悠々世代 

団塊の世代が定年を迎える今、第二の人生を充実したものにするために語り合いませんか。
また還暦を過ぎたあるいは定年後を楽しんでいる皆さまの豊富な経験談もぜひお待ちしています。

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  • [No.920] Re: 甲州街道ハイク 投稿者:タンマ  投稿日:2009/06/09(Tue) 00:54
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    画像サイズ: 640×480 (91kB)
    下諏訪の「万治の石仏」は行きませんでしたか?(写真)
    なかなか、面白い石仏です。

    > ただ甲州街道は高尾を過ぎると変化が多くて愉しむことが出来ましたよ。

    四国でも、大半が国道沿いみたいなところが多く
    歩道を巡って右や左と、大変でした。
    でも、写真のけやきのように、歩きでないと見えない風景に
    遭遇したときは、うれしいですね。
    続編はいつ頃ですか?


    [No.919] Re: 甲州街道ハイク 投稿者:年金青年  投稿日:2009/06/07(Sun) 22:21
    [関連記事URL:http://c-kitamura.cocolog-nifty.com/blog/


    画像サイズ: 650×433 (59kB)
    タンマさん、コメントを有り難うございました。
    > 荷物を軽くするのが一苦労でしたでしょう。
    荷物は着替えと雨具、それとカメラくらいですからあまり多くありませんでした。
    ただ甲州街道は高尾を過ぎると変化が多くて愉しむことが出来ましたよ。

    > ハハハ、競争じゃないのですから、マイペース、マイペース!
    私の場合は悟りを開けないので、どうしても勝った・負けたになってしまいます(笑)
    > それでも、やせました!
    前半は雨に降られましたが、後半はその反動?で晴れの日が多く、
    スッカリ日に焼けてしまいました。

    添付は、諏訪の近くで見たケヤキの大木ですが、表と裏から見た同じ木です。
    チョット珍しかったので添付します。


    [No.918] Re: 甲州街道ハイク 投稿者:タンマ  投稿日:2009/06/04(Thu) 13:47
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    年金青年さん、
    時期を逸してのコメントですいませんでした。

    甲州街道てくてく旅に行かれたんですね。
    9泊ですか。
    写真の旧甲州街道、良いですねえ。
    府中からだと、170〜180kmくらいですかね。

    荷物を軽くするのが一苦労でしたでしょう。
    私なんか、あれこれ日常を引っ張り込んでしまって
    結局、自分の肩にのしかかかってくるんですね。

    遍路で言われているのは、男性5Kg、女性3kg ですね。
    私は当初8Kgくらいあって、これはたまらんと
    2回に渡って自宅に送り返しましたが
    それでも、6kgくらいにはなっていたんでしょうねえ。

    > それにしてもタンマさんの1200キロの二足歩行には敵わず、口惜しい〜

    ハハハ、競争じゃないのですから、マイペース、マイペース!
    毎日2合の酒とビールは、欠かしませんでした。
    それでも、やせました!


    [No.917] Re: 甲州街道ハイク 投稿者:年金青年  投稿日:2009/05/28(Thu) 00:02
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    画像サイズ: 740×555 (54kB)
    甘辛城主さん、コメントを有り難うございました。
    > 私も諏訪まではよく行きますが、府中インターから乗って諏訪までは、
    > 2時間程で到着いたしますから(後略)
    下諏訪から帰りは高速バスで新宿に戻ってきましたが、ナント3時間半.
    トボトボと歩いてきたことを考えると バッカみたい !!(笑)

    > 泊っている場所を見ますと、江戸時代の宿場と同じ様な間隔ですが、
    > 荷物はどのくらい持たれるのですか。 
    未だ旅慣れていないので、着替用の衣類と雨具ですからゴルフバッグよりも軽い 
    と思います。
    そしてどこへ泊まってもコインランドリーがありますから、これも助かりました。

    > 竹筒の水筒かなんかを持っていたりして・・(^0^)
    どこを歩いても周りには家が点在していますから、沢の水をと言う訳には行きません。
    それにコンビニや自販機も適当に有りますから不便はなかったです。

    > 青年さんの様な旅をされると、昔の人の苦労が分かるでしょうね。
    高尾から大月辺りまでは結構山が深くてアップダウンの連続、昔の人は大変だったでしょうね。
    その証拠のような苔むした「念仏塔」「供養塔」などがアチコチに建っていました。

    > 次の計画も立てているのでしょうか
    まだ歩ける内にと言うことで計画したいのですが、未定です。
    ただ「あの歩ける内に行けば良かったのに」という後悔はしたくないと思っています

    それにしてもタンマさんの1200キロの二足歩行には敵わず、口惜しい〜

    添付は、旧街道にあった酒蔵「七賢」


    [No.915] Re: 甲州街道ハイク 投稿者:   投稿日:2009/05/27(Wed) 16:56
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    年金青年さん

    外出やらドタバタが続いて、余りパソコンも開いていなかったので、
    前に言っておられた「下諏訪」を踏破されたことを昨日拝見しました。
    お疲れ様でした。
    私も諏訪まではよく行きますが、府中インターから乗って諏訪までは、
    2時間程で到着いたしますから、昔の様に歩いていたときに比べると
    100分の1くらいに短縮されている・・と言うことでしょうか。

    泊っている場所を見ますと、江戸時代の宿場と同じ様な間隔ですが、
    荷物はどのくらい持たれるのですか。 自動販売機のペットボトルは
    全部無視して、竹筒の水筒かなんかを持っていたりして・・(^0^)

    私などは、ゴルフの運営で4日間ほど続けて泊まらなければならない
    時は、通常のバックではとても間に合わず、「○○人の引越し」等と
    言われながら、大荷物を持ち歩いていますが、有り難い事に車ですか
    ら、全く苦になりません。

    青年さんの様な旅をされると、昔の人の苦労が分かるでしょうね。
    次の計画も立てているのでしょうか
                        甘辛城主


    [No.914] 甲州街道ハイク 投稿者:年金青年  投稿日:2009/05/17(Sun) 11:27
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    画像サイズ: 525×700 (47kB)
    皆さん、こんにちは。
    5/6〜5/15 に掛けて、「甲州街道」を府中から下諏訪まで歩いてきました。
    (なお 新宿から府中までは前回歩いたので手抜き)
    ただ残念だったのが、降雨のために「小仏峠越え」を諦めたことで、
    「滑って怪我でもしたら元も子もありませんから」 とは良い言い訳が出来ました。

    泊まったのは、高尾・上野原・河口湖(ここは甲州街道ではありませんが骨休め)・初狩・勝沼・竜王・日野春・武智鉱泉(ここも街道からは外れています)・茅野での9泊後 目的地の「下諏訪」へ到着しました。

    添付は 長閑な旧道(遠くは甲斐駒)
    国道20号は車が多いのですが、旧街道はこのような長閑な道が続いていました。


    [No.913] Re: 樋口一葉の妹(長文) 投稿者:年金青年  投稿日:2009/05/03(Sun) 11:22
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    画像サイズ: 547×730 (37kB)
    タンマさんへ
    > 気になるところが、素晴らしいですね。
    この姉妹で気になるのが、貧しい?ながらも姉は「ヒマワリ」妹は「月見草」(これはブチブチ監督の言)、のような気がしてならなっかたのですが、此の記事を見て妹も「なかなかやるなぁ」と思った訳です。

    甲州街道は連休の終盤頃に出掛けようと思っています。

    画像は昨日(5/2)に撮った永代橋です。


    [No.912] Re: 樋口一葉の妹(長文) 投稿者:タンマ  投稿日:2009/04/30(Thu) 23:58
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    >一葉の妹「邦子」も一緒に眠っているのだろうか、ということが何故か判りませんが気になっていました。

    気になるところが、素晴らしいですね。
    興味を持って丹念に一つづつ確かめていくことが、
    より深く理解することになるのでしょうが、
    私みたいに、興味を持っても大ざっぱにしか把握しないで通り過ぎてしまうのが
    凡人の所以です。


    [No.911] 樋口一葉の妹(長文) 投稿者:年金青年  投稿日:2009/04/30(Thu) 23:25
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    画像サイズ: 750×504 (68kB)
    京王線の「明大前駅」の傍に「築地本願寺 和田堀廟所」があって、そこに「樋口一葉の墓」があることを知ったのは甲州街道ハイクを計画している時でした。

    そしてそこには 一葉の妹「邦子」も一緒に眠っているのだろうか、ということが何故か判りませんが気になっていました。

    4/28 リベンジ歩行として「府中」まで歩いた時、和田堀廟所へ立ち寄り一葉のお墓参りをし、この時気になっていた墓石の戒名を見たら『淨蓮院釈邦香大姉』命日も同じで、妹も一緒だったことが判り安心しました。

    因みに、一葉の戒名は 智相院釈妙葉信女 らしいのですが、命日は風化していて読み取れませんでした。

    この「邦子」について検索したところ、次のような解説があったので転記します。
    《 裁縫が上手で、仕立物の内職では姉(一葉)より早く上手だったようです。
    一葉が半井桃水と出会うきっかけを作ったのも邦子で、小説の勉強をしたいという姉の希望をいち早く悟ってのことでした。

    姉と違い邦子は大柄の色白でした。ほがらかで人あしらいもうまく、竜泉寺町で荒物屋を始めた時、店番は邦子が担当しました。

    一葉の没後 邦子が相続戸主となり、姉の残した負債も引き受けましたが、「日記は焼き捨てよ」との遺言にそむき、姉の残した原稿や小説の草稿、反古紙にいたるまで一枚も粗末にせず、姉の業績の保存・整理・浄書に努めました。
    近代作家の中でも樋口一葉の研究が量と質で突出しているのは、邦子の存在あってのことです。

    明治31年、父の代から親戚付き合いをしていた西村釧之助の世話で吉江政次を入り婿として結婚。翌年には釧之助の文房具店礫川堂を譲り受け、店の経営をしながら六男四女を産み育て、大正15年7月1日、52歳で亡くなりました。》


    [No.910] Re: エンジンが掛からず・・・ 投稿者:年金青年  投稿日:2009/04/30(Thu) 23:13
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    タンマさん
    > 7:00出発 15:00〜16:00宿入り
    これが問題なのです。
    1,旅先では早起き可能なのですが、早起きが苦手なのです(笑)
    2,一人旅ですと夕方の時間を持て余し、時間潰しで周辺をまた散策。
    こんなことで夕方の宿入りを狙っています。

    > これで、30Km内外です。
    今は30キロ歩くのが苦痛になっていて、せいぜい25キロ前後でしょうか。
    これでは「四国遍路」は失格かも知れませんね。


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