠々世代 

団塊の世代が定年を迎える今、第二の人生を充実したものにするために語り合いませんか。
また還暦を過ぎたあるいは定年後を楽しんでいる皆さまの豊富な経験談もぜひお待ちしています。

[新規投稿] [新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用] [問い合わせ]
[トップページへ] [総合メニューへ] [留意事項] [投稿の手引]
  • 以下は新規投稿順のリスト(投稿記事)表示です。
  • 48時間以内の記事は new! で表示されます。
  • 投稿者のメールアドレスがアドレス収集ロボットやウイルスに拾われないよう工夫して表示しています。

  • [No.98] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:まや  投稿日:2007/05/12(Sat) 00:23
    [関連記事

    とんぼさん、今晩は!

    > > 私はアメリカの旧友を訪ねたときの思い出と翻訳したオランダが舞台の場面を
    > > 連想しながらですが、想像を逞しくして
    >
    > 是非読まなくっちゃ。そのその本をご紹介ください。

     本はエンタテイメントの小説で新潮社文庫なんですけれど、同じような本を何冊
    か訳したので、アムステルダムが出てきたのはどの本だったか? 年数がたって、
    すっかり忘れています。ちょと時間を見て本を開いてみますね。

    まや 〜所沢〜


     


    [No.97] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 4 投稿者:   投稿日:2007/05/11(Fri) 21:02
    [関連記事URL:http://www009.upp.so-net.ne.jp/tombo-wp/

    変幅林さん、

    まま、そうそう持ち上げないで下さいまし。
    舞い上がって天まで飛んでってしまいます。

    >  の娘さんウェンディ嬢そっくりに驚きました。

    そうですか。メロー倶楽部を書いたとんぼの名刺を差し上げていますのでもうとっくに我らがHPを閲覧してくれていると思います。

    名誉会長に拙文をお読み頂き感謝、感激、感泣です。

    とんぼ 平伏


    [No.96] 旧友を訪ねて オランダへの旅 5 投稿者:   投稿日:2007/05/11(Fri) 20:44
    [関連記事URL:http://www009.upp.so-net.ne.jp/tombo-wp/


    画像サイズ: 600×399 (41kB)
    (5)シモン夫婦に連れられてアムスへ

    今日はシモン夫妻の案内でアムステルダム行きだ。
    カミさんのマチェも半年振りのアムスとあってウキウキしていた。近頃は道路がEU諸国からのコンテナートラックが増え、道路が混雑してアムスとかロッテルダムへ車で行くのは大変だということで電車で行くことになった。

    最寄りの駅に、といっても30分以上かかったが、車を置いて電車に乗って1時間半ほどだった。アムステルダム駅前は地下鉄の建設工事でごちゃごちゃしていた。海面より低いこの辺り地下何十メートル掘って防水工事が大変だろう。

    駅から南に歩いて‘飾り窓’を横目で眺めて通り過ぎ、‘隠れ教会’に案内された。運河沿いにあるごく普通の4階建ての家だった。外から見ては想像つかない正教会だった。いつの時代も宗教に権力争いはつきものだったか。ユダヤ人市場、ユダヤ歴史博物館、シナゴグ(ユダヤ教の会堂)を見てまわった。

    裏庭にはごつい労働者が両拳を握ってなにか叫んでいるモニュメントがあった。シモンの説明では、ユダヤ人が大戦中毎日貨車でポーランドへ送られ行った‥あるもと機関士が列車の前に立ちはだかって「送るならおれを乗せて行け!」と叫んで列車を止めた実話があったと。

    その周りで中学生だろうか、7,8名がノートを持ってうろうろしていた。シモンが近づくと1人が何か訊ねた。やがてみながシモンを囲みノートに録りだした。宿題だったに違いない。カミさんが横で頬笑んでいた。夫婦は戦時中まだ小学生初学年だったろうが悲しい歴史は確実に語り継がれているのを目にした。

    花市場を見て遊覧船に乗り、賑やかな通りのカフェで休んだ。「この人波の中にオランダ人は何人いると思うか?」とシモンが訊ねた。「さあ、半分くらいかな」と答えたら「みんな外国人観光客! 言葉でわかる。こんな時間にオランダ人は出歩かない」 そういわれればこの店で働いている者もイタリア系、アジア系、いろんな色がある。オランダは外国人に寛容だ。

    混雑している通りを歩くとき、シモンが先頭で小生が後に従いマチェが後ろで守る隊列になっていたようだ。家で決めていたんだろう。

    アムスからの列車はユトレヒトで乗換えになる。寄ってみるかとなって下車した。駅は大きく街はきれいで賑やかだ。運河沿いに歩いて古い教会を見た。その近くに娘が学んでいたユ大学があって、ここの運河にヨットで来たことがあると言った。ある夜ヨットで寝ていたら雨の音がした。マチェが今夜は雨が降らないはずなのに、といったのでカーテンを開けてみたら学生たちが小便の飛ばしっこをしていたと。どこの國の青年も同じらしい。

    家に着いたのは10時だった。ワインを飲みしばし歓談、シャワーに入って寝るのは12時になった。いい一日だった。

    帰国後,シナゴグで買ったここでの音楽会を収録したDVDを視聴して感動した。3大テノールの向うを張る素晴らしい歌唱の数々には大満足し た。森繁さんの唄った「Sun rize sun set」もよかったが、ユダヤ教会でユダヤ人テナー3人組で歌ったものを聴くとまた更に一段とよかった。


    [No.95] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 4 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2007/05/11(Fri) 08:48
    [関連記事

    とんぼさん お帰りなさい。

    > (4)秘蔵の穴場に案内されて

     此のまま出版社に廻しても良い様な名文に圧倒されて居ります。

     ところで本日の写真、左端の御嬢さんを見て米国のドロシー小母さん
     の娘さんウェンディ嬢そっくりに驚きました。

     ドロシー小母さんに似てニッポン大好き人間、早速調査を進めて我が
     メロウ倶楽部の国際版に招待を図り度く思い付きました。

     写真のお嬢さんにも是非

             >http://www.mellow-club.org/

    を紹介し、披瀝下さる様に期待致します。

     明朝を楽しみに・・・・              変蝠林(1917-)


      


    [No.94] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/10(Thu) 07:38
    [関連記事URL:http://www009.upp.so-net.ne.jp/tombo-wp/


    まやさん、

    お読み戴き光栄です。

    GDPなんかで計れない豊かさと伝統の重みを知らされました。

    > 私はアメリカの旧友を訪ねたときの思い出と翻訳したオランダが舞台の場面を
    > 連想しながらですが、想像を逞しくして

    是非読まなくっちゃ。そのその本をご紹介ください。

     


    [No.93] 旧友を訪ねて オランダへの旅 4 投稿者:   投稿日:2007/05/10(Thu) 07:26
    [関連記事URL:http://www009.upp.so-net.ne.jp/tombo-wp/


    画像サイズ: 600×399 (38kB)
    (4)秘蔵の穴場に案内されて

    4月17日、今日はシモン夫婦と一緒にシュローダー(Schreuders)に会うことになっている。
    彼はまだ現役、工場長でいるらしい。ドイツの会社に買収されみんな悲哀を味わった中で存在感を示したのはかれだけかのようだ。青年団の団長さんのような人柄でが慕われているのか。

    工場へ寄ったら事務所のテーブルの上に小生の写真があり応接室には日本の国旗が飾ってあった。嬉しいことをしてくれる。シモンがその写真を手にして「Wanted!」の張り紙だ、と冗談をいう。何年も会ってないのでまごつかぬよう俺の写真をメールで送ったのだろう。

    やがてシュローダーの奥さんが来て、みんなで干拓地のチューリップ畑を見に行った。広大な干拓地が一面に赤や黄色に染まっている。観光客で賑わっているチューリップ畑はアムス近くにあるが、この光景をシモンは俺に見せたかったのだろう。

    近くにシモンの息子の家があるので立ち寄った。連絡がしてあったらしく家族5人全員が待っていた。腕白盛りの子が3人、拗ねたり喚いたり健康な家族だ。新興住宅地の中の一戸建てで裏庭は運河いや水路でボートが直接降ろせるようになっていた。

    夕刻、近くのホテルでシュローダー夫妻と落ち合い会食することになった。ディナー会場は高層タワーの最上階で回転フローアー。ワインを飲みながらどこまでも続く牧場と畑を眺めていると俺はいまどうしてここにいるんだろうと思う。

    奥方2人は聖歌を趣味でやっており話が合うようだ。時折メロディーを口ずさむがその声がすばらしい。綺麗な声ですね、と言ったらポッと顔を赤らめた。

    ホテルを出たのは9時過ぎ。家に着くのは11時過ぎになろう。糖尿病でインシュリンを打つ必要があるシモンをかみさんは心配しているだろうが無事帰り着くことができた。


    翌4月18日はデ・フロートがハーグへ案内してくれた。車は渋滞で時間がかかるので電車で行こうということになった。

    彼は建築家で会社を辞めてからベルギーの事務所に勤めていたという。会社では仕事を知りすぎていたので敬遠されたといっていたがドイツ人の上役とあわなかったか。いまは大学で学生を指導しているが教師じゃないがといっていた。

    ハーグの新市庁舎、国際司法裁判所、宮殿…その美術館、スフェベニンゲンの海等案内された。なにせ長身の彼が歩く後を追うのはくたびれた。

    圧巻は‘PANORAMA MESDAG’だった。海の画家メスダーグの作品を集めた美術館にあるパノラマ館だ。エレベーターを降りて息をのんだ。360度中世のスフェベニンゲンの風景に出会った。感動の極致といえば言い過ぎか。満足の極みだった。デ・フロートよ、有り難う!


    [No.92] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:まや  投稿日:2007/05/10(Thu) 00:30
    [関連記事

    とんぼさん、今晩は!

     いい旧友を訪ねる旅をなさっておいでのご様子を拝読。楽しませてもらっていま
    す。私はアメリカの旧友を訪ねたときの思い出と翻訳したオランダが舞台の場面を
    連想しながらですが、想像を逞しくして(^_^)

     大いに楽しんで、すてきな報告を続けてくださいませ。続きを期待しています。

    まや 〜所沢〜
     


    [No.91] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/09(Wed) 23:01
    [関連記事URL:http://www009.upp.so-net.ne.jp/tombo-wp/


    白兎山人さん、

    お読み戴き感謝ハンミダ。
    わたしの旅はボケーッと景色を眺めたり路地裏を歩いたりでだらしがないんです。

    > じっくり噛み締めながら旅をする
    そんな風にとられると恐縮です。

    > カタカナ名前を覚えるのが苦手で

    それは諦めてます。
    会う前に名前を覚えて、
    「会えて光栄ですMrs.○△!」挨拶すれば違うでしょうね〜。


    [No.89] Re: 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/09(Wed) 18:24
    [関連記事

    じっくり噛み締めながら旅をする
    そんな感じを受けます
    小説を読むときもそうですが
    (近頃は殆ど読まないけど)
    カタカナ名前を覚えるのが苦手で
    人物の関係がわからなくなりやすいです
    まあいいや
    とんぼさんの旅の心を味わえば・・


    [No.88] 旧友を訪ねて オランダへの旅 3 投稿者:   投稿日:2007/05/09(Wed) 10:59
    [関連記事URL:http://www009.upp.so-net.ne.jp/tombo-wp/


    画像サイズ: 600×412 (32kB)
    (3)人それぞれの人生を

    今日はコルファー(Korver)が案内役で「Openluchtmueum(野外民族博物館)」へ連れて行ってくれ予定になっている。

    コルファーは昨年62歳、既にリタイアーして65歳までの年金支払は済ませ、年金が受給される65歳までの生活費は貯金で賄うという。さすが経理担当のマネージャーだ。早めのリタイアは奥さんがガンで家庭を慮ったのだろう。

    部屋を見せてくれと頼んだら喜んで見せてくれた。古い家を買って自分の好みに改造した自慢の家に違いない。机の上にはマラソン競技会で入賞したメダル、賞状が飾ってあった。書斎には堅い本が多く、LP・CDはクラシックのピアノ曲が目立った。家は住む人の全人格が出る、と聞いたことがあるがコルファーの人となりが判ったような気がした。

    野外博物館は広い森の中に、何百年前の古い農家、チーズ工場、風車が点在していた。遠足の子供たちがこういう祖先の暮らしを見て愛国心が芽生えていくのだろう。

    家で夕食後、シモンがそのむかし美人秘書だったシチアの家に連れて行ってくれることにになっている。
    シモンの奥さんマチェはクワイアー(聖歌)の練習日でシモンが街へ送って行きながらシチアの家に行った。

    夕暮れの薄明かりの中に現れたシチアを見て人違いではないかと驚いた。だが顔を見つめている中に徐々に昔のシチアの貌になっていった。お互い同じ歳月が過ぎた。老けたのはお互い様だ。

    シモンは先に帰ってシチアと2人だけになった。シチアがキッチンでコーヒーを用意しに行っている間部屋の中を見渡していたら、テーブルの上に手紙と見覚えのある写真が置いてあった。何年前だったろうか、この家のその階段の、そうここでセルフタイマーで写した写真だ。

    彼女がコーヒーカップをテーブルに置くと、プラスチックのファイルに入った手紙を取り出した。まぎれもない私からのものである! 日付は“April 14, 1982”となって漢字の署名まで記してある。25年前の今(正確には2日前)だ。まぶたが急に熱くなりシチアの顔が涙で滲んで見えなくなった。

    シチアが静かに音楽を流した。「この曲はわたしが子供だった頃父がよく独りで聴いていたわ」オペラのアリア集だった。なんという曲だったか。

    彼女の噛んで含めるような英語は変わっていなかった。夜遅く送ってくれた車中で、耳の聞こえなくなった90歳の母がいて時々面倒を見ているのでここから離れられない…37年間にはいろんなことがあったにちがいない。

    強いコーヒーを何杯も飲んだ、今日はねむれそうにない。

     


    | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 |


    - Web Forum -   Modified by isso