電気通信大学藤沢分校物語 (1) 4
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編集者
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3 官立無線電信講習所(逓信省所管)
3.1官立無線電信講習所設立の要請、国家的事業に
無線通信士の需要は1937年(昭12)日支事変の進展とともに、益々増大の傾向をたどり、質的方面においても飛躍的向上を期する必要が痛感されるようになった。このような情勢下において国家助成というよりも、むしろ国立の無線電信学校を設立して通信士の養成を図るべきだとの要請が官、民各方面から起こり始めた。1941年(昭16)4月船舶無線通信士養成に関する逓信省官船局長からの諮問事項に対し同年6月船舶無線懇談会専門委員会は無線通信士養成制度改正の件として船舶無線通信士をいわゆる無線従事者としてのみ律するは当を得たものに非ず、むしろ他の乗組員同様船舶職員としての資格を与えることは船内体制上にも肝要な方策であるとして、無線通信士の養成制度及び関連事項につき適当なる改正を加えることの詳細な意見具申がされた。官側の原案は、①官立無線電信講習所設立の必要性、②無線通信士の検定試験制度と養成施設などについて述べ、無線通信士の需給を図る応急策として本邦唯一の国家検定校である電信協会管理無線電信講習所を官立に移管せしめ、その施設の大拡張を実施し養成人員を倍加することが必要であるとした。
数次に亘り審議を重ねた結果、官民合同の熱望は受け入れられ、逓信省所管官立無線電信講習所を設立することに意見の一致をみるに至った。
3.2逓信省所管の理由
官立無線電信講習所は逓信省逓信部内の従業員を養成する逓信講習所や逓信官吏練習所などと異なり、卒業生はすべて一般の民間企業の従事者として就職する点では、医科、工科系の一般専門学校と同一視し得るものである。従って本来は文部省所管となるのが本筋であるが、本講習所において養成する無線通信士は、その取り扱う業務面につき逓信省が全面的に指導、監督を実施する必要があった。これと関連して通信士資格の付与や無線局に対する選任事務についても一貫統制を行っており、又船舶並びに航空機の無線電信はその殆どが公衆通信に供用されている関係もあって逓信省のス管とすることが望ましかった。更にまた無線通信施設の増加、並びに船舶・航空機などの建造計画に合わせて通信士の養成計画を立てる必要もあった。これらのことを考え合わせる時、諸般の事情(教員、教育施設、実習現物等)にかんがみ逓信省において直接その経営に当るのが妥当であると認められ、同省の管轄下におかれることが決定したのである。(60年史)
3.3官立無線電信講習所の成立(第79帝国議会)
1941年(昭16)10月18日に成立した東条内閣は、対米開戦のための内閣であり、遂に12月8日未明真珠湾の急襲、マレー半島の奇襲攻撃を決行したのであった。15日には香港のイギリス軍が降伏し、日本軍の快進撃で沸き立っている時、第79帝国議会(12月26日~3月26 日)が開かれた。この議会は戦争遂行に関わる法案と巨大な臨時軍事費を議決することであった。
議会出席者には戦後、総理大臣に就任した岸信介(商工大臣)、池田勇人(大蔵省書記官)、佐藤栄作(鉄道省監督局長)、大平正芳(興亜院調査会)等の名前が見える。(帝国議会会議録データベースシステム)
昭和17年度予算案は88億3,700万円で、追加予算を加えた前年度予算に比べると1イ7,900万円の増加であったが、臨時軍事費の方は180億円という巨額の予算となっていた。それは前通常議会に提出された58億8,000万円の3倍を超えるし、またこの経費が開設された昭和12年9月以来成立した予算の合計額が289億3,500万円と比べてもその急増ぶりをうかがう事が出来る。この議会では管理通貨制度を恒久化し、強化するための日本銀行法の改正、直接税中心の増税案(所得税、法人税、相続税)など、間接税についても税の新設(電気瓦斯、広告、馬券など)、値上げ(国鉄運賃・郵便料金など)、また戦後にまで受け継がれて食料統制の基本となった食料管理法の制定がされた。国民負担が一挙に増大したのである。
(古屋哲夫「日本議会史録」3)
1942年(昭17)1月31日、2月2日に開催された予算委員第六分科会議に逓信省大臣寺島健、電務局長中村純一、工務局長松前重義等が出席、議会で予算が議決され、4月の官立無線電信講習所の成立が確定した。
然し、当初大蔵省に提出された予算額は2百数拾万円であったが、それが復活要求のつど、減額され、最終的には120万円程度に減ったのであるが、復活予算として認められたのは更にその半額の63万円余であった。これでは校舎、設備の拡充はほとんどできない額であったが、それでもまずは橋頭堡を獲得した喜びは格別であった。尚、電信協会の無線電信講習所の施設一切は国家に寄付された。
3.4藤沢分教場の計画
成立予算の63万円は無線電信講習所の従来通りの運営費だけでいっぱいとなるので、校舎の新設等は、藤沢市当局を動かして同市鵠沼海岸に建造して、これを貸与させることにした。その所要資金約260万円(当時の藤沢市の年間予算総額は80万円)は藤沢市の市債を発行することとして、内務省に対する交渉など一切は逓信省において斡旋することとなった。この260万円で、土地約10,000坪の他、校舎、寄宿舎、講堂、武徳殿など約2,000坪の建築を行う予定であった。同年4月1日官立無線電信講習所初代所長として中村純一電務局長が兼務で任命された。(60年史)尚、80年史には官立(無線)講習所業務開始(中村所長事務取扱)とある。 (以下次号)
(注)本稿で引用された史料、資料は最終稿にまとめて記載します。